勤務校の卒業式が、2月25日、快晴の神戸の空の下で・
朝のメインアリーナ、卒業生を迎える準備は万端です。
保護者の方々と在校生、教職員が式場に揃って、
いよいよ卒業生が、クラス担任を先頭に入場
10クラス約400人の卒業生の名前が、クラスごとに
担任の先生によって呼名され、クラスごとに代表者が
卒業証書を授与されました。
そして祝福の拍手が続く中、卒業生の退場
教室では、最後のホームルームと、クラス担任から
ひとりひとりに卒業証書の授与
卒業式については、トップページのmenuから
「卒業証書授与式」のページで詳細な様子をアップ
しています。
2010年02月24日
最終講義
教育社会学の杉尾先生の最終講義の日は、寒さも緩み、
嬉野キャンパスの空は雲ひとつない快晴でした。
ポール・ウィルスの「ハマータウンの野郎ども」、
ピエール・ブルデューの「ハビタス」…最終講義を
受けながら、いろいろなことを学んだ記憶が蘇って
きました。
「学校化・情報化と教育問題の行方」を手書きの
資料のグラフを糸口にして…
杉尾先生の熱い語り口調が顕れた最終講義での
ベストショットです。
講義終了後、ゼミ生からの花束を受け取って、
贈られた花束をじっくりと見つめておられたのが
印象的でした。
サテライト生と研究室を訪ねました
最終講義については、トップページのmenuから
「近代学校の行方」のページで詳細な様子をアップ
しています。
嬉野キャンパスの空は雲ひとつない快晴でした。
ポール・ウィルスの「ハマータウンの野郎ども」、
ピエール・ブルデューの「ハビタス」…最終講義を
受けながら、いろいろなことを学んだ記憶が蘇って
きました。
「学校化・情報化と教育問題の行方」を手書きの
資料のグラフを糸口にして…
杉尾先生の熱い語り口調が顕れた最終講義での
ベストショットです。
講義終了後、ゼミ生からの花束を受け取って、
贈られた花束をじっくりと見つめておられたのが
印象的でした。
サテライト生と研究室を訪ねました
最終講義については、トップページのmenuから
「近代学校の行方」のページで詳細な様子をアップ
しています。
posted by student at 22:22| 日記
2010年02月22日
2が続く日 〜 かわたれ時の出勤
平成22年2月22日・・・特に変わったこともなく、平穏無事な
一日が終わろうとしています。
12月の下旬から1月の下旬ぐらいまでは、朝、玄関を出て
真っ暗の中を足早に駅に向かっていました。2月になって、
薄明るい中の出勤となりましたが。曇ったり雨が降ると、
玄関から薄暗い中へ・・・
今朝は快晴で、薄明るいというよりも「かわたれ時」
という言葉がピッタリの光景が広がる住宅地の中を駅に
向かいました。
立春も過ぎた冬の朝の かわたれ時・・・、身の引き締まる
ような寒さの中で見る、東の空の朝焼けが、なんだか
暖かく感じました。
かわたれ時の朝、駅前のバスターミナルは人影もまばら
ですが、バスが到着すると足早に駅の改札に向かう人が
吐き出されます。
静かな朝の駅前も、これからどんどん賑やかになると
思いますが、それを見届けることもなく、私も改札を
通って、ホームへ・・・
平成22年2月22日22時22分・・・
一日が終わろうとしています。
12月の下旬から1月の下旬ぐらいまでは、朝、玄関を出て
真っ暗の中を足早に駅に向かっていました。2月になって、
薄明るい中の出勤となりましたが。曇ったり雨が降ると、
玄関から薄暗い中へ・・・
今朝は快晴で、薄明るいというよりも「かわたれ時」
という言葉がピッタリの光景が広がる住宅地の中を駅に
向かいました。
立春も過ぎた冬の朝の かわたれ時・・・、身の引き締まる
ような寒さの中で見る、東の空の朝焼けが、なんだか
暖かく感じました。
かわたれ時の朝、駅前のバスターミナルは人影もまばら
ですが、バスが到着すると足早に駅の改札に向かう人が
吐き出されます。
静かな朝の駅前も、これからどんどん賑やかになると
思いますが、それを見届けることもなく、私も改札を
通って、ホームへ・・・
平成22年2月22日22時22分・・・
posted by student at 22:22| 日記
2010年02月21日
嬉野キャンパスと北播磨
今日は嬉野キャンパスへ、午前の遅めに自宅を出た
ので、讃岐うどん丸亀製麺の小野店に久し振りに・・・
丸亀製麺は、今ではアチコチに店があって繁盛して
いますが、最初期は、小野店と加古川店で、最初は
加古川店はセルフではなかったので、この小野店が
アチコチにできた丸亀製麺の原形のような店です。
以前は、休日のお昼頃には店外にまで行列が出来て
いましたが、今は同じような店構えの店が増えたためか
お昼時にもかかわらず、それほど並ばずにすみました。
なんだか1年以上ご無沙汰している間に、並び方も
変わったようです。ざるうどんの大盛りを頼みました。
図書館の入り口では、教科書・温故知新という展示が・
神戸サテライトのノートパソコンに慣れているので、
嬉野の図書館のパソコンが目新しく映ります。休日の
図書館は静かな雰囲気で、ゆったりしているのが好きです。
学位論文の書庫には、新しく平成20年度の学位論文が
並んでいました。教育内容・方法コースの最後の修了生
の学位論文も・・・
2階の教科書や教育のコーナー、ここに来るとなんだか
落ち着きます。
キャンパスのアチコチにはこのような融雪剤が置いて
います。神戸とは違う北播磨の冬の厳しさ・・・
小野市・白雲谷温泉へ立寄りました。
小野市といっても、加古川市との市境まで数百メートル、
三木市との市境は1キロメートルほどの処で、加古川の
右岸(西)になります。
館内はゆったりとしていて、以前は混み合っていた
時期もありましたが、アチコチに スーパー銭湯や日帰り
温泉が出来たので、それほど混雑することはありません。
人気の源泉の炭酸泉は、狭くていつも満員で、今回も
入れませんでした。快晴の露天風呂で、冬の柔らかい
陽の光を浴びながら・・・温泉を愉しみました。
湯上りに、小野市の地元の共進牛乳にしようか迷った
挙句に、とろとろ桃のフルーニュにしました。
この温泉に隣接して、野菜の直販所があります。
ひまわりの丘公園の中にあるサンパティオ小野にも
立ち寄りました。ここも野菜の直販があり、結構規模が
大きいです。たまねぎとしいたけを買いました。
小野から三木へ、片道2車線の国道175号線の小野
バイパスを走っていると、優秀な兵庫県警の白バイに
停められている車の姿が・・・
三木から神戸の西区に戻って、JA兵庫六甲の農協市場館
六甲のめぐみへ、ここはとにかく巨大な直販所です。
もう夕方でしたので、売り切れも多かったですが、
それでもすごい人出です。休日の朝は、駐車場になかなか
入ることさえ出来ず、直販所の前には屋台も出ますが、
今日私が行った4時過ぎには、ちょうど屋台の片付けが
終わっていました。
ので、讃岐うどん丸亀製麺の小野店に久し振りに・・・
丸亀製麺は、今ではアチコチに店があって繁盛して
いますが、最初期は、小野店と加古川店で、最初は
加古川店はセルフではなかったので、この小野店が
アチコチにできた丸亀製麺の原形のような店です。
以前は、休日のお昼頃には店外にまで行列が出来て
いましたが、今は同じような店構えの店が増えたためか
お昼時にもかかわらず、それほど並ばずにすみました。
なんだか1年以上ご無沙汰している間に、並び方も
変わったようです。ざるうどんの大盛りを頼みました。
図書館の入り口では、教科書・温故知新という展示が・
神戸サテライトのノートパソコンに慣れているので、
嬉野の図書館のパソコンが目新しく映ります。休日の
図書館は静かな雰囲気で、ゆったりしているのが好きです。
学位論文の書庫には、新しく平成20年度の学位論文が
並んでいました。教育内容・方法コースの最後の修了生
の学位論文も・・・
2階の教科書や教育のコーナー、ここに来るとなんだか
落ち着きます。
キャンパスのアチコチにはこのような融雪剤が置いて
います。神戸とは違う北播磨の冬の厳しさ・・・
小野市・白雲谷温泉へ立寄りました。
小野市といっても、加古川市との市境まで数百メートル、
三木市との市境は1キロメートルほどの処で、加古川の
右岸(西)になります。
館内はゆったりとしていて、以前は混み合っていた
時期もありましたが、アチコチに スーパー銭湯や日帰り
