毎週火曜日は、神戸サテライトでのゼミが
あります。勤務校では進路指導を担当して、
この時期は就職試験の不調者の対応があり、
今日は6時前まで進路指導室で生徒の対応を
した後に、灘駅に向かおうと校舎を出ると、
六甲山系の上の雲が夕日に照らされて綺麗
でした。
JRで神戸駅へ向かい、ハーバーランドの
キャナルガーデンへ…
神戸サテライトは、神戸情報文化ビル
(エコール・マリン)の3階にあります。
サテライトのエントランスには、今も
インフルエンザ感染予防のアルコール消毒を
しっかり実施しています。
ゼミがある演習室10です。
この日も、10時までゼミ、帰宅すると
11時を過ぎていました。朝6時過ぎに自宅を
出て帰宅するまで17時間…火曜日は長い
一日です。
2010年09月28日
神戸サテライトでのゼミ
posted by student at 22:59| 日記
2010年09月26日
小野
小野…といってもそろばんの町として
全国的なニュースに時々登場するぐらいで、
あまり有名な地名ではないかもしれません。
小野小町(おののこまち)は秋田県の
雄勝郡雄勝町小野(現秋田県湯沢市小野)
の出身で、兵庫県播磨の小野市とは
残念ながら関係がありません。
小野市は、元加東郡小野町を中心として
います。加東郡とは「加古川の東」の意で、
加古川の西には加西郡がありました。現在は
加西郡北条町を中心として、ほぼ加西郡が
そのまま加西市となっています。それに対して
加東郡は、小野町を中心に加東郡の南側が
小野市となって、加東郡の北側は社町を中心に
加東市となっています。
JRには加古川線に小野町駅があります。
でも小野町駅は旧・加東郡小野町ではなく、
加古川を挟んで西側の旧・加東郡来住村にある駅で
小野町までは2キロ以上離れており、小野町駅
の駅前は、現在は閑散としています。
小野の町の中心地からちょっと離れた処
にある小野市役所には、そろばんの町としての
モニュメントとして大きなそろばんがあります。
(今年、2010が入っています。)
小野市の中心は…神戸電鉄小野駅前でしょうか?
小野の市街地を貫くようにしてアーケードの
小野商店街・サンロードがあります。
でも、駅前の商店街の入り口の両脇の店は
すでに無く、しばらく前から更地になっています。
小野商店街はほぼ南北に500メートル以上
続いています。
ただシャッターが閉まったままの店舗も多く、
すでに更地になっている処も少なくなかったです。
そんな中で神戸の街中ではあまり見掛けない
結納の専門店が営業していました。
傘の専門店、店内は傘ばかりが並んでいました。
商店街の中に、学生服の専門店が確か3軒
営業していました。地元指向は強いようです。
商店街の中小さなスーパーはありましたが、
生鮮食料品を扱う八百屋さんや魚屋さんは
ありませんでした。
小野商店街の北側の数百メートルの範囲に、
大きな駐車場があるショッピングセンターのサティー、
24時間営業のマックスバリュー、北播磨に多い
スーパー・フレッシュさとう、そしてホームセンター
が2軒あり、郊外型の大型ドラッグストアが3軒
あり、日常の生活用品は、周辺の住宅地から車で
それらの店舗に流れているようです。
*
小野商店街と市役所の間にある権現池、
県道沿いにある大きな人形の専門店は、
店舗が池の上になって、この道を車で
通る時は、つい目が…
猛暑が続いて権現池の水位が低いですが、
満水に近い時には、水面の上の店になります。
全国的なニュースに時々登場するぐらいで、
あまり有名な地名ではないかもしれません。
小野小町(おののこまち)は秋田県の
雄勝郡雄勝町小野(現秋田県湯沢市小野)
の出身で、兵庫県播磨の小野市とは
残念ながら関係がありません。
小野市は、元加東郡小野町を中心として
います。加東郡とは「加古川の東」の意で、
加古川の西には加西郡がありました。現在は
加西郡北条町を中心として、ほぼ加西郡が
そのまま加西市となっています。それに対して
加東郡は、小野町を中心に加東郡の南側が
小野市となって、加東郡の北側は社町を中心に
加東市となっています。
JRには加古川線に小野町駅があります。
でも小野町駅は旧・加東郡小野町ではなく、
加古川を挟んで西側の旧・加東郡来住村にある駅で
小野町までは2キロ以上離れており、小野町駅
の駅前は、現在は閑散としています。
小野の町の中心地からちょっと離れた処
にある小野市役所には、そろばんの町としての
モニュメントとして大きなそろばんがあります。
(今年、2010が入っています。)
小野市の中心は…神戸電鉄小野駅前でしょうか?
