2010年08月31日

正一位 と アンニュイ

 暑くて長い夏の疲れなのか、昨日も今日も
けだるくて物憂いような、アンニュイ(ennui)な
気分で、出勤前のサイクリングをしませんでした。

もう明日は9月、梅雨明けから続けていた出勤前
サイクリングも、もうピリオドです。

 写真は日曜の朝の林崎海岸です。前日の砂山が
崩れかけて、播磨灘の彼方・淡路の島影の西には
白い雲、そして浜辺は静かで、後の松林からは
時折セミの鳴声が聞こえてくる程度でした。





 来月9月25日公開される「十三人の刺客」は
明石城主松平斉宣(なりこと)をモデルにした
映画です。斉宣は11代将軍徳川家斉の二十五男で
暴君と言われています。

 私の住んでいる神戸の垂水・播磨国明石郡は
江戸期の最初は播磨一国を治めていた姫路城主
池田氏の所領でしたが、池田氏が鳥取に転封に
なると明石郡は明石城主の所領となって明治維新
まで続きます。

 明石の歴代のお殿様を調べると位階が従五位下か
従四位下、幕末には従四位上が叙位されています。
位階の頂点は正一位、どんな人物に叙位されたか
調べてみました。

 603年の冠位十二階の制度によって冠位が
授与されたのが始まりのようで、その後701年の
大宝律令、718年の養老律令によって位階の制度が
整備されたそうです。

 はじめて正一位に叙せられたのは藤原鎌足の
息子である藤原不比等ですが、これは死後に
贈られたものです。2番目の正一位は藤原不比等の
娘の藤原宮子です。文武天皇の夫人になりますが、
当時は皇族のみが皇后と称したそうで、天皇夫人
ですが皇后ではなかったようです。藤原宮子は
生前に正一位に叙せられています。
 その後、皇室と姻戚関係を結んで摂関政治を
行った藤原氏の一族が中心に正一位に多く叙せ
られています。

 鎌倉期以降は正一位の叙位は途絶えていますが
徳川家康に、死後正一位が授与され、最後の将軍
慶喜以外の歴代の将軍には正一位が授与されて
います。

 明治期になって、建武の新政の立役者であった
楠木正成、水戸のご老公様・徳川光圀にそれぞれ
正一位が授与され、大正期に入って豊臣秀吉、
そして大正6年に織田信長に…。それ以降は正一位は
授与されていませんので、現在では最後の正一位を
叙位されたのは織田信長ということになります。

 正一位を叙位された面々を見ていると…藤原道長の
名前が見当たりません。調べると道長は従一位でした。

 ちなみに従一位を叙位された面々を見ると、
最近では元内閣総理大臣の吉田茂、そしてノーベル
平和賞の佐藤栄作。佐藤栄作の叙位が35年前です。
posted by student at 21:24| 日記