温泉が出来たので、それほど混雑することはありません。
人気の源泉の炭酸泉は、狭くていつも満員で、今回も
入れませんでした。快晴の露天風呂で、冬の柔らかい
陽の光を浴びながら・・・温泉を愉しみました。
湯上りに、小野市の地元の共進牛乳にしようか迷った
挙句に、とろとろ桃のフルーニュにしました。
この温泉に隣接して、野菜の直販所があります。
ひまわりの丘公園の中にあるサンパティオ小野にも
立ち寄りました。ここも野菜の直販があり、結構規模が
大きいです。たまねぎとしいたけを買いました。
小野から三木へ、片道2車線の国道175号線の小野
バイパスを走っていると、優秀な兵庫県警の白バイに
停められている車の姿が・・・
三木から神戸の西区に戻って、JA兵庫六甲の農協市場館
六甲のめぐみへ、ここはとにかく巨大な直販所です。
もう夕方でしたので、売り切れも多かったですが、
それでもすごい人出です。休日の朝は、駐車場になかなか
入ることさえ出来ず、直販所の前には屋台も出ますが、
今日私が行った4時過ぎには、ちょうど屋台の片付けが
終わっていました。
posted by student at 20:00| 日記
2010年02月20日
Port of Kobe 〜港・神戸
今朝の神戸も快晴、あまりに天気が良く、寒さも緩む
そうなので、予定を変更して港へ向かいました。
神戸港は、西はJR神戸線の兵庫駅の近くにある兵庫港の
辺りから、東は灘駅の近くにある摩耶埠頭の辺りまで
広がっていますが、神戸駅で降りて、旧高浜岸壁がある
神戸ハーバーランドの辺りから、旧メリケン波止場の辺り
までを、ゆったりと散策の予定で・・・
旧高浜旅客ターミナルの南側にあった煉瓦づくりの倉庫が
今は煉瓦倉庫レストランとして営業しています。新しい神戸の
貌となって・・・、と言っても、私は昔の倉庫街の頃を知りません。
夜の神戸港からのテレビ中継の時に、よく映し出される
ハーバーランドの大観覧車です。
高浜岸壁の南端から見た、中突堤ターミナル方面です。
右から、オリエンタルホテル、ホテルオークラ、工事中の
ポートタワー・・・
コンチェルトというクルージング・グルメ船です。
ランチやディナーを愉しみながら明石海峡方面まで
クルージングします。
工事中のポートタワー、中は当然お休みです。
こんな光景は初めて見ます。
港の遊覧船が出航しました。
現在はメリケンパークになっていますが、以前は、
中突堤という国内航路用の岸壁でした。彼方にボケて
見えるクレーンは川崎造船所です。
メリケンパークの南端にあるオリエンタルホテルです。
一部、港のターミナル機能も担っています。写真は
ロビーの吹き抜け部分になります。
メリケンパークの東側では、モデルの写真撮影会・・・
ここは15年前の震災で崩れた岸壁の一部を、そのまま
保存しています。メリケン波止場と言われていた、
神戸港でもっとも古い突堤だった処の東側部分です。
メリケンとは・・・アメリカの転訛(なまったもの)で、
波止場のすぐ近くに米国領事館があったので、この名で
呼ばれるようになったそうです。
神戸の中華街・南京街は、先週が旧正月の春節祭で
賑わっていたようで、今日は南京町で遅いランチの予定
だったのですが、今日も春節祭の行事が続いて、人・人・人・・・
南京町でのランチは諦めました。そこそこに元町商店街へ・
*
港をゆっくりと散策したのは、数年ぶりぐらいです。
考えれば、北野の異人館街も、もう何年もゆっくりと
散策していません。灘の酒蔵の街並みも、新開地から
湊川近辺も・・・
そうなので、予定を変更して港へ向かいました。
神戸港は、西はJR神戸線の兵庫駅の近くにある兵庫港の
辺りから、東は灘駅の近くにある摩耶埠頭の辺りまで
広がっていますが、神戸駅で降りて、旧高浜岸壁がある
神戸ハーバーランドの辺りから、旧メリケン波止場の辺り
までを、ゆったりと散策の予定で・・・
旧高浜旅客ターミナルの南側にあった煉瓦づくりの倉庫が
今は煉瓦倉庫レストランとして営業しています。新しい神戸の
貌となって・・・、と言っても、私は昔の倉庫街の頃を知りません。
夜の神戸港からのテレビ中継の時に、よく映し出される
ハーバーランドの大観覧車です。
高浜岸壁の南端から見た、中突堤ターミナル方面です。
右から、オリエンタルホテル、ホテルオークラ、工事中の
ポートタワー・・・
コンチェルトというクルージング・グルメ船です。
ランチやディナーを愉しみながら明石海峡方面まで
クルージングします。
工事中のポートタワー、中は当然お休みです。
こんな光景は初めて見ます。
港の遊覧船が出航しました。
現在はメリケンパークになっていますが、以前は、
中突堤という国内航路用の岸壁でした。彼方にボケて
見えるクレーンは川崎造船所です。
メリケンパークの南端にあるオリエンタルホテルです。
一部、港のターミナル機能も担っています。写真は
ロビーの吹き抜け部分になります。
メリケンパークの東側では、モデルの写真撮影会・・・
ここは15年前の震災で崩れた岸壁の一部を、そのまま
保存しています。メリケン波止場と言われていた、
神戸港でもっとも古い突堤だった処の東側部分です。
メリケンとは・・・アメリカの転訛(なまったもの)で、
波止場のすぐ近くに米国領事館があったので、この名で
呼ばれるようになったそうです。
神戸の中華街・南京街は、先週が旧正月の春節祭で
賑わっていたようで、今日は南京町で遅いランチの予定
だったのですが、今日も春節祭の行事が続いて、人・人・人・・・
南京町でのランチは諦めました。そこそこに元町商店街へ・
*
港をゆっくりと散策したのは、数年ぶりぐらいです。
考えれば、北野の異人館街も、もう何年もゆっくりと
散策していません。灘の酒蔵の街並みも、新開地から
湊川近辺も・・・
posted by student at 22:00| 日記
2010年02月19日
課題研究発表会〜SSH
スーパー・サイエンス・ハイスクール(SSH)に指定され、
中核校になっている神戸高校の課題研究発表会に参加
しました。
昨秋の中間発表会にも参加したので、その後の成果も
楽しみです。中間発表会では、ポスターセッション方式で
対面でのプレゼンテーションに続いて質疑応答でしたが、
今回の課題研究発表会では、講堂での壇上からのオーラル
セッションによるプレゼンテーションが12分で、その後
4分間の質疑という形式です。
発表会の開始までは、講堂の後方にポスターを並べて、
簡単な説明を受けることも出来ます。
この時点で、かなりシビアな質問をしている参加者も
いました。生徒もしっかりと対応していました。
宇宙メダカの子孫だそうです。
学校長のあいさつ・・・、中等教育機関における人材育成の
視点からの話は、受験一辺倒の普通高校というよりも、
進学後の大学での学びや研究をもしっかりと視野に入れた
教育を、ここではしっかりと視野に入れているんだなあ〜
というのがしっかりと伝わってくる内容でした。
「数理生態学」というタイトルの発表は、実は今年度
私が勤務校で取り組んだ微分方程式の数値解のよる
シミュレーションを行なっていて、もっとも関心を持って
いる内容です。しっかりとまとまっていて感心しました。
神戸高校で流行ったインフルエンザを取り上げて、その
感染の様子を取り上げていました。連立微分方程式を
用いたモデル化、そして各定数を検討して数値解を求め、
実際の値(神戸高校での感染の実態)と比較検討して
妥当性にも言及していました。
最近はブレザーがほとんどですが詰襟の学生服と
セーラー服は、むしろ新鮮に映りました。
休憩時間も生徒は休みなしで、会場後方のポスターの
前で対面の説明をしていました。
1年生がポスターの見学に加わっていました。2年生も
自分のテーマへの勧誘もあるのか、熱心に説明していました。
来賓の大学の先生は、横で聞いていると、質問の視点が
違うのですが、戸惑うことなく対応していました。
テーマによっては5〜6人と多い場合もありますし、
2人のテーマも。
1年生からの質問も、結構 的を得た質問だったのには
驚きました。
課題に対して仮説を立てて、それを検証するスタイルの
研究で、この課題研究を通して、かなろ研究の方法の
基礎を踏襲したんだろうなあ〜と思います。
*
勤務校が現代的な校舎なのですが、ここは、どちらかと
言えば近代的な香りが漂う校舎です。
