2010年08月01日

舞鶴〜日本海へ

 昨日は明石海峡を渡って自転車で淡路へ、
そして今日は車で日本海に面した舞鶴へ
向かいました。

 舞鶴若狭自動車道の篠山の手前です。
目の前のお二人は、約80キロでゆったりと
ツーリングを愉しんでおられるようでした。



 舞鶴にある引揚記念公園です。引揚の桟橋
を見下ろす高台の上にあります。



 そして引揚船が着岸した桟橋、これは
復元されたものだそうです。



 引揚船は、舞鶴の港の岸壁に着岸したもの
だと勝手に想像していましたが、街はずれの
舞鶴湾のちょっと奥まった処に、ひっそりと…

 この桟橋脇に小川が舞鶴湾に流れていましたが、
その脇に古い小船が放置されて、草で覆われて
いました。



 舞鶴湾に面して海上自衛隊の基地が並んで
います。



 横須賀は、湾の主要部分が米軍の基地で、
海上自衛隊は、ちょっと辺鄙な処に基地がある
ような感じでしたが、舞鶴には米軍が駐留して
いないようで湾に面した街の主要な部分には
自衛隊の基地があるようです。



 帰路、立寄ったパーキングエリアで休憩を
とって再び高速道の本線入るために加速、
緊張の一瞬です。



 エアコンの効いた車内と車外との間の
温度差が凄く大きかったです。


posted by student at 18:49| 日記

2010年07月31日

霧の海峡と、再び淡路

一昨日の木曜、神戸は一日雨…

 そして昨日の朝、舞子海岸から見る海峡には
霧がかかって、明石海峡大橋も淡路側は
霧でかすんでいました。



 自転車で林崎海岸まで来ると、ちょうど
ラジオ体操が始まったところでした。子供たち
よりも、年配の方々のほうがずっと多かったです。



 林崎海岸から江井ヶ島海岸の間の砂浜沿いに
続く浜の散歩道は、屏風ヶ浦の景色が続きます。



 江井ヶ島海岸は自宅から15キロ、ここで
ひと休みして上を見上げると椰子の木が…



 汗だくになって大蔵海岸まで戻ってきました。
ここからの海峡の景色も大好きです。



 狭い明石海峡いは、海峡を横断する船、漁場に
向かう昼網の船、海峡で漁業をする船、そして
海峡の間を行き来するフェリーと連絡船が行き交い、
明石海峡はかなり混んでいます。



 30キロ走ってシャワーを浴びて通勤の電車に
乗って…

 帰りに神戸駅で途中下車しました。Duo神戸では
縁日を模した屋台風の店が並んでいました。





 そして今朝、先週に続いて淡路島へ、
淡路・岩屋行きの連絡船は、いつもと違って
小型の船です。岩屋へ向かう自転車は
私以外に2人…



 朝夕の時間帯は、2隻の連絡線が岩屋と明石の
間を20分毎に結んでいます。同じ時刻に岩屋を
出た連絡船が海峡の真ん中ですれ違いました。



 岩屋から東海岸の国道28号線沿いに10キロほど
南下すると浦の町、流れる浦川はびっしりと葦が
生い茂っていました。



 四国を中心に店舗が広がるスーパーのマルナカ、
山陽マルナカの店舗が岡山県を中心に幾つかの
店舗がありますが、ここ東浦にもマルナカが進出
しています。



 このマルナカがあるのは、旧東浦町の町役場の
道路を隔てた向かい側、現在は淡路市東浦事務所
です。



この附近が旧・東浦町の中心で、松帆神社が
近くにあります。



 浦の海岸、中浜の砂浜に足を踏み入れると
砂浜で休んでいた水鳥が一斉に飛び立ちました。



帰路の連絡船からの海峡の眺めです。




posted by student at 17:23| 日記

2010年07月27日

二十一歳の夏

 7月の初旬頃に比べると、朝がずいぶんと
遅くなりました。1ヶ月ほど前は朝の4時半には
外はすっかり明るかったのですが、今は5時前
でも薄暗い状態です。

 朝5時ぐらい、曇っているというよりもモヤッと
した夏の朝、明石海峡大橋には、まだ朝日は
照りつけていません。



 よく見ると、昨日の十五夜(満月)の月が、
明石海峡大橋越しに播磨灘(瀬戸内海)に沈もうと
しているのが見えました。



 大蔵海岸(明石市)まで走ると、ここで朝日が
狩口台(神戸市垂水区)の高台から、ちょうど
昇っているのが見えました。でも真っ赤な朝日は
すぐに雲の中に隠れようとしています。



