2010年01月10日

漱石ゆかりの地と温泉、泡盛

 3連休の真ん中の日曜日、神戸の朝は曇り空が広がって
いましたが、青空が広がってガラス戸越しに柔らかい
冬の陽が部屋の奥まで射し込んできました。2,3日の間
厳しかった寒さもようやく緩んで、穏やかな休みの朝です。

 2晩続けての飲み会だったので今朝は朝湯、近くの
温泉まで出掛けました。一番近い垂水温泉・太平の湯は
土日は朝8時から10時までは入浴料が会員400円
だったので時々利用していたのですが、年明けからは
残念ながら朝8時から土日料金の会員700円になって
しまいました。ちょっと離れた華の湯へ足を伸ばし
ました。ここは入浴料が410円です。

 帰路、業務スーパーに立ち寄って買い物、ここは鵯越
の近くで、山の奥だった処にホームセンターや住宅地が
できたニュータウンです。

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 旧・西神戸有料道路を通って、舞子のガソリンスタンドで
灯油も買いました。舞子坂の赤信号で停まった時に、
目の前に明石海峡大橋が・・・、カバンからデジカメを取り
出して、信号が青になる前に一枚・

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 自宅のベランダの灯油のストッカーです。現在3つが
満タンで、手前の1つが半分くらいです。外の容器は
予備で、この冬新しく買ったストッパー付きの給油ポンプ
です。

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 温泉と業務スーパー、ガソリンスタンドに寄って
自宅に戻ると、もう12時前、昼食後は読書をしました。

 *

 明石市立中崎公会堂です。

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 東経135度の子午線の東数十メートルの処、
大蔵海岸の西の端、山陽電車の人丸前駅の南に
あります。
 ここは、明治の文豪・夏目漱石ゆかりの場所の1つ
です。明治44年に明石郡立公会堂として建てられた
時にこけら落しの記念講演をしたのが漱石でした。

 当時の漱石は人気作家で、明治38年1月にホトトギスに
掲載された「我輩は猫である」が好評で「坊ちゃん」も
大人気となり、帝大の教職を辞して明治40年に
朝日新聞社へ。「虞美人草」、「三四郎」、「それから」
と連載を続けていましたが43年に「門」の連載中に
胃潰瘍となって療養先で、修善寺の大患となり、東京での
入院生活が続くことになります。そして病状が
落ち着いた頃に、明石海峡越しに淡路を望み、松林が
広がる風光明媚な舞子の浜に近い中崎公会堂のこけら落しで
記念講演をしたことになります。この間、文学博士号の
辞退が44年2月、これも当時は大きなニュースだった
ようです。

 漱石全集の日記を読むと、8月9日は暴風雨で東海道線
が不通、当初は8月10日に新橋を発つ予定だったよう
ですが翌8月10日も台風で不通で、日記には電報の
やりとりが書かれています。結局11日に新橋から
東海道線に乗って大阪に向かい、12日には箕面の滝を
見学したようで、夜の8時半に明石の旅館に着いて
波音を聞きながら寝たようです。
 講演会当日の8月13日は朝に小船に乗って、浜から
ちょっと 沖まで出たようで、午後に講演とのこと。
講演の内容は、日記には書かれていません。

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 翌日は和歌の浦へ行って、16日に大阪に着いた迄の
日記はありますが、その後倒れたようで大阪で入院して、
11月11日まで日記は途絶えています。

 漱石の作品に描かれている低徊趣味の光景と違って、
漱石自身は、特に中崎公会堂で講演をした頃は、心身
ともに多忙で神経衰弱だったようです。

 今まで漱石全集の日記は断片的に読むだけだったの
ですが、最近は、順番に読んでみようかな〜と思って
います。



 夜、食事前に、久米島の久米仙をロックで・・・
3日続けて、泡盛を味わったことになります。

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posted by student at 22:22| 日記