小野の市街地を貫くようにしてアーケードの
小野商店街・サンロードがあります。
でも、駅前の商店街の入り口の両脇の店は
すでに無く、しばらく前から更地になっています。
小野商店街はほぼ南北に500メートル以上
続いています。
ただシャッターが閉まったままの店舗も多く、
すでに更地になっている処も少なくなかったです。
そんな中で神戸の街中ではあまり見掛けない
結納の専門店が営業していました。
傘の専門店、店内は傘ばかりが並んでいました。
商店街の中に、学生服の専門店が確か3軒
営業していました。地元指向は強いようです。
商店街の中小さなスーパーはありましたが、
生鮮食料品を扱う八百屋さんや魚屋さんは
ありませんでした。
小野商店街の北側の数百メートルの範囲に、
大きな駐車場があるショッピングセンターのサティー、
24時間営業のマックスバリュー、北播磨に多い
スーパー・フレッシュさとう、そしてホームセンター
が2軒あり、郊外型の大型ドラッグストアが3軒
あり、日常の生活用品は、周辺の住宅地から車で
それらの店舗に流れているようです。
*
小野商店街と市役所の間にある権現池、
県道沿いにある大きな人形の専門店は、
店舗が池の上になって、この道を車で
通る時は、つい目が…
猛暑が続いて権現池の水位が低いですが、
満水に近い時には、水面の上の店になります。
posted by student at 22:05| 日記
2010年09月25日
夜の三宮
自宅から職場まで、JR神戸線で通勤しています。
途中には神戸の繁華街である三宮や元町が
ありますが、あまり寄り道をすることがないです。
三宮で食事や呑むことはあっても、最近は予約して
駅から直行することが多く、夜の街をブラブラ
することがなかったのですが、昨晩は買い物も
あって、久々に夜の三宮の街をブラブラしました。
三ノ宮駅とそごう神戸店を結ぶ歩道橋からの
交差点「三宮」の夕景…。この歩道橋は
職場から駅に向かう人と駅から夜の街へ向かう人
とで大変混雑していました。
センター街の入り口で人だかりがしていました。
大道芸というほどのものではありませんでしたが、
皆さんじっと見ていました。
休日に郊外のショッピングセンターや量販店で
買い物をすることが多くなって、三宮や元町の
街をブラブラするのが面倒にさえ思うようになって
しまいましたが、久し振りの夜の三宮は、
ちょっとワクワクしました。
三ノ宮駅のホームから見た、フラワーロード、
三宮のメインストリートです。
三宮(さんのみや)は、地名としては三宮
ですがJRの駅名は三ノ宮駅、阪神や阪急は
三宮駅、ちょっと表記が違うようです。
ちなみに三宮の地名の由来は三宮神社で、
三宮の西隣の元町にある大丸神戸店の近く
にあり、元町の街の中に三宮神社があるように
感じます。
明治7年に大阪ー神戸間に鉄道が開通した時に
出来た三ノ宮駅は、現元町駅の東側すぐで、
三宮神社や居留地に近い位置だったようです。
生田川の付け替え工事で、旧生田川が滝道と
呼ばれ、三ノ宮駅も移転したようです。
途中には神戸の繁華街である三宮や元町が
ありますが、あまり寄り道をすることがないです。
三宮で食事や呑むことはあっても、最近は予約して
駅から直行することが多く、夜の街をブラブラ
することがなかったのですが、昨晩は買い物も
あって、久々に夜の三宮の街をブラブラしました。
三ノ宮駅とそごう神戸店を結ぶ歩道橋からの
交差点「三宮」の夕景…。この歩道橋は
職場から駅に向かう人と駅から夜の街へ向かう人
とで大変混雑していました。
センター街の入り口で人だかりがしていました。
大道芸というほどのものではありませんでしたが、
皆さんじっと見ていました。
休日に郊外のショッピングセンターや量販店で
買い物をすることが多くなって、三宮や元町の
街をブラブラするのが面倒にさえ思うようになって
しまいましたが、久し振りの夜の三宮は、
ちょっとワクワクしました。
三ノ宮駅のホームから見た、フラワーロード、
三宮のメインストリートです。
三宮(さんのみや)は、地名としては三宮
ですがJRの駅名は三ノ宮駅、阪神や阪急は
三宮駅、ちょっと表記が違うようです。
ちなみに三宮の地名の由来は三宮神社で、
三宮の西隣の元町にある大丸神戸店の近く
にあり、元町の街の中に三宮神社があるように
感じます。