高台の上にあって、グラウンド越しに港の遠景が愉しめ
ます。
課題研究って・・・と、改めて考えさせられた有意義な
ひとときでした。
中核校になっている神戸高校の課題研究発表会に参加
しました。
昨秋の中間発表会にも参加したので、その後の成果も
楽しみです。中間発表会では、ポスターセッション方式で
対面でのプレゼンテーションに続いて質疑応答でしたが、
今回の課題研究発表会では、講堂での壇上からのオーラル
セッションによるプレゼンテーションが12分で、その後
4分間の質疑という形式です。
発表会の開始までは、講堂の後方にポスターを並べて、
簡単な説明を受けることも出来ます。
この時点で、かなりシビアな質問をしている参加者も
いました。生徒もしっかりと対応していました。
宇宙メダカの子孫だそうです。
学校長のあいさつ・・・、中等教育機関における人材育成の
視点からの話は、受験一辺倒の普通高校というよりも、
進学後の大学での学びや研究をもしっかりと視野に入れた
教育を、ここではしっかりと視野に入れているんだなあ〜
というのがしっかりと伝わってくる内容でした。
「数理生態学」というタイトルの発表は、実は今年度
私が勤務校で取り組んだ微分方程式の数値解のよる
シミュレーションを行なっていて、もっとも関心を持って
いる内容です。しっかりとまとまっていて感心しました。
神戸高校で流行ったインフルエンザを取り上げて、その
感染の様子を取り上げていました。連立微分方程式を
用いたモデル化、そして各定数を検討して数値解を求め、
実際の値(神戸高校での感染の実態)と比較検討して
妥当性にも言及していました。
最近はブレザーがほとんどですが詰襟の学生服と
セーラー服は、むしろ新鮮に映りました。
休憩時間も生徒は休みなしで、会場後方のポスターの
前で対面の説明をしていました。
1年生がポスターの見学に加わっていました。2年生も
自分のテーマへの勧誘もあるのか、熱心に説明していました。
来賓の大学の先生は、横で聞いていると、質問の視点が
違うのですが、戸惑うことなく対応していました。
テーマによっては5〜6人と多い場合もありますし、
2人のテーマも。
1年生からの質問も、結構 的を得た質問だったのには
驚きました。
課題に対して仮説を立てて、それを検証するスタイルの
研究で、この課題研究を通して、かなろ研究の方法の
基礎を踏襲したんだろうなあ〜と思います。
*
勤務校が現代的な校舎なのですが、ここは、どちらかと
言えば近代的な香りが漂う校舎です。
高台の上にあって、グラウンド越しに港の遠景が愉しめ
ます。
課題研究って・・・と、改めて考えさせられた有意義な
ひとときでした。
posted by student at 23:59| 日記
朝、高架沿いを一駅歩いて・・・
朝、一駅前のJR神戸線・三ノ宮駅で降りて歩くことが
多くなりました。旧・西国街道沿いではなくて、今朝も
高架沿いを勤務校まで・・・
光を放ったばかりの朝日が、ほぼ水平に神戸の街を照らし
ているので、光と影のコントラストが強い風景です。
ビルが続く高架沿いの道路脇に小さなお地蔵さん、
「荒ごみを捨てる場所は有りません・・・」との年季が
入った立て札です。荒ゴミ・・・神戸弁です。粗大ゴミの
ことを荒ゴミと言いますが、最近はあまり聞かれなく
なったような気がします。
ボクシングジムの案内がドラム缶にペンキで描かれて
います。昭和時代には浜手に製鉄所が広がり、この辺りは
かなり活気があったそうです。神戸の下町風景が、この
辺りの高架沿いに残っています。
この北側に中学校があるのでしょうか?ここは南北に長く
続く春日野道商店街の阪急春日野道駅前辺りです。この上に
駅があって、駅の改札口があるのですが、こじんまりして
いるので、写真を見ても、ここが駅だとはわかりにくい
ことと思います。
JRの高架は、この辺りが一番高くなっています。高架下の
住宅も余裕の2階建てになっています。JRの特急列車が
走っている下の2階部分に洗濯物が干しています。
この先は、JRの高架は、だんだん低くなって2階から1階、
そしてこの先の灘駅は、高架駅ではなくて地上駅です。
多くなりました。旧・西国街道沿いではなくて、今朝も
高架沿いを勤務校まで・・・
光を放ったばかりの朝日が、ほぼ水平に神戸の街を照らし
ているので、光と影のコントラストが強い風景です。
ビルが続く高架沿いの道路脇に小さなお地蔵さん、
「荒ごみを捨てる場所は有りません・・・」との年季が
入った立て札です。荒ゴミ・・・神戸弁です。粗大ゴミの
ことを荒ゴミと言いますが、最近はあまり聞かれなく
なったような気がします。
ボクシングジムの案内がドラム缶にペンキで描かれて
います。昭和時代には浜手に製鉄所が広がり、この辺りは
かなり活気があったそうです。神戸の下町風景が、この
辺りの高架沿いに残っています。
この北側に中学校があるのでしょうか?ここは南北に長く
続く春日野道商店街の阪急春日野道駅前辺りです。この上に
駅があって、駅の改札口があるのですが、こじんまりして
いるので、写真を見ても、ここが駅だとはわかりにくい
ことと思います。
JRの高架は、この辺りが一番高くなっています。高架下の
住宅も余裕の2階建てになっています。JRの特急列車が
走っている下の2階部分に洗濯物が干しています。
この先は、JRの高架は、だんだん低くなって2階から1階、
そしてこの先の灘駅は、高架駅ではなくて地上駅です。
posted by student at 21:00| 日記
2010年02月18日
うろこ雲の朝
今朝、玄関を出て空を見上げると、一面のうろこ雲、
あわてて空を開けて望める場所に行ってデジカメを
取り出して・・・
この後、駅に着いた数分後には、このうろこ雲は
ほぼ姿を消していました。冬のうろこ雲は珍しい
ように思います。
*
うろこ雲を見た朝、電車で「はじめての経験」を
しました。いつもはJR神戸線・灘駅で降りるのですが、
今日は一駅手前の三ノ宮駅で降りて歩くつもりだった
ので、到着した快速電車に乗りました。垂水駅は
ホームが1つで、上り電車は右側(浜手)のドアが
開きます。須磨駅では左側(山手)のドアが開き、
その後、兵庫、神戸、元町、三ノ宮と続けて左側(山手)
のドアが開ので、浜手のドア附近に立っていると、
兵庫駅で右側(浜手)のドアが開きました。あれっ?
と一瞬思ったのですが、深く考えずに・・・。そして
神戸駅では、今度は左側(山手)のドアが開きました。
神戸駅の1番線の到着して、ここで新快速に追い
越されるようで、5分ぐらい停車していました。
神戸駅は、2番線から5番線が普段使われており、
1番線は臨時電車や朝のラッシュ時の新快速の追い越し
退避用に使われていますが、その快速に乗り合わせた
のは初めてです。
JR神戸線は、西明石までが、電車線と列車線の
複々線で、列車線は貨物列車や特急列車、そして
新快速が走っており、電車線は、快速と普通が走って
います。
朝のラッシュ時には、電車線には5分間隔ぐらいで
普通電車が走って、快速は列車線を走ります。垂水駅は
快速停車駅なんですが電車線のホームしかないので、
朝のラッシュ時は、普通電車ばかりです。
今朝私が乗った快速は、朝のラッシュ時のダイヤに
切り替わる過渡期の運行だったようで、どうも電車線を
走っていたのが兵庫駅で列車線に入ったようです。
*
三ノ宮駅で降りて、高架沿いを東に・・・すぐに神姫バス
の三ノ宮ターミナルがあります。
三田や三木・小野方面、そしてUSJ・・・一度利用した
記憶があるぐらいで、私にはあまりご縁がないバス
ターミナルです。
あわてて空を開けて望める場所に行ってデジカメを
取り出して・・・
この後、駅に着いた数分後には、このうろこ雲は
ほぼ姿を消していました。冬のうろこ雲は珍しい
ように思います。
*
うろこ雲を見た朝、電車で「はじめての経験」を
しました。いつもはJR神戸線・灘駅で降りるのですが、
今日は一駅手前の三ノ宮駅で降りて歩くつもりだった
ので、到着した快速電車に乗りました。垂水駅は
ホームが1つで、上り電車は右側(浜手)のドアが
開きます。須磨駅では左側(山手)のドアが開き、
その後、兵庫、神戸、元町、三ノ宮と続けて左側(山手)
のドアが開ので、浜手のドア附近に立っていると、
兵庫駅で右側(浜手)のドアが開きました。あれっ?
