2010年06月29日

朝と夜

 今朝の神戸は朝日が射し込んで・・・自宅から
JR神戸線・垂水駅まで歩いていると、道端の
あじさいの花に朝日があたって輝いていました。



毎週火曜日は、ゼミの日で、サテライトで
10時までなので帰宅が遅いのですが、夜11時前の
JR神戸線・垂水駅前、工事をしていました。



 この横断歩道は、垂水区の中でも、もっとも
人通りが多い場所のひとつで、朝や夕刻に工事を
すれば大混雑して危ないかもしれません。

 この工事を見て、深夜の帰宅を実感しました。
posted by student at 15:36| 日記

2010年06月26日

渋柿

 柿…正岡子規は、夏目漱石を評して「柿」と
言ったそうです。うまみがいっぱいあり、でも、
まだ渋味(しぶみ)が抜けないからという理由
だそうです。

 文学博士号を辞退した漱石、官の大学を辞して
民の朝日新聞に入った漱石は、まさにうまみと共に
渋みを持ち続けていたのかなあ〜と想像します。

 私が漱石の作品に惹かれ続けるのは、この渋み
のせいなのかもしれません。



 何日か前に撮った玄関先のあじさい、



ついつい撮ってしまいます。



そして… ようやく淡い紫の色が…



 最寄り駅のJR神戸線のホームから見える
明石海峡大橋の本州側の主塔です。距離は数キロ
あるのですが、巨大な構造物なので、垂水駅の
ホームからも、その姿を大きく眺めることができます。



 勤務校近くのスーパーで、ネーミングが気に入って
買ったカップ麺・「夏ときめきうどん」です。
これを食べるとときめくのかなあ〜と…ちなみに
まだ食べていません。



 先週発売された、イオン・ジャスコの88円の
新ジャンルビール類・バーリアルです。他のビールや
発泡酒とは別に、レジ横に冷やされずに山積みされて
いました。私にはじゅうぶん美味しいです。



そして参議院議員選挙…



昨日の朝は傘を持たずに出勤しましたが。午後から
雨が降り始め、帰りは職場の置き傘を使いました。

 昨夜から時折雨が激しくなって…そして今朝は強い
雨が降り続いています。今日の神戸は一日雨かも
しれません。

posted by student at 15:31| 日記

2010年06月13日

梅雨・・・

 今朝のラジオのニュースでは、今日の神戸は
雨模様のようで、ひょっとしたら今日にも
梅雨入り宣言があるかもしれません。暦の上での
入梅は一昨日でした。



 麦の収穫も終わって、田んぼの稲もこれから
すくすく育つ時節です。



 神戸の西隣・“稲が美しい町"と書く稲美町
では、水を湛えた水田で、まだ小さい稲の苗が
等間隔に並んでおり、梅雨前の長閑な田園風景の
光景が広がっています。



 水田の水面に陽射が照り輝く光景、水田を泳ぎ
回る小さな虫…遠くで聞こえる鳥の鳴き声の中で
静けさを感じるひとときでした。



 田植えが終わった田んぼに、ぽつんと取り残された
苗の束…



posted by student at 15:21| 日記

2010年06月12日

純白の紫陽花

玄関脇の紫陽花の花が咲いたのですが、色が白…



 淡い色の花が咲いて欲しいと思って、「花が咲く」
と銘打った肥料を買ったのですが、大きく咲いた花は
例年と同じ真っ白でした。



 ちょっと寂しいような…でも、真っ白い紫陽花を
毎朝愉しんでいる気持ちもあります。



 リビングの南の小さなスペースに、小さな花が咲いて
います。道端や畦道だったら、雑草と見過ごすような
可憐な花です。



 1週間ほど前のJR神戸線・須磨駅の上りホームから見た
駅のすぐ南に広がっている砂浜と海です。



この駅のすぐ南にも、海の家が建ち始めました。



 昨日の神戸は、真夏のような一日でした。今朝も
朝から真夏のような快晴と陽射です。
posted by student at 15:16| 日記

2010年06月05日

貨物列車

昨日の通勤の帰り途、JR神戸線の灘駅のホームから
東側に貨物列車が停まっているのを見掛けました。

 列車事故で運行休止があってダイヤが乱れている
のかなあ〜と思ったのですが、電光掲示板にも駅の
アナウンスもありません。停まっている貨物列車を
よく見ると、ちょっと変です。ホームの端まで行って…



 内側の2本の線路が普通電車と快速電車、その外側が
新快速電車、特急列車そして貨物列車が通る線路という
複々線になっています。停車している貨物列車は、更に
その外側の線路(待避線というのでしょうか?)に
停まっていました。