久し振りに体脂肪計を・

 体重は63.9キロ。目標は60キロちょっと
ぐらいなのですが、あと2キロほどの減量が、
ここ何年も出来ません。



 体脂肪率は13.2%。ひととき12%以下に
なっていたのですが、でもあまり無理をせぬように
しています。



基礎代謝1513キロカロリー/日、ひととき
1400程度に下がっていましたが、ようやく
標準程度に戻りました。 



 そして体内年齢…、これもひととき23才〜24才
になっていましたが、ようやく21才に戻りました。
21才のキープが当面の目標です。



 内臓脂肪レベルが6.5。この内臓脂肪レベルは
10段階で5が標準で6とか7というのは、内臓の
脂肪が標準より多いのかと思っていたら、実は勘違い
だというのを最近知りました。内臓脂肪レベルが
10以下だと「標準」、10〜15だと「やや高い」、
そして15〜30だと「高い」そうです。

 内臓脂肪レベルが6.5ぐらいの数値だと、
メタボリックシンドロームのボーダーラインの
近傍で黄色信号かと思っていましたが、一安心です。



そして筋肉量が52.6キロ、



骨量が2.9キロ



 脂肪分や炭水化物、アルコールの摂取が最近
過多で、かつ運動消費エネルギーが低かったの
改めて、梅雨明けとともに「生活習慣」を変えて
約10日。生活習慣病って、まさに生活習慣に
起因するんだなあ〜と実感しました。

 この夏・21歳の時をゆったりと愉しみたいなあ〜と

 …もうすぐ出勤です。窓の外からセミの鳴き声が
絶え間なく聞こえ、ようやく汗も退いてきました。
posted by student at 17:11| 日記

2010年07月26日

残り香〜夏の匂い

 昨日の日曜は、炎天下のサイクリングだったので、
一夜明けても疲労が残って、今朝のサイクリングは
お休み…と思ったら、筋肉痛も疲労感もなく、今朝も
元気よく5時過ぎに朝のサイクリングへ

 …これもプロテインの効果だと思い、今朝も
プロテインを飲んでから出発。

 浜沿いの国道2号線を西に走って、明石市に入ると
国道28号線との分岐点があり、フェリー乗り場まで
続いています。大蔵海岸の附近では、昨日走った淡路の
東海岸のような、ゆったりとした自転車が通行できる
歩道があります。



 明石川右岸の河口近くの公園で、ちょうど朝日が
射し込んできました。朝日は芝生を輝かせて…



 この公園でひと休みすると、汗が噴出してきました。
タオルで汗をぬぐっていると、プン〜と日焼け止め
クリームの香りが…。何度も入念に日焼け止め
クリームを重ね塗りしたのが、昨日のシャワーでは
完全に洗い流せなかったようで、首筋等に残っていた
ようです。

 そしてタオルからは、微かな潮の匂いが漂って
きます。昨日、ポシェットに入れていた予備のタオルで
モノの出し入れの時に、砂浜についた手から潮の
匂いが移ったのかもしれません。

 自宅に戻る途中で、小学校からたくさんの子供たちが
首からスタンプの紙をぶら下げて出てきました。



夏の朝、出勤前の眩しい光景…

 プロテイン効果で筋肉痛も疲労感もないので、
出勤前の短いサイクリングの時間に、今朝は
10キロの予定を頑張って18キロも走って
しまい、時間を気にしながら帰路を急いで自宅に
戻ると汗が噴出すように…。

 でも通勤時には筋肉痛も疲労感もなく、仕事も
難なくこなして…

posted by student at 17:04| 日記

2010年07月25日

淡路・東海岸

今朝、今シーズン初めて淡路島へサイクリングに
出掛けました。普段は朝ご飯の前なのですが、
淡路島への高速艇の時刻の関係もあって、ご飯を
食べてから出発。

 7時40分明石港発岩屋行きの便には、私以外に
親子が自転車で…



 自転車は高速艇の後部デッキにロープで結びつける
ようになっています。



 明石港を出て、すぐにスピードアップ。高速艇は
明石と淡路・岩屋との間の明石海峡を12分で
結んでいます。



真夏の暑い海峡は、熱気でモヤッとしていました。



十数分はアッという間で、岩屋港に着いて…



 岩屋からは、徳島へ至る阿波国道・国道28号線を
通って大阪湾沿いの東海岸を南下しました。洲本まで
31キロ、徳島まで85キロです。



 淡路・東海岸は、道路沿いに椰子の木があって、
神戸の街とは光景が大きく異なります。



下の写真の右の橋は、鳴門・淡路自動車道です。
自転車も走行出来るゆったりとした歩道があって
車を気にすることなく、安心してサイクリングが
できる区間です。




5キロほど南下すると東浦の町の中心にある
東浦バスターミナルへ



 ターミナルに入ってクールダウンと共に
ペットボトルのお茶を買って水分補給も・



 ここからは、明石海峡大橋を渡った舞子駅前と、
神戸・三ノ宮駅、そして山陽新幹線の新神戸駅へ
直行するバスが発着し、下りは津名や洲本等、
島内各地へ。このバスは舞子、三ノ宮経由の
新神戸行きのJRバスです。