明治7年に大阪ー神戸間に鉄道が開通した時に
出来た三ノ宮駅は、現元町駅の東側すぐで、
三宮神社や居留地に近い位置だったようです。
生田川の付け替え工事で、旧生田川が滝道と
呼ばれ、三ノ宮駅も移転したようです。
posted by student at 21:58| 日記
2010年09月23日
丘の手
通勤で使っているJR神戸線の垂水駅に住宅の広告の
大きなポスターが貼っていました。
神戸丘の手 舞多聞
舞多聞は、UR(都市再生機構)が舞子の北、
多聞の地に新しく造成した住宅地の名前で、
UR都市機構のサイトによれば、
『歴史的にも由緒ある「多聞」の地名に、「舞(まい)」を
組み合わせることにより、同音の英語「MY(マイ)」から
「我がまち」の意味を込めると共に、字の持つ意味と語感の
響きから「華やかさ」を表現しています』
丘の手…耳慣れない言葉です。
山の手、住宅地 uptown
下町、繁華街 downtown
この2つの言葉は一般的で、更に神戸には「浜の手」
という呼び方があります。神戸駅の東口は浜の手、
西口は山の手と呼ばれており、また神戸の中心地を
通る国道2号線には「浜の手バイパス」という繁華街を
避けた港沿いの高架道路があり、神戸では「浜の手」
という呼び方も、何となく指し示す地域がイメージ
できます。
丘の手をネットで調べると、横浜や横須賀、そして
東京の稲城の住宅地の愛称として用いられている
ようです。この「丘の手」という言葉もしばらくすると
耳慣れるのかもしれません。
「〜の手」という表現をネットで検索すると、
平家物語に辿りつきました。義経が、京から
西京街道(現在の国道372号線)を経て三草山
(現・加東市)から鵯越(現・神戸市)へ至り、
そこから海辺へ至る部分です。
『義経が勢中に奥州佐藤三郎継信、
同四郎兵衛忠信、江田源三、熊谷次郎直実、
平山武者所季重、片岡八郎為治、佐原十郎義連、
後藤兵衛実元を始として、兵三十余騎、その勢
二千余騎、義経に附き、残り七千余騎をば、
土肥次郎、田代冠者両人を大将軍として、山の手を
破り給へ、我身は三草山をうち廻りて、鵯越へ
むかふべしとて歩ませける』
平家物語 長門本巻第十六 五百七十三頁
『去程に夜もほのぼのと明ければ、
熊谷又申けるは、平山は九郎御曹司の御供にて
山はよもおとさじ、浜の手には心はかけたるらん』
平家物語 長門本巻第十六 五百七十八頁
「〜の手」という表現は、〜側、〜の近く、
〜の附近というような位置関係を表すようです。
「山の手」は、全国共通の表現かと思って
いましたが、東京、大阪、神戸など、一部の地域
のみの表現のようです。
東京の山の手 ー 江戸期の高台の武家地域
大阪の山の手 − 上町台地
神戸の山の手 − 六甲山南麓の地区
例) 山手幹線、中山手通り、下山手通り
東京では、隅田川沿いの地域を「川の手」と
呼ぶようです。そして「浜の手」という表現は
神戸だけではなくて横浜でも…
「山の手でもない浜の手でもない駅の手」という
表現を芦屋駅近くのマンションの広告に使われて
いました。『駅の近く』というニュアンスを込めた
言葉のようです。
そして「山の手」に対する下町・ダウンタウンを
「街の手」や「町の手」という表現もしている
ようです。市街地の中というニュアンスを込めた
言葉のようです。
「浜の手」という表現と「海の手」という表現の
違いは…語感やニュアンス、感覚の差かもしれません。
大きなポスターが貼っていました。
神戸丘の手 舞多聞
舞多聞は、UR(都市再生機構)が舞子の北、
多聞の地に新しく造成した住宅地の名前で、
UR都市機構のサイトによれば、
『歴史的にも由緒ある「多聞」の地名に、「舞(まい)」を
組み合わせることにより、同音の英語「MY(マイ)」から
「我がまち」の意味を込めると共に、字の持つ意味と語感の
響きから「華やかさ」を表現しています』
丘の手…耳慣れない言葉です。
山の手、住宅地 uptown
下町、繁華街 downtown
この2つの言葉は一般的で、更に神戸には「浜の手」
という呼び方があります。神戸駅の東口は浜の手、
西口は山の手と呼ばれており、また神戸の中心地を
通る国道2号線には「浜の手バイパス」という繁華街を
避けた港沿いの高架道路があり、神戸では「浜の手」
という呼び方も、何となく指し示す地域がイメージ