と一瞬思ったのですが、深く考えずに・・・。そして
神戸駅では、今度は左側(山手)のドアが開きました。
神戸駅の1番線の到着して、ここで新快速に追い
越されるようで、5分ぐらい停車していました。
神戸駅は、2番線から5番線が普段使われており、
1番線は臨時電車や朝のラッシュ時の新快速の追い越し
退避用に使われていますが、その快速に乗り合わせた
のは初めてです。
JR神戸線は、西明石までが、電車線と列車線の
複々線で、列車線は貨物列車や特急列車、そして
新快速が走っており、電車線は、快速と普通が走って
います。
朝のラッシュ時には、電車線には5分間隔ぐらいで
普通電車が走って、快速は列車線を走ります。垂水駅は
快速停車駅なんですが電車線のホームしかないので、
朝のラッシュ時は、普通電車ばかりです。
今朝私が乗った快速は、朝のラッシュ時のダイヤに
切り替わる過渡期の運行だったようで、どうも電車線を
走っていたのが兵庫駅で列車線に入ったようです。
*
三ノ宮駅で降りて、高架沿いを東に・・・すぐに神姫バス
の三ノ宮ターミナルがあります。
三田や三木・小野方面、そしてUSJ・・・一度利用した
記憶があるぐらいで、私にはあまりご縁がないバス
ターミナルです。
posted by student at 21:00| 日記
2010年02月17日
脳の健康 〜心と脳〜
ラジオの予約録音ができるICレコーダが、毎週幾つかの
ラジオ番組を録音してくれています。週末にパソコンに
取り込んで、そして平日の通勤電車の中や、ビニール袋に
入れて入浴時に目を瞑ってじっくりと聴いています。
昨日は、1月17日(阪神大震災の日)放送の文化講演会、
脳科学者の茂木健一郎の「心と脳」という講演を聴きました。
身体の健康に気を配って、有酸素運動が奨励されて、
ジムでは水中ウォーキングが盛んですし、スタジオでは
ストレッチやヨガのプログラムが多いです。
同じ運動でも、勝利や記録更新を目指したスポーツも盛ん
です。目指す目的を持って効率的に身体を鍛える運動は、
場合によっては身体全体のバランスを崩して、身体にとって
健康的とは言えないケースもあります。運動やスポーツが
健康の為の各種の有酸素運動と、勝利や記録の為の鍛錬とに
それぞれに応じて盛んです。
でも脳に関しては、「勉めて強いる」という勉強タイプ
が多くて、資格(国家試験や技能試験)や入学試験合格を
目指したり、学校の成績の為であったり・・・目的指向の
効率的、成果主義のために、脳の働きや学習機能を利用する
ことが多くて、脳の健康のために、何か特別なことを
やっている人は・・・あまりいないように思います。
*
茂木健一郎は偶有性とプリンシプル(principle、原理)
という言葉を使って、目的指向や原理・主義を貫くのでは
なくて、偶有性に委ねて、創造性を高めることが脳にとって
健康的であるというような話をしていました。
私の好きな言葉に「セレンデピティー」という言葉が
あります。この言葉はセレンディップ(セイロン、現在の
スリランカ)の3人の王子の物語に因んだものです。この話
の中で、王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、
彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった
何かを発見するとい話です。
浅田彰の『逃走論』
この本の副題は「スキゾキッズの冒険」です。
この本の表紙には、
《パラノ人間》から《スキゾ人間》へ、
《住む文明》から《逃げる文明》への大転換が
進行しつつある。この大転換を全面的に肯定せよ!
そして裏表紙には、
パラノ・カルチャーの崩壊のあとには荒涼たる
砂漠しか残らないと人は言う。だけど、その砂漠
こそスキゾ・キッズにとって絶好のプレイグラウンド
なのだ。
*
本屋さんにはHow-Toモノの本が多く、「如何にして〜」
とか「〜のための三原則」、「3日でわかる〜入門」という
ようなタイトルの本が多いです。
目的指向、効率主義・・・脳を酷使して利用することが
多いですが、脳の健康も身体の健康と同じ様に、もっと
大切にしたいと思います。そして心の健康も・・・
ラジオ番組を録音してくれています。週末にパソコンに
取り込んで、そして平日の通勤電車の中や、ビニール袋に
入れて入浴時に目を瞑ってじっくりと聴いています。
昨日は、1月17日(阪神大震災の日)放送の文化講演会、
脳科学者の茂木健一郎の「心と脳」という講演を聴きました。
身体の健康に気を配って、有酸素運動が奨励されて、
ジムでは水中ウォーキングが盛んですし、スタジオでは
ストレッチやヨガのプログラムが多いです。
同じ運動でも、勝利や記録更新を目指したスポーツも盛ん
です。目指す目的を持って効率的に身体を鍛える運動は、
場合によっては身体全体のバランスを崩して、身体にとって
健康的とは言えないケースもあります。運動やスポーツが
健康の為の各種の有酸素運動と、勝利や記録の為の鍛錬とに
それぞれに応じて盛んです。
でも脳に関しては、「勉めて強いる」という勉強タイプ
が多くて、資格(国家試験や技能試験)や入学試験合格を
目指したり、学校の成績の為であったり・・・目的指向の
効率的、成果主義のために、脳の働きや学習機能を利用する
ことが多くて、脳の健康のために、何か特別なことを
やっている人は・・・あまりいないように思います。
*
茂木健一郎は偶有性とプリンシプル(principle、原理)
という言葉を使って、目的指向や原理・主義を貫くのでは
なくて、偶有性に委ねて、創造性を高めることが脳にとって
健康的であるというような話をしていました。
私の好きな言葉に「セレンデピティー」という言葉が
あります。この言葉はセレンディップ(セイロン、現在の
スリランカ)の3人の王子の物語に因んだものです。この話
の中で、王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、
彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった
何かを発見するとい話です。
浅田彰の『逃走論』
この本の副題は「スキゾキッズの冒険」です。
この本の表紙には、
《パラノ人間》から《スキゾ人間》へ、
《住む文明》から《逃げる文明》への大転換が
進行しつつある。この大転換を全面的に肯定せよ!
そして裏表紙には、
パラノ・カルチャーの崩壊のあとには荒涼たる
砂漠しか残らないと人は言う。だけど、その砂漠
こそスキゾ・キッズにとって絶好のプレイグラウンド
なのだ。
*
本屋さんにはHow-Toモノの本が多く、「如何にして〜」
とか「〜のための三原則」、「3日でわかる〜入門」という
ようなタイトルの本が多いです。
目的指向、効率主義・・・脳を酷使して利用することが
多いですが、脳の健康も身体の健康と同じ様に、もっと
大切にしたいと思います。そして心の健康も・・・
posted by student at 21:00| 日記
2010年02月15日
古い垂水の面影
神戸の西の端の垂水区は、江戸時代からの明石郡の
旧村である塩屋、下畑、東垂水、西垂水、東名、西名、
滑、中山、奥畑、山田、多聞の各村が明治22年の町村制の
実施によって合併してできた垂水村が、ほぼそのままです。
明治22年までは、海神社を境に西が西垂水村で、東が
東垂水村になります。今でも秋の海神社のお祭りに、
その名残を見ることができます。
明治20年頃の垂水の地図を見ると、垂水から東名、
西名、滑、中山、奥畑を経て、鉢伏山の北を廻って
摂津の国・ 八部郡の須磨村や林田村へ至る脇街道が
あります。概ね今の県道488号線長坂垂水線に重なる
のですが、鉄道の開通前の明治20年頃の地図では、
海神社と天神川(現在の商大筋)の中間辺りの
西国街道から北に分かれています。
現在に、その当時の名谷への街道を探ると・・・
旧・垂水警察署の西側の県道200号(垂水停車場線)
を北上して垂水駅を抜けてトーホーの前を通って、
天の下郵便局の西の細い路地のような道が、どうも
その名残のようです。
自転車の通行もままならない路地のような道ですが、
ここを更に北に進むと青木禅寺の辺り・・・
この辺りから垂水カトリック教会の北辺り〜瑞ヶ丘
八幡神社辺りで、現在の県道488号線に至ります。
青木禅寺の辺りは軽自動車がやっと通れるような
細い道が東西を貫いています。
この道を東に抜けると・・・県道488号線に出ます。
私のご贔屓の増田屋本店辺り。
今は駅前再開発で、垂水東口の区役所前に大きな
バスターミナルがありますが、昭和時代には、増田屋
本店の前の辺りの石垣沿いにバス停留所が並んで
いました。
この南側には垂水小学校があります。明治26年4月
には、児童数4300人、クラス数76、教員110人の
日本一のマンモス校だった時代があります。教室不足で
2部制授業だったそうです。翌年には高丸小学校と霞ヶ丘
小学校が出来てマンモス校は解消・・・
垂水小学校の南に再開発ビルとバスターミナル
そして区役所がありJR垂水駅の東口と続きます。
垂水小学校の西は、垂水センター街のアーケード
があります。
もうすぐイカナゴの解禁で、この中の何軒かの
魚屋さんの前には、イカナゴの行列が・・・
ちから餅という老舗のうどん屋さんです。コシのある
讃岐うどんとは違って、昔ながらの関西風の柔らかい麺
と甘いだし汁のうどんです。
垂水で古くからある喫茶店ブラジルです。ここには
10年ぐらい、入ったことがありません。
垂水の街は・・・古くからの街並みと、駅の東西にできた
再開発のビル、そして国道の南のマリンピア神戸・・・
幾つかの貌を持った街になってしまいました。
旧村である塩屋、下畑、東垂水、西垂水、東名、西名、
滑、中山、奥畑、山田、多聞の各村が明治22年の町村制の