 更に南下して仮屋の港町へ。ここの新聞配達所は
各新聞を全部取り扱っているようです。



 仮屋にある酒蔵・千年一酒蔵です。車だと
直販のお酒を買うのですが自転車なので…



仮屋漁港です。結構大きな漁港、背後には
釜口の大観音像が見えます。



 仮屋の町並みからは、釜口の大観音像が
何処からでも見えます。



 そして釜口、大観音像をバックに私の愛機、
ジャイアントのクロスバイクです。



 以前は家が建っていたのか、井戸と電気を
引き込む電柱だけが残っていました。



 ここも以前は家が建っていたようなスペース、
一面に花が鮮やかに咲き誇っていました。



 釜口の海岸で、砂浜近くで、小さな舟の上で
作業をされている姿がありました。



 あわじ地ビールの製造・直販所がありました。
自転車なので、ここも写真を撮るだけで…



東浦の海岸です。



 岩屋近く、鵜崎辺りまで戻ってくると、椰子の木の
向こうに明石海峡大橋が見えてきました。



 岩屋の町が近づくと、国道28号線の道幅も狭く
なって…、明石海峡大橋の手前の岩は、大和島で、
オノゴロ島伝説の候補地のひとつです。



そして石屋神社です。祭神が国常立尊、伊邪那岐尊
そして伊邪那美尊で、伊耶那岐命と伊耶那美命が最初に
降り立った処とも言われています。



 岩屋港にある絵島、いつも写真を撮ってしまいます。
今回も明石海峡大橋を入れて…



 岩屋の街を散策しました。なんだか昭和時代が、
そのまま残っているような雰囲気がする岩屋商店街
です。



日曜の朝で、閉まっている店が多かったです。



レトロな感じの銭湯、営業しているのでしょうか?



ここもレトロな感じの床屋さんと郵便ポストです。



雑貨屋さんが一軒営業していました。ここが
もっともレトロな感じがする店です。



岩屋の街を流れる茶間川、川沿いの家並みが、
なんだか風情があって、しばし橋から見惚れて
しまいました。



 この床屋さん、なんだか庶民的な感じが
します。



 岩屋ボートビル、高速艇の乗り場であり、島内の
バスのターミナルでもあります。



 中にはみやげ物屋さんがあり、淡路名産の
タマネギが店頭に並んでいました。



乗船券、大人1枚と自転車1枚で合計650円
です。バックに、ちょうど高速艇が到着した
ところです。



 改札口に並んで待っていると、降船した乗客が
次々と…



そして乗船…



行きにくぐった明石海峡大橋をくぐって、本州へ・



 明石港に到着、もうお昼前で、岩屋からの
乗客は結構多かったです。



 帰路は自転車は一人だけでした。他の乗客の最後尾に
なって上陸しました。



高速艇の近くで、昼網の昼市がちょうど…



ちょっと見学しました。



 遠巻きに見ていると、何が行なわれて、どうなった
のか、まったくわからず仕舞いでした。



 魚がどんどん流れて・・・昼市がどんどん
進んで、魚がどんどん運ばれて車に積まれていきます。



玉子焼き(明石焼き)のキムラヤ、凄い待ち行列が
出来ていました。私は、もう何年もこの店に入った
ことがありません。この行列に加わる勇気がありません。



 朝霧駅南のCoCo壱のカレーショップ前のひまわりの
花です。背後には朝霧駅の歩道橋・・・





 朝7時前に家を出て、帰宅したのは12時半頃、
約6時間のサイクリングでした。途中で補給した
水分は、ペットボトル4本で2リットル、出掛ける
前と帰宅後すぐに、それぞれ500ミリリットル
ぐらいの水分を補給したので合計3リットル。
脱水症状にはなりませんでしたが、汗がものすごかった
です。

 走行時間が2時半、走行距離が40キロで、
いつもより疲労が大きいはずですが、それほど
ヘタリませんでした。昨日買ったプロテインを
朝に飲んだお陰かもしれません。効率良く
栄養補給ができたのでヘタルことがなかった
のかなあ〜と。

 「絶対に焼けない」という日焼け止めクリームを
しっかりと塗ったのですが、かなり焼けてしまい
ました。肌のダメージが大きかったようで、尿素入りの
クリームをたっぷり塗って…


posted by student at 17:00| 日記

2010年07月22日

高山右近の町・林崎

 今朝は5時過ぎに家を出て、舞子海岸に到着した
時には、朝日がほぼ真横から明石海峡大橋に赤味の
帯びた光を浴びせていました。



 播磨灘の彼方の水平線近くに、海面から浮き上がった
ように見える大きな船・蜃気楼でしょうか?



