
大江光…作家の大江健三郎の長男です。障碍を持って生まれた大江光の出生の時の苦悩を語った東京女子大での講演『信仰を持たない者の祈り』は、NHKで放映されて録画していたのですが、紛失してしまい、新潮社からカセット文庫が出た時に購入しました。

言葉を発しなかった息子が、鳥の声に敏感に反応する様子を見て、鳥の声を録音したレコードをテープにとって繰り返し聞かせていたそうです。そのレコードには、鳥の鳴き声と共に、鳥の声を紹介するアナウンサーの声が入っていたそうです。
避暑で訪れた軽井沢の杜の中を、息子の光を肩車して散策している時に、鳥にの鳴き声が聞こえて、その後に、頭の上から「クイナ、です。」と、アナウンサー口調の声が聞こえたそうです。一瞬何が起こったのか…わからなかったそうです。それは、生まれて初めて聞いた息子の「声」だったようですが、幻聴かもしれないと思い、もう一同クイナが鳴かないかなあ〜と思ったそうです。
以下、大江健三郎の文章を、そのまま引用すると、
…もう一度クイナが鳴いて、もう一度息子の声が聞こえたら、
もしかして息子は、人間の言葉を喋り始めるのかも知れない…
私は待ちました。目の前に一本の木若いダケカンバの木が日を
浴びて風に揺れている。それを見つめながら私は待ちました。
…その時、私は祈っていたのだと思います。私はカソリックを
信じません。プロテスタントを信じません。仏教を信じません。
しかし、そのような信仰のない私も、その時、まぎれもなく
祈っていたのです…やがてクイナが鳴きました。そして、私は、
頭の上で、息子の澄んだ声がはっきりと言うのを聞きました。
「クイナ、です。」
『人生の習慣(ハビット)』に収録された講演録「信仰を持たない者の祈り」より
大江にとって、この待っていた時間は、そしてクイナが再び鳴き、そして息子の声を再び耳にした時の記憶は、今も鮮やかに残っているんだろうなあ〜と、大江光の、静かで素朴なピアノの調べを聞きながら、大江の「喜び」に思いを馳せながら…
石油ストーブの温もり、住宅地の中の静けさ、そして素朴なピアノの調べ…、このゆっくりとした時の流れがいつまでも続けばいいなあ〜と、夢のようなことを思ってしまいました。