実施によって合併してできた垂水村が、ほぼそのままです。
明治22年までは、海神社を境に西が西垂水村で、東が
東垂水村になります。今でも秋の海神社のお祭りに、
その名残を見ることができます。
明治20年頃の垂水の地図を見ると、垂水から東名、
西名、滑、中山、奥畑を経て、鉢伏山の北を廻って
摂津の国・ 八部郡の須磨村や林田村へ至る脇街道が
あります。概ね今の県道488号線長坂垂水線に重なる
のですが、鉄道の開通前の明治20年頃の地図では、
海神社と天神川(現在の商大筋)の中間辺りの
西国街道から北に分かれています。
現在に、その当時の名谷への街道を探ると・・・
旧・垂水警察署の西側の県道200号(垂水停車場線)
を北上して垂水駅を抜けてトーホーの前を通って、
天の下郵便局の西の細い路地のような道が、どうも
その名残のようです。
自転車の通行もままならない路地のような道ですが、
ここを更に北に進むと青木禅寺の辺り・・・
この辺りから垂水カトリック教会の北辺り〜瑞ヶ丘
八幡神社辺りで、現在の県道488号線に至ります。
青木禅寺の辺りは軽自動車がやっと通れるような
細い道が東西を貫いています。
この道を東に抜けると・・・県道488号線に出ます。
私のご贔屓の増田屋本店辺り。
今は駅前再開発で、垂水東口の区役所前に大きな
バスターミナルがありますが、昭和時代には、増田屋
本店の前の辺りの石垣沿いにバス停留所が並んで
いました。
この南側には垂水小学校があります。明治26年4月
には、児童数4300人、クラス数76、教員110人の
日本一のマンモス校だった時代があります。教室不足で
2部制授業だったそうです。翌年には高丸小学校と霞ヶ丘
小学校が出来てマンモス校は解消・・・
垂水小学校の南に再開発ビルとバスターミナル
そして区役所がありJR垂水駅の東口と続きます。
垂水小学校の西は、垂水センター街のアーケード
があります。
もうすぐイカナゴの解禁で、この中の何軒かの
魚屋さんの前には、イカナゴの行列が・・・
ちから餅という老舗のうどん屋さんです。コシのある
讃岐うどんとは違って、昔ながらの関西風の柔らかい麺
と甘いだし汁のうどんです。
垂水で古くからある喫茶店ブラジルです。ここには
10年ぐらい、入ったことがありません。
垂水の街は・・・古くからの街並みと、駅の東西にできた
再開発のビル、そして国道の南のマリンピア神戸・・・
幾つかの貌を持った街になってしまいました。
posted by student at 21:00| 日記
2010年02月14日
新長田・鉄人28号
昨年の春以来、久し振りに新長田の駅で電車を
降りました。この前の時には、駅前に鉄人28号の
ポスターがあって、組み立て(建築)がもうすぐ
始まるというような感じの頃でしたが、それから
半年以上の間、電車の車窓から、出来上がっていく
後姿と完成した後の姿を眺めながら途中下車したことが
ありませんでした。
だんだん近づくと・・・思っていた以上に大きいなあ〜と
感じました。
鉄人28号の前の人影が、なんだかちっぽけに見えます。
鉄人28号の前にたくさんの人が・・・携帯電話やデジカメで
撮影しているひとが結構多いようです。
間近に近づくと・・・大きな存在感を感じます。
鉄人28号をバックに記念写真を撮る人が次から次へと・・・
カブ・スカウトの子供たちが、写生をしていました。
ウォーク・ラリーの途中のようです。
いろいろ見る場所やアングルを変えて・・・この位置から
見上げるのが、もっとも存在感を感じるアングルでした。
ちょっと離れて・・・メタな感じで愉しむ鉄人28号・・・
電車の車窓から見るのは、この方向からです。
阪神大地震で大きな被害があって、駅は崩壊して、
街も・・・、再開発のビルが建ち並んで、風景が
一変したように思います。
・・・デジカメの操作ミスで白黒(B/W)モードでの撮影に
なっていました。途中で一度も写真を確認しなかったので、
パソコンにデータを移してから気がつきました。せっかくの
好天気で、色鮮やかな鉄人28号を撮影したつもりだったの
ですが・・・
カラー写真をパソコンの処理で白黒にすることは
できますが、逆は・・・残念ながら出来ません。
降りました。この前の時には、駅前に鉄人28号の
ポスターがあって、組み立て(建築)がもうすぐ
始まるというような感じの頃でしたが、それから
半年以上の間、電車の車窓から、出来上がっていく
後姿と完成した後の姿を眺めながら途中下車したことが
ありませんでした。
だんだん近づくと・・・思っていた以上に大きいなあ〜と
感じました。
鉄人28号の前の人影が、なんだかちっぽけに見えます。
鉄人28号の前にたくさんの人が・・・携帯電話やデジカメで
撮影しているひとが結構多いようです。
間近に近づくと・・・大きな存在感を感じます。
鉄人28号をバックに記念写真を撮る人が次から次へと・・・
カブ・スカウトの子供たちが、写生をしていました。
ウォーク・ラリーの途中のようです。
いろいろ見る場所やアングルを変えて・・・この位置から
見上げるのが、もっとも存在感を感じるアングルでした。
ちょっと離れて・・・メタな感じで愉しむ鉄人28号・・・
電車の車窓から見るのは、この方向からです。
阪神大地震で大きな被害があって、駅は崩壊して、
街も・・・、再開発のビルが建ち並んで、風景が
一変したように思います。
・・・デジカメの操作ミスで白黒(B/W)モードでの撮影に
なっていました。途中で一度も写真を確認しなかったので、
パソコンにデータを移してから気がつきました。せっかくの
好天気で、色鮮やかな鉄人28号を撮影したつもりだったの
ですが・・・
カラー写真をパソコンの処理で白黒にすることは
できますが、逆は・・・残念ながら出来ません。
posted by student at 15:00| 日記
2010年02月13日
垂水
垂水の街、JR神戸線の垂水駅の西口にも東口にも
それぞれ大きなバスターミナルがあって再開発のビルが
建っていますが、古くからの垂水の街は、今でも健全
です。
神戸の市街地は五畿内の摂津の国ですが、ここ垂水は
西国の播磨の国の明石郡になります。江戸中期から後期は
姫路城の城主が領主でした。その頃は垂水の中心にある
海神社を境にして西垂水村と東垂水村に分かれていました。
明治時代の最初には明石県でしたが、姫路県、飾磨県を
経て兵庫県となり明治中期以降は明石郡垂水村です。
その後町制がしかれて、そして昭和の始めに神戸市に編入
されて須磨区垂水町となり、戦後垂水区が誕生しました。
*
商店街にある八百屋さん、スーパーよりもずっと安く、
お客さんが群がっています。
その隣の魚屋さん「ひるあみ」も、地物の新鮮な
昼網の魚もあり、2月末からのイカナゴのシーズンに
なると朝から長い行列が・・・
おはぎの丹波屋、以前、違う処に店があった記憶が
あるのですが、元・垂水駅前食堂というラーメン屋さんが
あった場所にオープンして、朝早くから店を開いています。
そばドーナツ桜、1ヶ月ほど前にオープンした店です。
今でも時々店の外まで行列ができています。板宿に店が
あって、垂水は2店目のようです。
垂水庵という蕎麦屋さんがあったのですが、今は
宮本むなしになっています。この店は細長くて、向こうは
駅前の通りにも出入り口があります。垂水庵時代と
同じです。
それぞれ大きなバスターミナルがあって再開発のビルが
建っていますが、古くからの垂水の街は、今でも健全
です。
神戸の市街地は五畿内の摂津の国ですが、ここ垂水は
西国の播磨の国の明石郡になります。江戸中期から後期は
姫路城の城主が領主でした。その頃は垂水の中心にある
海神社を境にして西垂水村と東垂水村に分かれていました。
明治時代の最初には明石県でしたが、姫路県、飾磨県を
経て兵庫県となり明治中期以降は明石郡垂水村です。
その後町制がしかれて、そして昭和の始めに神戸市に編入
されて須磨区垂水町となり、戦後垂水区が誕生しました。
*
商店街にある八百屋さん、スーパーよりもずっと安く、
お客さんが群がっています。
その隣の魚屋さん「ひるあみ」も、地物の新鮮な
昼網の魚もあり、2月末からのイカナゴのシーズンに
なると朝から長い行列が・・・
おはぎの丹波屋、以前、違う処に店があった記憶が
あるのですが、元・垂水駅前食堂というラーメン屋さんが
あった場所にオープンして、朝早くから店を開いています。
そばドーナツ桜、1ヶ月ほど前にオープンした店です。
今でも時々店の外まで行列ができています。板宿に店が
あって、垂水は2店目のようです。
垂水庵という蕎麦屋さんがあったのですが、今は
宮本むなしになっています。この店は細長くて、向こうは
駅前の通りにも出入り口があります。垂水庵時代と
同じです。
posted by student at 23:59| 日記
2010年02月11日
灘の酒蔵「福寿を楽しむ会」
久し振りの阪神電車・御影駅です。
神戸にUターンして最初の勤務校があり、8年間通った
処です。このホームに降り立つのは2年ぶりぐらいです。
駅のホームから北側には、道を隔てて勤務校のグラウンド
があったのですが、今は大きなショッピングモールが
できています。校舎があった場所には高層のマンションが
完成間近のようです。
駅の南側は・・・懐かしい風景がそのまま残っていました。
ただ長崎屋は閉店して、ちょっと寂しい感じがしました。
冷たい雨の影響もあったかもしれません・・・
福寿の酒心館、ここに来るのも久し振りです。豊明蔵で
「福寿を楽しむ会」があります。
昨年まではテーブルと座席はなかったそうですが、
ゆっくりと 料理と共にお酒を味わってもらうために、
今年は座席とテーブルに膳を用意したとのこと、立食だと
落ち着きませんが、 これだと確かに座ってゆっくりと
楽しめます。
福寿社長の挨拶の後に乾杯。乾杯は5勺(90ml)のきき猪口に
大吟醸・・・美味しかったです!