 灘駅の東側には、元々は東灘駅という貨物駅があった
そうで、神戸製鋼の製鉄所への専用線への分岐や、
貨物駅の神戸港駅へ向かう神戸臨港線の分岐があり
ましたが、専用線も神戸臨港線も廃止されて、今は
東灘信号場というそうです。貨物列車や回送列車の
待避のために複々線の外側にそれぞれ1本の待避線が
設けられているようです。

 ホームの端から観察していると、複々線の外側の
下り列車線に列車が近づいてきました。



 新快速電車ではなくて、特急列車のようです。この
特急の通過待ちのために、退避線で停車していた
ようです。



 普通電車が到着すると同時ぐらいに、貨物列車が
動きだしました。カバンの中からポケット時刻表を
取り出して探すと…さっきの特急は「はまかぜ5号」
大阪発鳥取行きの特急だったようです。

 その約5分前には新快速電車が走っていたようなので、
この貨物列車は、新快速と特急「はまかぜ5号」を、
待避線で通過待ちしていたのかもしれません。

 その後、私の乗った普通電車(灘駅18時27分)と、
貨物列車は抜きつ抜かれつしながら…。でも、
この約10分後には次の新快速が神戸駅から明石駅まで
ノンストップで同じ列車線を走り抜けるダイヤになって
います。普通電車と同じような速度で列車線を走って
いると、後続の新快速に影響するのではないかと、
ちょっと心配になりました。

 私の乗った普通電車が鷹取駅で停車していると、
後から追いついた貨物列車が、かなりノロノロ運転に
なっていました。ここでやっと気がつきました。
鷹取駅にはJR貨物の神戸貨物ターミナル駅が併設されて
います。この貨物列車は、ここで停車するので、
新快速は、楽々と列車線を疾走することができるように
なっていたのでした。心配することはなかったようです。

 ネットで調べると、神戸貨物ターミナル駅に18時40分に
到着して19時46分に発車し、高松に23時54分到着の
貨物列車だったようです。

 密集した京阪神のダイヤを潜り抜けて、貨物列車が
運行しているんだなあ〜と、これまで何気なく眺めて
いた貨物列車の運行って凄いんだなあ〜と感じました。

posted by student at 15:10| 日記

2010年06月04日

神戸

 神戸のイメージは…港、異人館、六甲山、南京町・
でしょうか?

 明治12年(1879年)の神戸区誕生、及び明治22年
(1889年)の市制施行による神戸市の誕生当時の神戸の
町は、おおまかに現在の中央区と兵庫区ぐらいの地域
になります。古い港町であり宿場町である兵庫の町と
新しい貿易港・神戸町が核となる地域が、古くからの
神戸の街です。

 旧・神戸村の西国街道沿いとなるJR三ノ宮駅の高架
ホームから見た山手方面(北側)は・



1kmほど北には、六甲山系の山並みが迫っています。



 旧・西国街道沿いを歩いていると、南北の通りの
山手側には、ビルや家々の向こうに六甲の山並が
迫っているのを目にします。

 神戸市は、その後、現在の長田区と須磨区の地域を
編入して、そして昭和時代に入って現在の垂水区と
灘区、そして北区と西区の地域を編入して、最後に
東灘区の地域を編入して、その後は人工島のポート
アイランドや六甲アイランドが築かれて現在の神戸市と
なりました。

 *

 神戸の市章は…



 こうべの旧仮名遣い「カウベ」の“カ”をデザインした
そうですが、兵庫港(大輪田泊)と神戸港の2つの港の形と
港湾に因む錨のイメージも持たせたものだとも言われて
います。



