2010年12月19日

神戸・三宮 〜150年〜

 12月になって、神戸の繁華街・三宮(さんのみや)の
街風景も華やかになったような気がします。

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 昨日、NHK-BSで、横浜を取り上げていた5分間の番組、
「新日本風土記ミニ 〜恋の舞台をたどる・横浜の恋歌〜」
の冒頭で 『150年前は、寒村でしかなかった横浜は・・・』
というようなテロップが入りましたが、それを目にして、
神戸とのアナロジーを感じました。

 大都市・江戸に近い東海道の神奈川宿は神奈川湊・
港町としても栄えた古い町です。横浜村は、その
神奈川湊の近くの寒村でした。神戸村も京の都や
大都市・大坂に近い山陽道の兵庫宿の近くで、兵庫は
平清盛の時代には貿易の拠点港でもあった中世からの
港町・兵庫津です。

 横浜村は・・・JR横浜駅の近くではなくて、根岸線の
関内駅の辺りにあり、伊勢佐木町が横浜村の集落が
あったのでしょうか? そして神戸村もJR神戸駅が
最寄駅ではなくて、三ノ宮駅辺り、神戸市役所周辺に
神戸村の集落があったのではないかと思います。

 150年前の神戸・・・、東遊園地の南に広がって
いた浜(安永新田浜)には、船蓼場がありました。
神戸村の西隣にあった二ツ茶屋村(現・元町辺り)の
呉服商・網屋吉兵衛が兵庫津の港の近くに船蓼場
(フナクイムシを駆除するためのドック)を私財を
投じて建設を計画したのが、この神戸村の浜だった
そうです。

 網屋吉兵衛は、その後、この浜で将軍・徳川家茂に
謁見して神戸開港の是非を問われたそうで、将軍との
謁見を仲介した勝海舟はこの船蓼場に隣接して神戸
海軍操練所を建築、神戸税関の辺りになります。

 先週の三宮の夜、震災で建替えられた国際会館です。

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 そして三宮センター街です。元町商店街が旧西国
街道(山陽道)になりますが、三宮センター街も、
概ね旧西国街道の道筋に重なるようです。

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 JR三ノ宮駅の南、三宮交差点にある そごう神戸店
です。阪神電車三ノ宮駅と直結しており、三宮の
玄関口のような位置になります。


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 JR三ノ宮駅西口、阪急電車三宮駅東口と直結して
いる交通センタービル、このビルも震災で倒壊しました。

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 そしてJR三ノ宮駅の東口にある地元・神戸新聞の
新聞会館、このビルも震災で建替えられました。

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 この150年の間に、三宮(旧神戸村)の姿は大きく
変わりました。長らく山陽道沿いの寒村だったのが、
140年前に船蓼場ができ、神戸海軍操練所ができ、
神戸港が開港し、居留地ができ、生田川が付け替え
られて現在のフラワーロードができ、阪神・阪急の
ターミナルとなって、神戸の中心地としての繁華街が
湊川や新開地から三宮に移行して、そして戦災と
震災に遭って・・・

 ルミナリエが終わった後の年末の三宮は、異様な
騒がしさが消え去って賑やかな夜でした。


posted by student at 20:53| 日記