乾杯の後に社長が杜氏の方々を紹介して、今日味わえる
お酒の説明と共に新酒の宣伝がありました。
お膳、料理長からの説明があり、福寿を愉しむ品々を
膳にしたとのこと、 確かにお酒とのコンビネーションが
絶妙でした。
乾杯のきき猪口に、杜氏の方々が作業服でラベルのない
蔵出しのタグだけの瓶から好みのお酒を注いで貰います。
吟醸酒、生酒、にごり酒、発泡酒・・・いろいろあります。
この会にお誘いいただいた職場の大先輩方も福寿の香りと
味と共に料理も愉しまれていました。皆さんデジカメを
取り出して・・・デジカメをお持ちでない大先輩は最新鋭の
携帯電話のカメラ機能を駆使していました。
お膳以外にも、いろいろな料理が用意されていました。
しばらくすると、会場の豊明蔵はお酒と料理と会話を
愉しむ方々の笑顔で満たされて、ほんとうに良い雰囲気で
みたされていました。皆さん、日本酒をこよなく愛する
方々のようです。
大先輩のお一人が「化ける」という技を言葉巧みに
駆使して、最初の乾杯の大吟醸を交渉していました。
私もお零れを頂戴することができました。
「恐るべし」という言葉が頭に浮かびましたが、声には
出しませんでした。
これは・・・「和らぎ水」です。5勺(90ml)のきき猪口で
6種類飲むと3合にもなります。特に原酒は度数が高いので、
この和らぎ水をチェイサーにして、酔い過ぎないように・・・。
お酒にも優るほどの美味しい水でした。
純米にごり酒はちらし寿司と一緒に味わいました。
これもなかなか良いコンビネーションでした。
最後に抽選会、社長が抽選箱に手を入れて・・・並んでいる
のが賞品です。
残念ながら当たりませんでした。
宴もピリオドになって・・・いろいろな福寿を味わった
5勺(90ml)のきき猪口はお土産とのこと・
出口でお見送りをされておられた社長とツーショットの
写真
外は冷たい雨でした。来る時は寒かったのですが、
帰りはお酒で身体も心も暖まったのか、それほど
寒さを感じませんでした。
神戸にUターンして最初の勤務校があり、8年間通った
処です。このホームに降り立つのは2年ぶりぐらいです。
駅のホームから北側には、道を隔てて勤務校のグラウンド
があったのですが、今は大きなショッピングモールが
できています。校舎があった場所には高層のマンションが
完成間近のようです。
駅の南側は・・・懐かしい風景がそのまま残っていました。
ただ長崎屋は閉店して、ちょっと寂しい感じがしました。
冷たい雨の影響もあったかもしれません・・・
福寿の酒心館、ここに来るのも久し振りです。豊明蔵で
「福寿を楽しむ会」があります。
昨年まではテーブルと座席はなかったそうですが、
ゆっくりと 料理と共にお酒を味わってもらうために、
今年は座席とテーブルに膳を用意したとのこと、立食だと
落ち着きませんが、 これだと確かに座ってゆっくりと
楽しめます。
福寿社長の挨拶の後に乾杯。乾杯は5勺(90ml)のきき猪口に
大吟醸・・・美味しかったです!
乾杯の後に社長が杜氏の方々を紹介して、今日味わえる
お酒の説明と共に新酒の宣伝がありました。
お膳、料理長からの説明があり、福寿を愉しむ品々を
膳にしたとのこと、 確かにお酒とのコンビネーションが
絶妙でした。
乾杯のきき猪口に、杜氏の方々が作業服でラベルのない
蔵出しのタグだけの瓶から好みのお酒を注いで貰います。
吟醸酒、生酒、にごり酒、発泡酒・・・いろいろあります。
この会にお誘いいただいた職場の大先輩方も福寿の香りと
味と共に料理も愉しまれていました。皆さんデジカメを
取り出して・・・デジカメをお持ちでない大先輩は最新鋭の
携帯電話のカメラ機能を駆使していました。
お膳以外にも、いろいろな料理が用意されていました。
しばらくすると、会場の豊明蔵はお酒と料理と会話を
愉しむ方々の笑顔で満たされて、ほんとうに良い雰囲気で
みたされていました。皆さん、日本酒をこよなく愛する
方々のようです。
大先輩のお一人が「化ける」という技を言葉巧みに
駆使して、最初の乾杯の大吟醸を交渉していました。
私もお零れを頂戴することができました。
「恐るべし」という言葉が頭に浮かびましたが、声には
出しませんでした。
これは・・・「和らぎ水」です。5勺(90ml)のきき猪口で
6種類飲むと3合にもなります。特に原酒は度数が高いので、
この和らぎ水をチェイサーにして、酔い過ぎないように・・・。
お酒にも優るほどの美味しい水でした。
純米にごり酒はちらし寿司と一緒に味わいました。
これもなかなか良いコンビネーションでした。
最後に抽選会、社長が抽選箱に手を入れて・・・並んでいる
のが賞品です。
残念ながら当たりませんでした。
宴もピリオドになって・・・いろいろな福寿を味わった
5勺(90ml)のきき猪口はお土産とのこと・
出口でお見送りをされておられた社長とツーショットの
写真
外は冷たい雨でした。来る時は寒かったのですが、
帰りはお酒で身体も心も暖まったのか、それほど
寒さを感じませんでした。
posted by student at 23:59| 日記
2010年02月10日
霧にむせぶ朝
今朝、玄関を出ると・・・
私が住んでいる処は神戸の西の端、2階の窓からは
明石海峡に架かる明石海峡大橋を望むことが出来、
その向こうに淡路島が横たわっています。
梅雨の頃の早朝には海峡が濃い霧で包まれることが多く、
海峡を目の前にする丘陵に「朝霧」や「霞ヶ丘」という
地名がつけられています。
枕元の目覚まし時計に温度計がついているのですが、
この時期の早朝の寝室は10度を下回るぐらいなのですが
今朝は16度もありました。西から低気圧と前線が近づき
昨夜からの小雨で湿度と温度が上がって・・・
二,三十メートル離れたマンションの上部が、霧で
見えないぐらい、「霧でむせぶ」という言葉そのもの・・・
海峡が霧で包まれる梅雨の頃の早朝には、ボーという
海峡を横切る船の霧笛が聞こえてくることがあるのですが、
今朝も駅まで歩く間に何度か、ボーという低い霧笛を
耳にしました。
*
垂水の街の西を南北に走る商大筋も霧で包まれていました。
そして商大筋から見た垂水駅前です。左側がジャスコ
のあるウエスト垂水、右側がJR神戸線と山陽電車の
高架と垂水駅。そして目の前のバスターミナルがあり、
その向こうに垂水の街が広がっているのですが・・・霧で
包まれて真っ白です。
電車のダイヤは、霧の影響で遅れていました。須磨駅で
快速待ちをするのですが、快速はもっと遅れて、快速電車を
待たずに 出発しました。電車は霧の中で速度を落として
ゆっくりと 運転していました。
私が住んでいる処は神戸の西の端、2階の窓からは
明石海峡に架かる明石海峡大橋を望むことが出来、
その向こうに淡路島が横たわっています。
梅雨の頃の早朝には海峡が濃い霧で包まれることが多く、
海峡を目の前にする丘陵に「朝霧」や「霞ヶ丘」という
地名がつけられています。
枕元の目覚まし時計に温度計がついているのですが、
この時期の早朝の寝室は10度を下回るぐらいなのですが
今朝は16度もありました。西から低気圧と前線が近づき
昨夜からの小雨で湿度と温度が上がって・・・
二,三十メートル離れたマンションの上部が、霧で
見えないぐらい、「霧でむせぶ」という言葉そのもの・・・
海峡が霧で包まれる梅雨の頃の早朝には、ボーという
海峡を横切る船の霧笛が聞こえてくることがあるのですが、
今朝も駅まで歩く間に何度か、ボーという低い霧笛を
耳にしました。
*
垂水の街の西を南北に走る商大筋も霧で包まれていました。
そして商大筋から見た垂水駅前です。左側がジャスコ
のあるウエスト垂水、右側がJR神戸線と山陽電車の
高架と垂水駅。そして目の前のバスターミナルがあり、
その向こうに垂水の街が広がっているのですが・・・霧で
包まれて真っ白です。
電車のダイヤは、霧の影響で遅れていました。須磨駅で
快速待ちをするのですが、快速はもっと遅れて、快速電車を
待たずに 出発しました。電車は霧の中で速度を落として
ゆっくりと 運転していました。
posted by student at 21:21| 日記
2010年02月09日
神戸・高架沿いの風景
神戸の街で「高架」というと、神戸駅と三ノ宮駅との
