2010年03月20日

古城

 今日の神戸は午後から天候が崩れて荒れるとのこと、
朝は晴れていたので、自転車に乗って海岸沿いを西へ・

 旧明石郡山田村の川西地区、山田川の西側で、現在の
神戸市垂水区狩口台7丁目の砂浜からの明石海峡の眺め

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 海峡には春霞がかかって暖かいのですが、南風が強くて
海峡の海は波打っていました。砂浜に打ち寄せる波も
いつもより高く感じました。



  私が住んでいる処は、神戸市の西の端・垂水区ですが、
神戸市に編入される前は、明石郡、播磨の国になります。
明石郡は、現在の神戸市垂水区と西区のほぼ全域と
明石市の東側・明石の市街地(旧明石町)と林崎村、
大久保村、魚崎村になります。私が住んでいる処は、
江戸時代には明石城主がお殿様ということになります。

 明石城…、現在は明石駅の北に広がる明石公園の
中にありますが、ここに築城されたのは1617年(元和3年)
です。信州松本城主だった小笠原忠真が明石に転封
となって、10万石の譜代大名の居城にふさわしい城郭を
建設するように2代将軍徳川秀忠より築城命令が下った
ようです。その前の明石のお城は、明石川の右岸・林崎村
にありました。

 船上城…、豊臣秀吉による天正の国替えのよって、
高槻城だった茶人でキリシタン大名であった高山右近が
それまでの明石則実に代わって枝吉城の城主となりました。
高山右近は名築城家でもあったそうで、船上城の築城と
城下町の建設に取り掛かって1586年(天正14年)に船上城と
城下町をつくったようです。1587年(天正15年)バテレン
追放令によって高山右近は追放されることになりますが、
この2年間の間に港を整備し(現在の林崎漁港)瀬戸内
航路を利用して堺に行き来する貿易船の中継港だった
そうです。

 現在は…田畑の中に残る盛り土の林が船上城の本丸跡
と言われいます。

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この小さな林の中には古城大明神の祠があります。

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 管理をされておられる方がいらっしゃるようで、
何度か訪れたことがあるのですが、下は綺麗に
掃き清められた跡が残っています。

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本丸跡の北側から東側にかけての流れが、堀跡で
濠であったそうです。今も残っています。

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本丸跡の西にある宝蔵寺は、当時は城内で教会
として使用され、外国人宣教師が数人常駐して
いたようで、キリシタン大名であった高山右近の
2年間に二千名が信者となったとの記録もある
そうです。

 *

先週の週末は2時間ほど走って汗ばむ程度でしたが、
今日は風が強くてそれほど距離は走らなかった
のですが、自宅に戻る頃には汗が流れてすぐに
シャワーで汗を流しました。

 結局、午後からも風は強いですが晴れが続き、
夕方になって厚い雲に覆われました。
posted by student at 16:00| 日記