できます。
丘の手をネットで調べると、横浜や横須賀、そして
東京の稲城の住宅地の愛称として用いられている
ようです。この「丘の手」という言葉もしばらくすると
耳慣れるのかもしれません。
「〜の手」という表現をネットで検索すると、
平家物語に辿りつきました。義経が、京から
西京街道(現在の国道372号線)を経て三草山
(現・加東市)から鵯越(現・神戸市)へ至り、
そこから海辺へ至る部分です。
『義経が勢中に奥州佐藤三郎継信、
同四郎兵衛忠信、江田源三、熊谷次郎直実、
平山武者所季重、片岡八郎為治、佐原十郎義連、
後藤兵衛実元を始として、兵三十余騎、その勢
二千余騎、義経に附き、残り七千余騎をば、
土肥次郎、田代冠者両人を大将軍として、山の手を
破り給へ、我身は三草山をうち廻りて、鵯越へ
むかふべしとて歩ませける』
平家物語 長門本巻第十六 五百七十三頁
『去程に夜もほのぼのと明ければ、
熊谷又申けるは、平山は九郎御曹司の御供にて
山はよもおとさじ、浜の手には心はかけたるらん』
平家物語 長門本巻第十六 五百七十八頁
「〜の手」という表現は、〜側、〜の近く、
〜の附近というような位置関係を表すようです。
「山の手」は、全国共通の表現かと思って
いましたが、東京、大阪、神戸など、一部の地域
のみの表現のようです。
東京の山の手 ー 江戸期の高台の武家地域
大阪の山の手 − 上町台地
神戸の山の手 − 六甲山南麓の地区
例) 山手幹線、中山手通り、下山手通り
東京では、隅田川沿いの地域を「川の手」と
呼ぶようです。そして「浜の手」という表現は
神戸だけではなくて横浜でも…
「山の手でもない浜の手でもない駅の手」という
表現を芦屋駅近くのマンションの広告に使われて
いました。『駅の近く』というニュアンスを込めた
言葉のようです。
そして「山の手」に対する下町・ダウンタウンを
「街の手」や「町の手」という表現もしている
ようです。市街地の中というニュアンスを込めた
言葉のようです。
「浜の手」という表現と「海の手」という表現の
違いは…語感やニュアンス、感覚の差かもしれません。
posted by student at 21:56| 日記
2010年09月22日
ZARD 〜 揺れる想い
神戸駅の浜側・ハーバーランドの中にある神戸情報
文化ビル、このビルには神戸新聞の本社、商業施設の
カルメニとともに松方ホールが入っています。そして
神戸サテライトも…
松方ホールは、神戸新聞社の初代社長・松方幸次郎
の名を冠したホールです。松方幸次郎は川崎造船所の
初代社長でもあり、松方幸次郎の収集した美術品から
なる松方コレクションは、東京・上野の国立西洋美術館の
母胎となっています。
昨晩はゼミがあったので神戸サテライトに行くと
松方ホールに向かうエスカレータの前に長蛇の列が…
よく見るとZARDの大きなポスターがありました。
ZARDのコンサートがあるんだなあ〜と、良いなあ〜と
思って、しばらく歩いた後にふと、坂井泉水さんは
3,4年前に亡くなられたことを思い出して…???
ネットで確認すると昨晩の松方ホールで開催されて
いたのはZARDスクリーンコンサートでした。
ZARDという音楽ユニットは、ボーカルを務めていた
坂井泉水の亡き後も、残された音源を元にしたアルバムの
制作やフィルムコンサートなどが活動が行なわれている
ようです。
ZARDの『負けないで』や『揺れる想い』が流行って
いた頃、東京の池袋で働いていました。ZARDの曲を
耳にすると、その頃の想い出が蘇ります。もう十数年も
前になります。
揺れる想い…
文化ビル、このビルには神戸新聞の本社、商業施設の
カルメニとともに松方ホールが入っています。そして
神戸サテライトも…
松方ホールは、神戸新聞社の初代社長・松方幸次郎
の名を冠したホールです。松方幸次郎は川崎造船所の
初代社長でもあり、松方幸次郎の収集した美術品から
なる松方コレクションは、東京・上野の国立西洋美術館の
母胎となっています。
昨晩はゼミがあったので神戸サテライトに行くと
松方ホールに向かうエスカレータの前に長蛇の列が…
よく見るとZARDの大きなポスターがありました。
ZARDのコンサートがあるんだなあ〜と、良いなあ〜と
思って、しばらく歩いた後にふと、坂井泉水さんは
3,4年前に亡くなられたことを思い出して…???
