2010年09月23日

丘の手

 通勤で使っているJR神戸線の垂水駅に住宅の広告の
大きなポスターが貼っていました。



 神戸丘の手 舞多聞

 舞多聞は、UR(都市再生機構)が舞子の北、
多聞の地に新しく造成した住宅地の名前で、
UR都市機構のサイトによれば、

 『歴史的にも由緒ある「多聞」の地名に、「舞(まい)」を
組み合わせることにより、同音の英語「MY(マイ)」から
「我がまち」の意味を込めると共に、字の持つ意味と語感の
響きから「華やかさ」を表現しています』


 丘の手…耳慣れない言葉です。

山の手、住宅地 uptown  
下町、繁華街  downtown

 この2つの言葉は一般的で、更に神戸には「浜の手」
という呼び方があります。神戸駅の東口は浜の手、
西口は山の手と呼ばれており、また神戸の中心地を
通る国道2号線には「浜の手バイパス」という繁華街を
避けた港沿いの高架道路があり、神戸では「浜の手」
という呼び方も、何となく指し示す地域がイメージ
できます。

 丘の手をネットで調べると、横浜や横須賀、そして
東京の稲城の住宅地の愛称として用いられている
ようです。この「丘の手」という言葉もしばらくすると
耳慣れるのかもしれません。

 「〜の手」という表現をネットで検索すると、
平家物語に辿りつきました。義経が、京から
西京街道(現在の国道372号線)を経て三草山
(現・加東市)から鵯越(現・神戸市)へ至り、
そこから海辺へ至る部分です。

 『義経が勢中に奥州佐藤三郎継信、
同四郎兵衛忠信、江田源三、熊谷次郎直実、
平山武者所季重、片岡八郎為治、佐原十郎義連、
後藤兵衛実元を始として、兵三十余騎、その勢
二千余騎、義経に附き、残り七千余騎をば、
土肥次郎、田代冠者両人を大将軍として、山の手を
破り給へ、我身は三草山をうち廻りて、鵯越へ
むかふべしとて歩ませける』
 平家物語 長門本巻第十六 五百七十三頁

 『去程に夜もほのぼのと明ければ、
熊谷又申けるは、平山は九郎御曹司の御供にて
山はよもおとさじ、浜の手には心はかけたるらん』
 平家物語 長門本巻第十六 五百七十八頁


 「〜の手」という表現は、〜側、〜の近く、
〜の附近というような位置関係を表すようです。

 「山の手」は、全国共通の表現かと思って
いましたが、東京、大阪、神戸など、一部の地域
のみの表現のようです。

東京の山の手 ー 江戸期の高台の武家地域
大阪の山の手 − 上町台地
神戸の山の手 − 六甲山南麓の地区 
  例) 山手幹線、中山手通り、下山手通り

 東京では、隅田川沿いの地域を「川の手」と
呼ぶようです。そして「浜の手」という表現は
神戸だけではなくて横浜でも…

 「山の手でもない浜の手でもない駅の手」という
表現を芦屋駅近くのマンションの広告に使われて
いました。『駅の近く』というニュアンスを込めた
言葉のようです。

 そして「山の手」に対する下町・ダウンタウンを
「街の手」や「町の手」という表現もしている
ようです。市街地の中というニュアンスを込めた
言葉のようです。

 「浜の手」という表現と「海の手」という表現の
違いは…語感やニュアンス、感覚の差かもしれません。

posted by student at 21:56| 日記