間に続く元町高架下商店街・モトコーが有名ですが、
三ノ宮駅の東側はJRの複々線と阪急神戸線が並行した
幅の広い高架が続いて高架下に商店や工場、住宅や倉庫が・
時々、一駅手前の三ノ宮駅で降りて、旧西国街道を歩いて
いますが、今朝は、高架沿いを灘駅までの一駅分を歩いて
みました。
三ノ宮駅が、旧西国街道沿い・現国道2号線の近くに
位置するのですが、高架は、神戸の街の東西に連なる通りを
斜めに横切っています。その為、高架沿いを歩いていると、
下の写真のような三角交差点の光景に出逢います。今朝は
曇天で6時半過ぎには、まだ街灯が点いていました。
効果沿いを歩いていた30分ほどの間に、貨物列車の
通過するのと3回遭遇しました。もうしばらくすると
JR神戸線と京都線は新快速電車が行き交う通勤時間帯
なので、その前に京阪神地区を貨物列車が通過するように
ダイヤが組まれているのかなあ〜と・
南北の大安亭市場と交差する辺りは、高架下に商店が
連なって、その近辺には高架下に生活臭を感じます。
高架が、住宅の2階分ぐらいの高さで、2階部分の
窓に物干し竿が架けている光景もあります。
阪急神戸線の春日野道駅附近です。右側の道が、ほぼ
神戸の街を東西に横断しており、高架が、六甲山系と
海岸に挟まれた細長い神戸の街を斜めに横切っています。
灘駅に近づくと、阪急の高架は、更に斜めに北上して、
JRの高架は徐々に低くなって地上駅の灘駅に至ります。
写真の薬局は神鋼病院前で、高架下の東端になります。
神鋼病院が、神戸製鋼の最初の製鉄所の工場があった処
です。戦前の財閥・鈴木商店の製鉄部門です。そして
勤務校も、神戸製鋼発祥の地の工場跡地になります。
鈴木商店は・・・1918年(大正7年)の米騒動の時の
焼き討ち事件が教科書に載ることもあって、そちらの
方が有名でしょうか?
間に続く元町高架下商店街・モトコーが有名ですが、
三ノ宮駅の東側はJRの複々線と阪急神戸線が並行した
幅の広い高架が続いて高架下に商店や工場、住宅や倉庫が・
時々、一駅手前の三ノ宮駅で降りて、旧西国街道を歩いて
いますが、今朝は、高架沿いを灘駅までの一駅分を歩いて
みました。
三ノ宮駅が、旧西国街道沿い・現国道2号線の近くに
位置するのですが、高架は、神戸の街の東西に連なる通りを
斜めに横切っています。その為、高架沿いを歩いていると、
下の写真のような三角交差点の光景に出逢います。今朝は
曇天で6時半過ぎには、まだ街灯が点いていました。
効果沿いを歩いていた30分ほどの間に、貨物列車の
通過するのと3回遭遇しました。もうしばらくすると
JR神戸線と京都線は新快速電車が行き交う通勤時間帯
なので、その前に京阪神地区を貨物列車が通過するように
ダイヤが組まれているのかなあ〜と・
南北の大安亭市場と交差する辺りは、高架下に商店が
連なって、その近辺には高架下に生活臭を感じます。
高架が、住宅の2階分ぐらいの高さで、2階部分の
窓に物干し竿が架けている光景もあります。
阪急神戸線の春日野道駅附近です。右側の道が、ほぼ
神戸の街を東西に横断しており、高架が、六甲山系と
海岸に挟まれた細長い神戸の街を斜めに横切っています。
灘駅に近づくと、阪急の高架は、更に斜めに北上して、
JRの高架は徐々に低くなって地上駅の灘駅に至ります。
写真の薬局は神鋼病院前で、高架下の東端になります。
神鋼病院が、神戸製鋼の最初の製鉄所の工場があった処
です。戦前の財閥・鈴木商店の製鉄部門です。そして
勤務校も、神戸製鋼発祥の地の工場跡地になります。
鈴木商店は・・・1918年(大正7年)の米騒動の時の
焼き討ち事件が教科書に載ることもあって、そちらの
方が有名でしょうか?
posted by student at 20:00| 日記
2010年02月08日
いのち・・・
「いのち」とは・・・
ラジオが予約録音できるICレコーダで、NHKの
ラジオ深夜便の「こころの時代」を毎日録音しています。
通勤の電車の中や、枕元で聴いているのですが、今日は
昨年10月16日放送の「ゾウリムシに学んだこと」を
行き帰りの電車の中で聴いていました。大沢文夫さんという
日本の生物物理学の元祖のような存在とのこと。
物質と生物との違いというのは、明確に線引きが出来ない
そうです。生物とはいのち(生命)を持った存在で、いのち
(生命)とは、生物に宿っているもの・・・
物質と生物との境界に存在するのがウイルスだそうで、
一般に非細胞性生物または非生物として位置づけられている
そうです。
「いのち」の尊厳・・・、生けとし生きるものに対して
尊いという思い、愛おしいという感情は大切だと思います。
写真1
でも他の「いのち」を喰らうことによって、自らの
「いのち」の糧にしているのも事実です。家畜を食べたり
農作物を食べたり、海の幸を味わったり・・・他の「いのち」
の犠牲によって、私の「いのち」が成り立っていること
からは逃れることができません。
写真2
そして、多くの人間が尊厳を感じることがあまりない
ような「いのち」も・・・、人間の生活を脅かす害虫や猛獣、
病原菌、そして目に見えない微生物・・・
写真3(ゾウリムシ)
大沢文夫さんの「ゾウリムシに学んだこと」では、
単細胞生物のゾウリムシを通して、いのちの尊厳について
考えさせられました。可愛いと感じるペットや野鳥、
不快と感じるゴキブリや蚊、ハエ。私自身も、「いのち」を
持つ存在を平等に尊いと感じたり愛おしいと感じている
わけではなくて、区別・差別を心の中でしています。
そして微生物に対しては「いのち」の実感さえ感じない
ように思います。
混雑する帰りの電車の中で、ヘッドホンから聞こえる
大沢文夫さんの話に、神経を集中して聞き入ってしまい、
そして考えさせられました。
*
いつもは自分で撮ったデジカメの写真を日記に貼り付ける
のですが、今日はウィキメディア・コモンズの写真を利用
しました。ウィキメディア・コモンズの写真にも、利用する
にはリンクのみOKというのもあったり、利用制限があったりと、
その利用・扱いはさまざまです。今回利用した3枚の写真は、
GNU Free Documentation Licenseの下に提供されたものです。
credit
・写真1
author Kurt Stueber
Wikimedia Commons
under the terms of the GNU Free Documentation Licens
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Cat_Eyes.jpg
・写真2
author Jorge Barrios
Wikimedia Commons
under the terms of the GNU Free Documentation Licens
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Triticum_monococcum0.jpg
・写真3
author Barfooz
Wikimedia Commons
under the terms of the GNU Free Documentation Licens
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Paramecium.jpg
ラジオが予約録音できるICレコーダで、NHKの
ラジオ深夜便の「こころの時代」を毎日録音しています。
通勤の電車の中や、枕元で聴いているのですが、今日は
昨年10月16日放送の「ゾウリムシに学んだこと」を
行き帰りの電車の中で聴いていました。大沢文夫さんという
日本の生物物理学の元祖のような存在とのこと。
物質と生物との違いというのは、明確に線引きが出来ない
そうです。生物とはいのち(生命)を持った存在で、いのち
(生命)とは、生物に宿っているもの・・・
物質と生物との境界に存在するのがウイルスだそうで、
一般に非細胞性生物または非生物として位置づけられている
そうです。
「いのち」の尊厳・・・、生けとし生きるものに対して
尊いという思い、愛おしいという感情は大切だと思います。
写真1