ネットで確認すると昨晩の松方ホールで開催されて
いたのはZARDスクリーンコンサートでした。
ZARDという音楽ユニットは、ボーカルを務めていた
坂井泉水の亡き後も、残された音源を元にしたアルバムの
制作やフィルムコンサートなどが活動が行なわれている
ようです。
ZARDの『負けないで』や『揺れる想い』が流行って
いた頃、東京の池袋で働いていました。ZARDの曲を
耳にすると、その頃の想い出が蘇ります。もう十数年も
前になります。
揺れる想い…
posted by student at 21:53| 日記
2010年09月20日
蘖(ひこばえ)
今日は彼岸の入り、櫨谷の田んぼでは、黄金色に輝く
田んぼが広がる中で、刈り入れが終わった後の田んぼが
遠目に青々としていました。蘖(ひこばえ)です。
4年前、嬉野キャンパスに1年間通っていた加東市の社、
車で 通っていたので、このJR加古川線の社町駅を
利用した ことは1度もありませんでした。駅を
訪れるのも 初めてです。国道372号線が社町駅の
駅前100mの 処を通っていますが、社町駅附近の
国道372号線は 隘路で、数年前までは交互通行の
区間があり、 現在も大型車は迂回の標識があります。
この社町駅は、旧・加東郡社町ではなくて、
滝野町にあった駅です。今は加東郡社町も滝野町も
加東市となっていますが、社町の中心地は加古川を
隔ててはるか遠くにあり、バスの便も少ないです。
加古川線の電車、先頭のドア附近のステッカーに
JR WEST JAPAN KAKOGAWA103と書かれていました。
JR西日本103系加古川線という電車を顕している
ようです。
小野市内の加古川に架かる大住橋には、欄干の
両端に小野の伝統産業であるそろばんのモニュメントが
埋め込まれています。
帰路、自宅近くの第二神明道路高丸インター附近は
渋滞で、インター前の交差点を通過するのに、すごく
時間が掛かりました。ルームミラー越しに後続の車が
なだらかな坂道に連なっています。
信号が替わると、ちょっと前進しますが、坂道の
途中でずっと停車状態です。インター前の交差点まで
あと少しの処でサイドミラーを見ると…
今日のデジカメは社町に通っていた4年前に西脇で
買った古いデジカメ・フジのF30です。私のお気に入りの
デジカメで、スーパーCCDハニカムという受像素子で
発色性が良く高感度です。今使っているパナソニックの
デジカメでは、こんなに発色がよくありませんが、広角が
ワイドに撮れるのが魅力で、普段はカバンに入れて、
スナップ写真にはパナソニックのデジカメを重宝しています。
田んぼが広がる中で、刈り入れが終わった後の田んぼが
遠目に青々としていました。蘖(ひこばえ)です。
4年前、嬉野キャンパスに1年間通っていた加東市の社、
車で 通っていたので、このJR加古川線の社町駅を
利用した ことは1度もありませんでした。駅を
訪れるのも 初めてです。国道372号線が社町駅の
駅前100mの 処を通っていますが、社町駅附近の
国道372号線は 隘路で、数年前までは交互通行の
区間があり、 現在も大型車は迂回の標識があります。
この社町駅は、旧・加東郡社町ではなくて、
滝野町にあった駅です。今は加東郡社町も滝野町も
加東市となっていますが、社町の中心地は加古川を
隔ててはるか遠くにあり、バスの便も少ないです。
加古川線の電車、先頭のドア附近のステッカーに
JR WEST JAPAN KAKOGAWA103と書かれていました。
JR西日本103系加古川線という電車を顕している
ようです。
小野市内の加古川に架かる大住橋には、欄干の
両端に小野の伝統産業であるそろばんのモニュメントが
埋め込まれています。
帰路、自宅近くの第二神明道路高丸インター附近は
渋滞で、インター前の交差点を通過するのに、すごく
時間が掛かりました。ルームミラー越しに後続の車が
なだらかな坂道に連なっています。
信号が替わると、ちょっと前進しますが、坂道の
途中でずっと停車状態です。インター前の交差点まで
あと少しの処でサイドミラーを見ると…
今日のデジカメは社町に通っていた4年前に西脇で