 昨日は明石川の左岸に広がる明石浦漁港の近辺を
ウロウロしましたが、今日は明石川の右岸(西側)に
広がる林崎漁港へ・

 今の明石城と明石の町は、江戸初期に移転したもので、
それまでは船上城が明石のお城でした。この船上城は、
羽柴秀吉が天正13年(1585年)にキリシタン大名であった
高山右近に播磨国明石郡に新たに領地を6万石与えられ
時に居城としたお城です。その城下町の港が現在の
林崎漁港になります。高山右近が城主であった頃には、
大きな南蛮船が宣教師を乗せてこの港に出入りをした
ようです。

 港から、明石海峡大橋、そして淡路の島影が
望めます。 



漁港の脇に積まれたモノ、タコ壺…



 そして自宅近くまで戻ってきた時に、山陽電車の
踏切で遮断機が下りて…



 今日は20キロ走行しました。シャワーを浴びて
朝食を食べて気忙しく出勤しました。

 仕事帰りに、垂水駅のホームに下り立つと、
北の空の雲が、沈んだ夕日を浴びて幻想的な光景
を生み出していました。



今日も暑い一日でした。

posted by student at 16:35| 日記

2010年07月21日

サンマ・タイム〜朝の港町

ここ数年、梅雨明け後の夏は、私なりの
サンマ・タイム…

 マンガ・サザエさんの単行本の第1巻だったか
第2巻だったかに、サンマ・タイムという表現が
あり、「?」だったのですが、これは昭和20年代
に導入されたサマー・タイムを当時は、サンマ・タイム
と一般に呼ばれていたそうです。

 私のサンマ・タイムは…5時に起きて、朝飯前に
1時間半から2時間、朝のサイクリングを愉しむ
ことです。普段は始業時間よりかなり早目に職場に
入っているのですが、サンマ・タイムの間は、
ぎりぎりに出勤ということになります。

 今日はサンマ・タイムの初日…

 舞子海岸沿いの国道2号線に架かる歩道橋・
しょうらいばし(松籟橋)から見た明石海峡
大橋です。移情閣と明石海峡と、淡路の島影が
一望できるポイントです。



 国道2号線沿いの、この場所から見上げる
明石海峡大橋の光景が結構好きです。



 そして大観橋、明石の町の西、明石川の
もっとも河口に近い河口に架かる橋です。



 伊弉諾(いざなぎ)神社、明石漁港の
西の端近くにある神社です。



 この伊弉諾神社から東に100メートル
程の処にある伊弉冊(いざなみ)神社



 明石川の左岸(東)に広がる明石漁港には、
幾つかの神社と祠が点在しています。

 漁港には、古くからの漁村の面影を残した
町並みが残っています。



 伊弉諾神社から更に東に200メートルの
処には岩屋神社があります。岩屋とは、淡路島
の北端の町の名前です。



 さりげなく干しダコが…洗濯物のように
干されていました。




 漁港にあるガソリンスタンド、ここは自動車
というよりも漁船の給油がメインのようです。



エンジンを扱う店、



明石ネット、でもインターネットやパソコンの
店ではなくて、漁業で使う網(ネット)の店です。



 乗り合いの釣り船が、ちょうど出航するところ
でした。



 ブラブラとデジカメで写真を撮っていたので
2時間近く自転車で走って汗だくになってしまい
ました。でも走行距離は15キロ程です。

 帰宅してシャワーを浴びて、朝食を食べて出勤、
心地良い筋肉痛を感じました。

 JR京都線の事故の影響でダイヤが乱れて、
垂水駅のホームは凄い人、私の乗った上り電車は
積み残しがありました。電車の車間距離が短いのか
結構ノロノロ運転で、灘駅で遅延証明を貰いました。



遅延証明は久し振りに貰ったような気がします。

posted by student at 16:30| 日記

2010年07月18日

夏の朝

昨日梅雨明けして、今朝は快晴…

 しばらく梅雨空が続いていたので、今朝は
久し振りのサイクリング・



 舞子海岸の明石海峡大橋近くの岸壁は、
釣りを愉しむ方々がたくさん…



 大蔵海岸、明石の市街地を走り抜けて、
明石川の右岸・林崎海岸です。



 まだ朝が早いので、海の家はまだ閉まった
ままでした



 そして江井ヶ島海岸です。ここは数年前までは
海の家が建って賑やかでしたが、今では管理者も
なく、きれいな砂浜の割には静かで、私の
お気に入りの場所です。写真中央の奥が舞子海岸で
明石海峡大橋の主塔がかすかに見えます。明石海峡
の右側が淡路の島影です。



