2010年01月17日

震災の朝に思うこと〜蛙の祈り

 私の手許に『蛙の祈り』という一冊の本があります。

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 著者は、A.デ・メロというインド人のカトリック司祭で、
西洋のキリスト教を東洋に押し付けるという布教の立場
ではなくて、東洋の霊性を尊重された方で、この本の
中にはラビ(ユダヤ教の指導者)やグル(ヒンドゥー教の
指導者)、仏教の僧侶の話が収められています。

 その中で「活字にならなかった経文」という日本の
僧侶の挿話が収められています。

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  鉄眼は禅の僧侶であった。彼は一念発起、
 一大事業を思い立った。それまでは中国語で
 しか手に入らなかった経文を日本語で七千部
 印刷しようという壮大な計画であった。

  彼は日本国中を駆けめぐり、資金を集めた。
 富裕な人々が大金をポンと寄付してくれる
 こともまれではなかったが、寄付の大半は
 農夫、庶民からの小銭だった。鉄眼は大金にも
 小銭にも額にかかわりなく、寄進者には同様に
 感謝を表わした。

  十年後、事業遂行に十分なお金が集まった。
 ちょうどそのころ、宇治川が氾濫し、数千人が
 家を失い、食べるにも事欠くありさまとなった。
 鉄眼は長年温めてきた事業のための資金を困窮
 する人々のために投げ出した。

  そしてまた一から資金集めを始めた。必要な
 金額に達するまで、また数年を要した。こんどは
 全国に伝染病がまんえんした。鉄眼は災難に
 苦しむ人を救済するため、このお金を投入した。

  三度目の募金活動が二十年を迎え、日本人が
 日本語の経文を手にするという夢が現実となった。

  経文の邦訳第一版を印刷した台木は、京都の
 黄檗宗の寺院に保存されている。日本では、
 子々孫々つぎのように言い伝えられている。
 鉄眼は経文を計三回出版した。はじめの二版は
 幻の出版となったが、その出来具合は、三度目
 のより、はるかに優れていたと。

 *


 今朝、NHKのラジオで流れている震災の放送を
聴きながら、「型としての宗教」と「形としての信仰」
とのアナロジーとして、本棚のこの本を手にとりました。

 「行動」と「こころ」、「ボランティア」と「善意」
「防災訓練」と「救助」・・・
 
posted by student at 08:21| 日記