買った古いデジカメ・フジのF30です。私のお気に入りの
デジカメで、スーパーCCDハニカムという受像素子で
発色性が良く高感度です。今使っているパナソニックの
デジカメでは、こんなに発色がよくありませんが、広角が
ワイドに撮れるのが魅力で、普段はカバンに入れて、
スナップ写真にはパナソニックのデジカメを重宝しています。
posted by student at 21:46| 日記
2010年09月18日
赤外線写真の愉しみ
梅雨明け以降、昨晩はじめてエアコンなしで
就寝しました。
デジカメの受光素子として用いられているCMOS
イメージセンサーは、可視光だけではなくて赤外線も
捉えることができます。
一般のデジカメは赤外線除去フィルターを用いて
可視光のみを捉えるようにしていますが、YASHICA
ブランドのF537IRというカメラはスライドスイッチで
赤外線除去フィルターを外すモードがあって、
可視光+赤外線の写真を撮ることができます。
8月に買ったこのデジカメで、猛暑で日中は赤外線で
満ち溢れた光景の撮影を愉しんでいましたが、この
デジカメにIRフィルターを取り付ける工作をして
ちょっと本格的な赤外線写真を撮れるようにしました。
フジから可視光を吸収して赤外線を透過する
IRシートフィルターが発売されています。IR78は
波長が780μm以上の赤外線のみを透過するフィルター
です。
使い終わったプリペイドカードがありましたので
これを活用して20mm×20mmにカットして、上下左右
5mmの縁を残して、10mm×10mmの窓を通して赤外線
のみがデジカメのレンズへ至るようにしました。
使ったのは、カッター、両面テープ、定規でした。
植物の葉からは、波長が800μmの赤外線が多量に
放射されているとのこと。快晴の青空は赤外線を
吸収して、赤外線写真では暗く写り、また日の光で
ギラギラ照り輝く海面も、赤外線を吸収して暗く
写ります。樹が生い茂った山影は明るく写って、
また日の光に白く輝く雲はそのまま明るく写ります。
赤外線写真では、普段目にする光景が、ちょっと
変わったイレギュラーな絵になります。
*
神戸ワイナリー(神戸農業公園)にて…
神戸ワイナリーの奥に保存されている藁葺屋根の家
芝生の斜面の一本の樹
神戸ワイナリー内の車道の街路樹風の光景
そして加古川の見土呂フルーツパークにて…
丘を上った処にあった2本の樹
果樹が両脇に並ぶ山路
丘の端の樹と、その向こうに稲美町、神戸市、小野市…
フルーツパークの北の空に発達しかけた入道雲
神戸・舞子の海岸と、東の空に発達した入道雲
山田川河口付近の砂浜からの明石海峡の光景
明石・大蔵海岸から見た東の空に発達した入道雲
神戸・垂水の住宅地から見上げた入道雲
神戸・淡河の田園風景と山と雲と空と
神戸・垂水から見上げた空と雲
雲の層が織成す微妙な光景
日の光と薄雲が織成す光景
神戸・灘の駅前の木に朝日が照射された光景
就寝しました。
デジカメの受光素子として用いられているCMOS
イメージセンサーは、可視光だけではなくて赤外線も
捉えることができます。
一般のデジカメは赤外線除去フィルターを用いて
可視光のみを捉えるようにしていますが、YASHICA
ブランドのF537IRというカメラはスライドスイッチで
赤外線除去フィルターを外すモードがあって、
可視光+赤外線の写真を撮ることができます。
8月に買ったこのデジカメで、猛暑で日中は赤外線で
満ち溢れた光景の撮影を愉しんでいましたが、この
デジカメにIRフィルターを取り付ける工作をして
ちょっと本格的な赤外線写真を撮れるようにしました。
フジから可視光を吸収して赤外線を透過する
IRシートフィルターが発売されています。IR78は
波長が780μm以上の赤外線のみを透過するフィルター
です。
使い終わったプリペイドカードがありましたので
これを活用して20mm×20mmにカットして、上下左右
5mmの縁を残して、10mm×10mmの窓を通して赤外線
のみがデジカメのレンズへ至るようにしました。
使ったのは、カッター、両面テープ、定規でした。