山陽電車の江井ヶ島駅、自転車や車でこの駅の
前を通り過ぎることは多いですが、この駅で
乗り降りしたことは、数えるほどしかありません。



江井ヶ島駅の北に広がる谷池・皿池…



 池の南側には山陽電車が走っています。
その向こうに見える山並みは淡路島の島影です。



 この池をまたぐように山陽新幹線の高架橋が
架かっています。ちょうど下りの新幹線が…



また海岸線へ… 



 県道554号線の標識がありますが、この道路は
自動車が走ることができません。正式名称は、
兵庫県道554号姫路明石自転車道線、海岸線沿いに
歩行者と自転車の道が続いています。



 砂浜沿いに道があって、そして屏風岩の景色が
続いています。彼方に明石海峡大橋がかすかに…



 自宅近くの坂、山陽電車の沿線に沿った道、
この光景が大好きです!



 途中で水分補給は1リットル、自宅に戻ると
汗がしたたるように…シャワーを浴びて、ちょっと
遅い朝食を食べて、やっと汗がひきました。

posted by student at 16:18| 日記

2010年07月17日

セミ

 昨日の朝、6時過ぎに家を出ると雲の
切れ間に青空が覗いていました。

 JR神戸線・灘駅を降りると…



セミの鳴き声が聞こえてきました。



 一昨日は、断続的に激しい雨が振る天気
でしたが、昨日は朝から陽射が強い一日。

 そして今朝は晴天、暑くなりそうです。
もうすぐ梅雨明け、そして真夏…


posted by student at 16:08| 日記

2010年07月15日

乾電池

乾電池…いろいろな種類があります。



 大きな単一電池は、リビングルームの掛け時計、
懐中電灯に使っています。単二電池は…探して
やっと見つけました。枕元の目覚まし時計、でも
我が家ではこれだけのようです。
 そして単三電池は、ラジオ、古いデジカメ、小さな
懐中電灯、テレビやエアコンのリモコンと結構使われ
ていて、買い置きをしています。細い単四電池も、
音楽プレーヤ、ポケットラジオ、照明器具のリモコン
と、これもかなり使われています。単五電池は、
寝室のエアコンのリモコンだけです。9Vの角型の
電池は、我が家では使われていないようです。

 乾電池を発明したのは、屋井先蔵という日本の
時計技師です。明治20年に寒冷地でも使える時計用
の電池として屋井式乾電池が誕生しました。この
屋井式乾電池を使用した地震計を明治25年のシカゴ
万国博覧会に帝国大学理学部が出展したのですが、
この屋井式乾電池をアメリカの会社が模倣して
Dry batteryという模倣品が舶来品として翌明治26年
には日本に逆輸入されたそうです。

 デジカメ、音楽プレーヤ用には、充電できる電池
ニッケル水素電池を使うことが多いです。その中でも
三洋電機のエネループが使い勝手が良くて愛用して
います。



 新しいデジカメには、乾電池タイプではない専用の
充電池・リチウムイオン電池が入っています。



 容量も大きくて便利なのですが、機種ごとに電池の
型番が違って、充電器も異なるのが不便です。

 車には、大きな鉛蓄電池が搭載されています。そして
電卓にはボタン型の電池…身の周りにはいろいろな電池
があるなあ〜と、先ほど、使い切った電池を始末しながら
ふと感じました。



posted by student at 15:49| 日記

2010年07月11日

投票

 しばらく選挙では、期日前投票の制度を利用して
いましたが、前回とそして今回は投票日に投票所で
投票を行ないました。

 今朝の神戸は、どんよりとした曇り空、ラジオの
天気予報では西日本は荒れ模様に向かうとのことで、
朝一番に投票所に向かいました。



 昨年の衆議院選の時はお昼前に投票所に行った
こともあってか、かなり混雑していましたが、
今朝、7時過ぎの投票所は閑散としていました。

 投票ついでに散歩、住宅地の中に、木造の
洋館風の古い建物、住居としてお住まいになって
おられるようです。



 自宅に戻ってすぐに明石の大蔵海岸にある
ディスカウントスーパーに買出しに出掛けました。
途中の山陽電車の踏み切りで、ちょうど遮断機が
降り始めて…



 スーパーからの帰り、JR朝霧駅の南、狩口の
交差点で信号が赤になって…。ここは国道2号線
から国道28号線が分岐する交差点です。



 見上げると歩道橋、この季節になると花火大会の
時の歩道橋事故を思い出してしまいます。

 …もうすぐ夏、今日の神戸も蒸し暑くなりそうです。

posted by student at 15:44| 日記

2010年07月03日

垂水の街

今日の神戸は朝から雨が降り続いています。
朝には時折激しく雨が降っていました。

 神戸の西の端・垂水。JRは快速電車が停車して
山陽電車は特急が停車、駅の西口と東口にそれぞれ
バスターミナルがあり、駅前は結構賑やかです。

 そんな垂水の街の中にある銭湯…というよりも
お風呂屋さんです。ここはまだ利用したことが
ありません。神戸が震災に見舞われて時、ガスや
水道が復旧するまでは、この銭湯に行列ができて
いたのを目にした記憶があります。