 神戸市の花は…あじさいです。



 今朝、通勤途中で、朝日を受けて輝いていたあじさいを
目にして、カバンからデジカメを取り出して…



 淡いあじさいの花が、朝日に照り輝いて、なんだか、
そこから立ち去るのが忍びなく…



 幸い、人通りがなかったので、カバンを道路に置いて
更に何枚か撮りました。



いろいろなアングルから、いろいろな色のあじさいを・



時の経つのを忘れて撮り続けました。



 あじさいの花が綺麗だなあ〜と感じるようになって、
急に神戸の街は暑くなったようにも思います。

posted by student at 15:06| 日記

2010年06月03日

須磨、海の家

 今朝は、いつもより早く家を出て、いつも乗る
電車よりも早い電車に乗って…

 須磨駅で電車を降りると、上りホームから、
下りホーム越しに須磨海岸の砂浜がすぐそこに
見えています。



 駅の階段を下りると、そこは砂浜…というのが
JR神戸線・須磨駅の海岸側の出口です。

 朝の須磨海岸は、人影もまばらで、波音が静かに
聞こえてきました。



 実は昨日、海の家を建てている光景を車窓から見た
のが、今朝、須磨で途中下車しようと思ったきっかけ
です。



 もう、海の家の季節…2,3日前から、汗ばむことが
多くなりました。もう夏…

 この須磨海岸に立って西の方向を眺めると、そこには
五畿内・摂津の国の最果・国境の山である鉢伏山の稜線が
明石海峡になだらかに続いているのを見ることができます。
私は、反対側の西国・播磨の国の垂水郷から、この稜線を
眺めています。



再び駅に向かおうと、砂浜から改札口へ向かう階段を
上る時に目にした注意書きです。



 再び上り電車に乗って、通勤モードに戻りました。
元町を過ぎた辺りで、高架の阪急三宮駅から、地下の
神戸高速・花隈駅へ向かう山陽電車とすれ違いました。
左側の車窓に、シルバーのボディーに赤い帯がある
山陽電車が見えます



今日の神戸は、暑い一日でした。


posted by student at 14:59| 日記

2010年06月02日

丸善とハヤシライス

 今日6月2日は…

 横浜港開港記念日です。

 安政6年(1859年)6月2日、前年に締結された日米修好
通商条約によって横浜港が開港した日です。

 そして、横浜港の開港とともにカレーも日本に入って
来たとして、6月2日はカレーの日だそうです。

 ちなみに神戸港が開港したのは慶応3年(1868年)1月1日
です。

 *

 横浜とカレー…にちなんで思い出したのが丸善と
ハヤシライスの話です。



 丸善の創業者は早矢仕(はやし)有的(ゆうてき)です。
早矢仕有的は、美濃の国の医師の息子として生まれて、
父親の後を継いで医師を志し、18歳のときに郷里で開業
していたそうです。

その後江戸に出て蘭学を学んで江戸の町で開業し、福沢諭吉の
門下生となって、諭吉に実業の才能を認められて、明治2年
(1869)に諭吉のバックアップを受けて横浜に、事実上
日本の株式会社第一号となる丸屋商店を創業したそうです。
その時の代表者が「丸屋善八」という架空の人物で、
これが現在の社名・丸善の起源だそうです。

 丸善は、当初は書店と薬店で、その後唐物(からもの)を
扱うようになって…、翌年には東京日本橋に丸屋善七店
(書店)を開業し、これが丸善・日本橋店です。

 今はありませんが、かつては神戸・元町に丸善がありました。
場所は…旧・走水村の西国街道沿いで、居留地の北端に
位置する場所です。現在の元町商店街の東端・大丸前の
スクランブル交差点の近くでした。

 一階は唐物(洋品、スーツ、文房具)、2階は書籍と
メガネ等の小物、そして3階は洋書だった記憶があります。
ハイカラな店というよりも大人の店…もっと言えばおじ様
の店といったイメージがあります。

 そして社のキャンパスの書籍売り場は丸善でした。



 ハヤシライス…、丸善がハヤシライスの生みの親という
説があります。早矢仕有的が考案したカレーがハヤシライスで
丸善のレストランのメニューになったのがハヤシライスの発祥
だそうです。



 そして6月2日は…鳩山首相の辞任を表明した日という
ことになってしまいました。夕方、職場に届いた3紙の
夕刊のトップニュースは、同じような見出しで、このことを
伝えていました。



 ちなみに6月2日は、本能寺の変が起こった日でも
あります。そして神戸にも所縁の深い福原京の遷都の日、
平清盛が孫であった幼帝・安徳天皇を奉じて兵庫の町の
近くに都を築いて遷都した日でもあります。
posted by student at 14:53| 日記

2010年06月01日

麦秋至

 二十四節気では小満、七十二候では麦秋至、これは
「むぎのときいたる」と読むそうです。

 今日から6月、朝、玄関を出ると、玄関先の小さな
スペースのあじさいの蕾が、だいぶ大きくなっていたので
カバンからデジカメを取り出して…



 柔らかい感じが好きで、しばし見惚れていたのですが、
ハッと気がついて、小走りで駅へ向かいました。幸い、
いつもの電車に間に合いました。

 灘駅を降りて、駅前の桜の木を見上げると…



朝日にサクランボが輝いているように見えました。
posted by student at 23:59| 日記