植物の葉からは、波長が800μmの赤外線が多量に
放射されているとのこと。快晴の青空は赤外線を
吸収して、赤外線写真では暗く写り、また日の光で
ギラギラ照り輝く海面も、赤外線を吸収して暗く
写ります。樹が生い茂った山影は明るく写って、
また日の光に白く輝く雲はそのまま明るく写ります。
赤外線写真では、普段目にする光景が、ちょっと
変わったイレギュラーな絵になります。
*
神戸ワイナリー(神戸農業公園)にて…
神戸ワイナリーの奥に保存されている藁葺屋根の家
芝生の斜面の一本の樹
神戸ワイナリー内の車道の街路樹風の光景
そして加古川の見土呂フルーツパークにて…
丘を上った処にあった2本の樹
果樹が両脇に並ぶ山路
丘の端の樹と、その向こうに稲美町、神戸市、小野市…
フルーツパークの北の空に発達しかけた入道雲
神戸・舞子の海岸と、東の空に発達した入道雲
山田川河口付近の砂浜からの明石海峡の光景
明石・大蔵海岸から見た東の空に発達した入道雲
神戸・垂水の住宅地から見上げた入道雲
神戸・淡河の田園風景と山と雲と空と
神戸・垂水から見上げた空と雲
雲の層が織成す微妙な光景
日の光と薄雲が織成す光景
神戸・灘の駅前の木に朝日が照射された光景
posted by student at 21:42| 日記
2010年09月14日
号外
今日は定時の5時に職場を出て灘駅からJR神戸線の
下りの普通電車に乗って…。
次の三ノ宮駅から乗ってくる方々は、手に号外を
持っている人が多かったです。そして次の元町駅、
ここでも乗り込んでくる方々の多くは号外を持って
おられました。三ノ宮と元町は神戸の繁華街で、
4時前に決まった新しい民主党党首のニュースが
1時間ちょと経って号外として配られているようです。
今日は、神戸サテライトでのゼミがある日なので
次の神戸駅で途中下車するのですが、神戸駅は三ノ宮や
元町と比べると人の流れも少なく、号外が配られていない
だろうなあ〜 と思っていたのですが、神戸駅の東口で
3人の 方々が号外を配っていました。
神戸駅の東口には、神戸新聞社の本社があるので
考えると神戸新聞のお膝元でした。
電車に乗ると、号外を持っている人を見て羨ましい
なあ〜と思うことが今までによくありましたが、
今日は、やっと号外を手にすることができました。
繁華街の駅では、ティッシュや各種のチラシ、割引券
を配っていたり、夏には広告入りのウチワを配って
いたりして、煩わしいと思うこともあれば、得したなあ〜
と思うこともあります。でも車で移動すれば…ティッシュも
割引券もウチワも、そして号外も貰えませんから、
電車と駅を利用する者の特権なのかもしれません。
下りの普通電車に乗って…。
次の三ノ宮駅から乗ってくる方々は、手に号外を
持っている人が多かったです。そして次の元町駅、
ここでも乗り込んでくる方々の多くは号外を持って
おられました。三ノ宮と元町は神戸の繁華街で、
4時前に決まった新しい民主党党首のニュースが
1時間ちょと経って号外として配られているようです。
今日は、神戸サテライトでのゼミがある日なので
次の神戸駅で途中下車するのですが、神戸駅は三ノ宮や
元町と比べると人の流れも少なく、号外が配られていない
だろうなあ〜 と思っていたのですが、神戸駅の東口で
3人の 方々が号外を配っていました。
神戸駅の東口には、神戸新聞社の本社があるので
考えると神戸新聞のお膝元でした。
電車に乗ると、号外を持っている人を見て羨ましい
なあ〜と思うことが今までによくありましたが、
今日は、やっと号外を手にすることができました。
繁華街の駅では、ティッシュや各種のチラシ、割引券
を配っていたり、夏には広告入りのウチワを配って
いたりして、煩わしいと思うこともあれば、得したなあ〜
と思うこともあります。でも車で移動すれば…ティッシュも
割引券もウチワも、そして号外も貰えませんから、
電車と駅を利用する者の特権なのかもしれません。
posted by student at 21:33| 日記
2010年09月04日
Summers Scene 〜 夏の光景
今朝、自転車で明石海峡から播磨灘の海岸沿いを西へ、