 垂水の街の真ん中、東口と西口を結ぶアーケード
商店街・垂水センター街です。お昼前や夕刻は
賑やかですが、朝6時前は、シャッターが閉まって…



 垂水駅の西に広がる丘陵地帯へ至るバス道、
この坂を垂水坂と名付けた地元のケーキ屋さん
たるみ坂・レーブ・ドゥ・シェフは、今は駅前に
店舗を構えて、この坂にある店舗跡は工場に
なって…。この坂をたるみ坂と呼ぶのを最近
耳にしたことがありません。



 通勤の行き帰りや垂水の駅前でショッピング
する時に目にする、私にとっての日常の光景
です。

posted by student at 15:39| 日記

2010年06月29日

朝と夜

 今朝の神戸は朝日が射し込んで・・・自宅から
JR神戸線・垂水駅まで歩いていると、道端の
あじさいの花に朝日があたって輝いていました。



毎週火曜日は、ゼミの日で、サテライトで
10時までなので帰宅が遅いのですが、夜11時前の
JR神戸線・垂水駅前、工事をしていました。



 この横断歩道は、垂水区の中でも、もっとも
人通りが多い場所のひとつで、朝や夕刻に工事を
すれば大混雑して危ないかもしれません。

 この工事を見て、深夜の帰宅を実感しました。
posted by student at 15:36| 日記

2010年06月26日

渋柿

 柿…正岡子規は、夏目漱石を評して「柿」と
言ったそうです。うまみがいっぱいあり、でも、
まだ渋味(しぶみ)が抜けないからという理由
だそうです。

 文学博士号を辞退した漱石、官の大学を辞して
民の朝日新聞に入った漱石は、まさにうまみと共に
渋みを持ち続けていたのかなあ〜と想像します。

 私が漱石の作品に惹かれ続けるのは、この渋み
のせいなのかもしれません。



 何日か前に撮った玄関先のあじさい、



ついつい撮ってしまいます。



そして… ようやく淡い紫の色が…



 最寄り駅のJR神戸線のホームから見える
明石海峡大橋の本州側の主塔です。距離は数キロ
あるのですが、巨大な構造物なので、垂水駅の
ホームからも、その姿を大きく眺めることができます。



 勤務校近くのスーパーで、ネーミングが気に入って
買ったカップ麺・「夏ときめきうどん」です。
これを食べるとときめくのかなあ〜と…ちなみに
まだ食べていません。



 先週発売された、イオン・ジャスコの88円の
新ジャンルビール類・バーリアルです。他のビールや
発泡酒とは別に、レジ横に冷やされずに山積みされて
いました。私にはじゅうぶん美味しいです。



そして参議院議員選挙…



昨日の朝は傘を持たずに出勤しましたが。午後から
雨が降り始め、帰りは職場の置き傘を使いました。

 昨夜から時折雨が激しくなって…そして今朝は強い
雨が降り続いています。今日の神戸は一日雨かも
しれません。

posted by student at 15:31| 日記

2010年06月13日

梅雨・・・

 今朝のラジオのニュースでは、今日の神戸は
雨模様のようで、ひょっとしたら今日にも
梅雨入り宣言があるかもしれません。暦の上での
入梅は一昨日でした。



 麦の収穫も終わって、田んぼの稲もこれから
すくすく育つ時節です。



 神戸の西隣・“稲が美しい町"と書く稲美町
では、水を湛えた水田で、まだ小さい稲の苗が
等間隔に並んでおり、梅雨前の長閑な田園風景の
光景が広がっています。



 水田の水面に陽射が照り輝く光景、水田を泳ぎ
回る小さな虫…遠くで聞こえる鳥の鳴き声の中で
静けさを感じるひとときでした。



 田植えが終わった田んぼに、ぽつんと取り残された
苗の束…



posted by student at 15:21| 日記

2010年06月12日

純白の紫陽花

玄関脇の紫陽花の花が咲いたのですが、色が白…



 淡い色の花が咲いて欲しいと思って、「花が咲く」
と銘打った肥料を買ったのですが、大きく咲いた花は
例年と同じ真っ白でした。



 ちょっと寂しいような…でも、真っ白い紫陽花を
毎朝愉しんでいる気持ちもあります。



 リビングの南の小さなスペースに、小さな花が咲いて
います。道端や畦道だったら、雑草と見過ごすような
可憐な花です。



 1週間ほど前のJR神戸線・須磨駅の上りホームから見た
駅のすぐ南に広がっている砂浜と海です。



この駅のすぐ南にも、海の家が建ち始めました。



 昨日の神戸は、真夏のような一日でした。今朝も
朝から真夏のような快晴と陽射です。
posted by student at 15:16| 日記

2010年06月05日

貨物列車

昨日の通勤の帰り途、JR神戸線の灘駅のホームから
東側に貨物列車が停まっているのを見掛けました。

 列車事故で運行休止があってダイヤが乱れている
のかなあ〜と思ったのですが、電光掲示板にも駅の
アナウンスもありません。停まっている貨物列車を
よく見ると、ちょっと変です。ホームの端まで行って…



 内側の2本の線路が普通電車と快速電車、その外側が
新快速電車、特急列車そして貨物列車が通る線路という
複々線になっています。停車している貨物列車は、更に
その外側の線路(待避線というのでしょうか?)に
停まっていました。

 灘駅の東側には、元々は東灘駅という貨物駅があった
そうで、神戸製鋼の製鉄所への専用線への分岐や、
貨物駅の神戸港駅へ向かう神戸臨港線の分岐があり
ましたが、専用線も神戸臨港線も廃止されて、今は
東灘信号場というそうです。貨物列車や回送列車の
待避のために複々線の外側にそれぞれ1本の待避線が
設けられているようです。

 ホームの端から観察していると、複々線の外側の
下り列車線に列車が近づいてきました。



 新快速電車ではなくて、特急列車のようです。この
特急の通過待ちのために、退避線で停車していた
ようです。



 普通電車が到着すると同時ぐらいに、貨物列車が
動きだしました。カバンの中からポケット時刻表を
取り出して探すと…さっきの特急は「はまかぜ5号」
大阪発鳥取行きの特急だったようです。

 その約5分前には新快速電車が走っていたようなので、
この貨物列車は、新快速と特急「はまかぜ5号」を、
待避線で通過待ちしていたのかもしれません。

 その後、私の乗った普通電車(灘駅18時27分)と、
貨物列車は抜きつ抜かれつしながら…。でも、
この約10分後には次の新快速が神戸駅から明石駅まで
ノンストップで同じ列車線を走り抜けるダイヤになって
います。普通電車と同じような速度で列車線を走って
いると、後続の新快速に影響するのではないかと、
ちょっと心配になりました。

 私の乗った普通電車が鷹取駅で停車していると、
後から追いついた貨物列車が、かなりノロノロ運転に
なっていました。ここでやっと気がつきました。
鷹取駅にはJR貨物の神戸貨物ターミナル駅が併設されて
います。この貨物列車は、ここで停車するので、
新快速は、楽々と列車線を疾走することができるように
なっていたのでした。心配することはなかったようです。

 ネットで調べると、神戸貨物ターミナル駅に18時40分に
到着して19時46分に発車し、高松に23時54分到着の
貨物列車だったようです。

 密集した京阪神のダイヤを潜り抜けて、貨物列車が
運行しているんだなあ〜と、これまで何気なく眺めて
いた貨物列車の運行って凄いんだなあ〜と感じました。

posted by student at 15:10| 日記

2010年06月04日

神戸

 神戸のイメージは…港、異人館、六甲山、南京町・
でしょうか?

 明治12年(1879年)の神戸区誕生、及び明治22年
(1889年)の市制施行による神戸市の誕生当時の神戸の
町は、おおまかに現在の中央区と兵庫区ぐらいの地域
になります。古い港町であり宿場町である兵庫の町と
新しい貿易港・神戸町が核となる地域が、古くからの
神戸の街です。

 旧・神戸村の西国街道沿いとなるJR三ノ宮駅の高架
ホームから見た山手方面(北側)は・



1kmほど北には、六甲山系の山並みが迫っています。



 旧・西国街道沿いを歩いていると、南北の通りの
山手側には、ビルや家々の向こうに六甲の山並が
迫っているのを目にします。

 神戸市は、その後、現在の長田区と須磨区の地域を
編入して、そして昭和時代に入って現在の垂水区と
灘区、そして北区と西区の地域を編入して、最後に
東灘区の地域を編入して、その後は人工島のポート
アイランドや六甲アイランドが築かれて現在の神戸市と
なりました。

 *

 神戸の市章は…



 こうべの旧仮名遣い「カウベ」の“カ”をデザインした
そうですが、兵庫港(大輪田泊)と神戸港の2つの港の形と
港湾に因む錨のイメージも持たせたものだとも言われて
います。