舞子の海岸からの海峡の眺めを赤外線写真で撮ると、
淡路の島影の上にポッカリと夏の雲、淡路の島影と雲が
白く写って、空と海は見た目よりも濃く写って、そして
架け橋は朝日に照り輝いて…赤外線写真ならではの
絵になりました。
明石の街はずれで、電線の地中化工事を行なって
いました。私は電柱や電線のある風景が好きなので
すが、街の美観のために、街中では電線地中化が推進
されているようです。
明石川の河口付近です。川から海への流れと、
打ち寄せる波とがぶつかり合って…明石川の河口
近くの海上では、波と波とがぶつかりあう光景を
見ることがあります。彼方に見えるのは海峡を
挟んだ淡路の島影です。
猛暑のためか、8月には雲がほとんどない快晴の日が
続いていましたが、9月になって、朝の空に雲を見る
ようになりました。ようやく例年の真夏のような感じ
の光景になりました。淡路島の上空に連なる雲、実は
今年の夏には、ずっとお目にかかれなかったのですが、
今朝、目にした淡路の島影の上には雲が連なって…
真夏の光景です。
明石・林崎海岸から見た江井ヶ島海岸方面の上空
には、ポッカリと雲が浮かんでいました。
でも、先週まで林崎海岸の砂浜に連なっていた
海の家は、今朝は跡形もなく撤去されていました。
林崎海岸から江井ヶ島海岸までの屏風ヶ浦が続く
浜の散歩道では、セミの鳴声が続いていました。
*
週末の神戸新聞で、明石と淡路・岩屋を結んでいる
たこフェリーの親会社が撤退する記事を目にしましたが
明石の連絡船乗り場では、2年前から運行休止されて
いた明石と淡路・富島を結ぶ航路の乗り場の取り壊し
工事が始まっていました。明石ー富島航路は、もう
再開されることがないのかもしれません。私は
一度しか乗ったことがありませんでした。
江井ヶ島海岸までの往復30キロを2時間ほど
走って帰宅後シャワーを浴びても汗がとめどなく
流れて…。昼食後にちょっと昼寝をしてしまいました。
9月に入りましたが、まだ真夏のような感じの
一日でした。
舞子の海岸からの海峡の眺めを赤外線写真で撮ると、
淡路の島影の上にポッカリと夏の雲、淡路の島影と雲が
白く写って、空と海は見た目よりも濃く写って、そして
架け橋は朝日に照り輝いて…赤外線写真ならではの
絵になりました。
明石の街はずれで、電線の地中化工事を行なって
いました。私は電柱や電線のある風景が好きなので
すが、街の美観のために、街中では電線地中化が推進
されているようです。
明石川の河口付近です。川から海への流れと、
打ち寄せる波とがぶつかり合って…明石川の河口
近くの海上では、波と波とがぶつかりあう光景を
見ることがあります。彼方に見えるのは海峡を
挟んだ淡路の島影です。
猛暑のためか、8月には雲がほとんどない快晴の日が
続いていましたが、9月になって、朝の空に雲を見る
ようになりました。ようやく例年の真夏のような感じ
の光景になりました。淡路島の上空に連なる雲、実は
今年の夏には、ずっとお目にかかれなかったのですが、
今朝、目にした淡路の島影の上には雲が連なって…
真夏の光景です。
明石・林崎海岸から見た江井ヶ島海岸方面の上空
には、ポッカリと雲が浮かんでいました。
でも、先週まで林崎海岸の砂浜に連なっていた
海の家は、今朝は跡形もなく撤去されていました。
林崎海岸から江井ヶ島海岸までの屏風ヶ浦が続く
浜の散歩道では、セミの鳴声が続いていました。
*
週末の神戸新聞で、明石と淡路・岩屋を結んでいる
たこフェリーの親会社が撤退する記事を目にしましたが
明石の連絡船乗り場では、2年前から運行休止されて
いた明石と淡路・富島を結ぶ航路の乗り場の取り壊し
工事が始まっていました。明石ー富島航路は、もう
再開されることがないのかもしれません。私は
一度しか乗ったことがありませんでした。
江井ヶ島海岸までの往復30キロを2時間ほど
走って帰宅後シャワーを浴びても汗がとめどなく
流れて…。昼食後にちょっと昼寝をしてしまいました。
9月に入りましたが、まだ真夏のような感じの
一日でした。
posted by student at 21:29| 日記