 神戸市の花は…あじさいです。



 今朝、通勤途中で、朝日を受けて輝いていたあじさいを
目にして、カバンからデジカメを取り出して…



 淡いあじさいの花が、朝日に照り輝いて、なんだか、
そこから立ち去るのが忍びなく…



 幸い、人通りがなかったので、カバンを道路に置いて
更に何枚か撮りました。



いろいろなアングルから、いろいろな色のあじさいを・



時の経つのを忘れて撮り続けました。



 あじさいの花が綺麗だなあ〜と感じるようになって、
急に神戸の街は暑くなったようにも思います。

posted by student at 15:06| 日記

2010年06月03日

須磨、海の家

 今朝は、いつもより早く家を出て、いつも乗る
電車よりも早い電車に乗って…

 須磨駅で電車を降りると、上りホームから、
下りホーム越しに須磨海岸の砂浜がすぐそこに
見えています。



 駅の階段を下りると、そこは砂浜…というのが
JR神戸線・須磨駅の海岸側の出口です。

 朝の須磨海岸は、人影もまばらで、波音が静かに
聞こえてきました。



 実は昨日、海の家を建てている光景を車窓から見た
のが、今朝、須磨で途中下車しようと思ったきっかけ
です。



 もう、海の家の季節…2,3日前から、汗ばむことが
多くなりました。もう夏…

 この須磨海岸に立って西の方向を眺めると、そこには
五畿内・摂津の国の最果・国境の山である鉢伏山の稜線が
明石海峡になだらかに続いているのを見ることができます。
私は、反対側の西国・播磨の国の垂水郷から、この稜線を
眺めています。



再び駅に向かおうと、砂浜から改札口へ向かう階段を
上る時に目にした注意書きです。



 再び上り電車に乗って、通勤モードに戻りました。
元町を過ぎた辺りで、高架の阪急三宮駅から、地下の
神戸高速・花隈駅へ向かう山陽電車とすれ違いました。
左側の車窓に、シルバーのボディーに赤い帯がある
山陽電車が見えます



今日の神戸は、暑い一日でした。


posted by student at 14:59| 日記

2010年06月02日

丸善とハヤシライス

 今日6月2日は…

 横浜港開港記念日です。

 安政6年(1859年)6月2日、前年に締結された日米修好
通商条約によって横浜港が開港した日です。

 そして、横浜港の開港とともにカレーも日本に入って
来たとして、6月2日はカレーの日だそうです。

 ちなみに神戸港が開港したのは慶応3年(1868年)1月1日
です。

 *

 横浜とカレー…にちなんで思い出したのが丸善と
ハヤシライスの話です。



 丸善の創業者は早矢仕(はやし)有的(ゆうてき)です。
早矢仕有的は、美濃の国の医師の息子として生まれて、
父親の後を継いで医師を志し、18歳のときに郷里で開業
していたそうです。

その後江戸に出て蘭学を学んで江戸の町で開業し、福沢諭吉の
門下生となって、諭吉に実業の才能を認められて、明治2年
(1869)に諭吉のバックアップを受けて横浜に、事実上
日本の株式会社第一号となる丸屋商店を創業したそうです。
その時の代表者が「丸屋善八」という架空の人物で、
これが現在の社名・丸善の起源だそうです。

 丸善は、当初は書店と薬店で、その後唐物(からもの)を
扱うようになって…、翌年には東京日本橋に丸屋善七店
(書店)を開業し、これが丸善・日本橋店です。

 今はありませんが、かつては神戸・元町に丸善がありました。
場所は…旧・走水村の西国街道沿いで、居留地の北端に
位置する場所です。現在の元町商店街の東端・大丸前の
スクランブル交差点の近くでした。

 一階は唐物(洋品、スーツ、文房具)、2階は書籍と
メガネ等の小物、そして3階は洋書だった記憶があります。
ハイカラな店というよりも大人の店…もっと言えばおじ様
の店といったイメージがあります。

 そして社のキャンパスの書籍売り場は丸善でした。



 ハヤシライス…、丸善がハヤシライスの生みの親という
説があります。早矢仕有的が考案したカレーがハヤシライスで
丸善のレストランのメニューになったのがハヤシライスの発祥
だそうです。



 そして6月2日は…鳩山首相の辞任を表明した日という
ことになってしまいました。夕方、職場に届いた3紙の
夕刊のトップニュースは、同じような見出しで、このことを
伝えていました。



 ちなみに6月2日は、本能寺の変が起こった日でも
あります。そして神戸にも所縁の深い福原京の遷都の日、
平清盛が孫であった幼帝・安徳天皇を奉じて兵庫の町の
近くに都を築いて遷都した日でもあります。
posted by student at 14:53| 日記