でも他の「いのち」を喰らうことによって、自らの
「いのち」の糧にしているのも事実です。家畜を食べたり
農作物を食べたり、海の幸を味わったり・・・他の「いのち」
の犠牲によって、私の「いのち」が成り立っていること
からは逃れることができません。
写真2
そして、多くの人間が尊厳を感じることがあまりない
ような「いのち」も・・・、人間の生活を脅かす害虫や猛獣、
病原菌、そして目に見えない微生物・・・
写真3(ゾウリムシ)
大沢文夫さんの「ゾウリムシに学んだこと」では、
単細胞生物のゾウリムシを通して、いのちの尊厳について
考えさせられました。可愛いと感じるペットや野鳥、
不快と感じるゴキブリや蚊、ハエ。私自身も、「いのち」を
持つ存在を平等に尊いと感じたり愛おしいと感じている
わけではなくて、区別・差別を心の中でしています。
そして微生物に対しては「いのち」の実感さえ感じない
ように思います。
混雑する帰りの電車の中で、ヘッドホンから聞こえる
大沢文夫さんの話に、神経を集中して聞き入ってしまい、
そして考えさせられました。
*
いつもは自分で撮ったデジカメの写真を日記に貼り付ける
のですが、今日はウィキメディア・コモンズの写真を利用
しました。ウィキメディア・コモンズの写真にも、利用する
にはリンクのみOKというのもあったり、利用制限があったりと、
その利用・扱いはさまざまです。今回利用した3枚の写真は、
GNU Free Documentation Licenseの下に提供されたものです。
credit
・写真1
author Kurt Stueber
Wikimedia Commons
under the terms of the GNU Free Documentation Licens
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Cat_Eyes.jpg
・写真2
author Jorge Barrios
Wikimedia Commons
under the terms of the GNU Free Documentation Licens
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Triticum_monococcum0.jpg
・写真3
author Barfooz
Wikimedia Commons
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Paramecium.jpg
posted by student at 20:00| 日記
2010年02月06日
ラモーと村上春樹
今朝の神戸は、かなり冷え込みました。5時には寝室の
温度計が6度で、隣の洋室が4度でした。幸い今日は
土曜日でエアコンのスイッチを入れて、布団の温もりを
身体全身で感じながら布団の中でラジオに耳を傾けて、
しばしのひとときを・・・
朝食後出掛ける予定だったのですが、外が寒そうなので
午後からにして、朝は自宅でゆっくと寛ぐことにしました。
ガラス戸越しに射し込む朝日は柔らかいのですが、ガラス戸の
向こう側は、冷たい風が吹いて、体感温度はかなり低そうです。
加湿器とストーブをつけて、2階の陽射が室内まで射し込む
和室で音楽を聴きながら・・・
18Cのフランスの作曲家ラモーのクラブサン(チェンバロ)
のCDです。ラモーは、それほど知名度の高い作曲家では
ないですが、ルソーとのブフォン論争が有名です。ルソーは
『むすんでひらいて』や幾つかの賛美歌の作曲家という貌も
持っていました。
冬の静かな休日の朝に古いクラブサンの曲を聴くと、時の
流れもゆったりしたように感じます。
*
村上春樹の『1Q84』のBOOK3が4月16日に発売される
とのこと。
初めて村上春樹の作品を読んだのは 『世界の終りと
ハードボイルド・ワンダーランド』でした。そして
『羊をめぐる冒険』、『1973年のピンボール』、『風の歌を
聴け』と遡って読んだ記憶があります。そして『ノルウェイの森』、
『ダンス・ダンス・ダンス』、『国境の南、太陽の西』は、
発売日に第一刷を買ってすぐ読んだぐらいの熱狂的とも言える
ファンでした。
『国境の南、太陽の西』は、当時住んでいた埼玉の三郷から
千葉ニュータウンに通っていた電車の中で読んで、小説の
クライマックスの部分が、帰路の電車の中、北総線から
新京成線に乗り換える新鎌ヶ谷駅で読み耽っていて、
あやうく乗り過ごしそうになって、あわてて電車を降りた時に、
ホームが西日を受けて真っ赤に染まっていた光景が鮮明に
記憶に残っています。その後、『国境の南、太陽の西』を
読み返す度に、小説のストーリーに、新鎌ヶ谷駅の真っ赤に
染まったホームの光景がオーバーラップします。
『ダンス・ダンス・ダンス』が本棚に見当たりません。
誰かに貸したままになっているのか、どこかに紛れているのか・
もう何年も読んだ記憶がないので、本棚から何時消えたのかも
定かではありません。
その後、村上春樹の作品とは、ちょっと距離を置いて
いました。『ねじまき鳥クロニクル』と『スプートニクの
恋人』は文庫本化してから買いました。
『ねじまき鳥クロニクル』も見当たりませんでした。
その後の作品は読んでいません。『1Q84』のBOOK1と
BOOK2も・・・
「デタッチメントからコミットメントへ」というような
表現をされていますが、私は『1973年のピンボール』に
代表されるような村上春樹の初期の作品には惹かれますが、
『ねじまき鳥クロニクル』以降は、村上春樹の描く物語の
世界に入り込めなくなってしまいました。
『1Q84』は・・・読んでみようか・とも思いつつ、
まだ目を通していません。久し振りに初期の作品を
読み返したいなあ〜という気持ちの方が強いです。
一時期、ペーパークリップに凝ったことがあり、今も
気になるアイテムです。これは村上春樹の影響です。
就寝が早くて朝早く起きる。ヘビースモーカーだったのが
煙草をやめる。ジムのプールでへとへとになるまで泳ぐ...
これらも村上春樹の影響のような気がします。
初期の作品の情景が神戸の街の雰囲気を感じさせて
くれるのも好きです♪
温度計が6度で、隣の洋室が4度でした。幸い今日は
土曜日でエアコンのスイッチを入れて、布団の温もりを
身体全身で感じながら布団の中でラジオに耳を傾けて、
しばしのひとときを・・・
朝食後出掛ける予定だったのですが、外が寒そうなので
午後からにして、朝は自宅でゆっくと寛ぐことにしました。
ガラス戸越しに射し込む朝日は柔らかいのですが、ガラス戸の
向こう側は、冷たい風が吹いて、体感温度はかなり低そうです。
加湿器とストーブをつけて、2階の陽射が室内まで射し込む
和室で音楽を聴きながら・・・
18Cのフランスの作曲家ラモーのクラブサン(チェンバロ)
のCDです。ラモーは、それほど知名度の高い作曲家では
ないですが、ルソーとのブフォン論争が有名です。ルソーは
『むすんでひらいて』や幾つかの賛美歌の作曲家という貌も
持っていました。
冬の静かな休日の朝に古いクラブサンの曲を聴くと、時の
流れもゆったりしたように感じます。
*
村上春樹の『1Q84』のBOOK3が4月16日に発売される
とのこと。
初めて村上春樹の作品を読んだのは 『世界の終りと
ハードボイルド・ワンダーランド』でした。そして
『羊をめぐる冒険』、『1973年のピンボール』、『風の歌を
聴け』と遡って読んだ記憶があります。そして『ノルウェイの森』、
『ダンス・ダンス・ダンス』、『国境の南、太陽の西』は、
発売日に第一刷を買ってすぐ読んだぐらいの熱狂的とも言える
ファンでした。
『国境の南、太陽の西』は、当時住んでいた埼玉の三郷から
千葉ニュータウンに通っていた電車の中で読んで、小説の
クライマックスの部分が、帰路の電車の中、北総線から
新京成線に乗り換える新鎌ヶ谷駅で読み耽っていて、
あやうく乗り過ごしそうになって、あわてて電車を降りた時に、
ホームが西日を受けて真っ赤に染まっていた光景が鮮明に
記憶に残っています。その後、『国境の南、太陽の西』を
読み返す度に、小説のストーリーに、新鎌ヶ谷駅の真っ赤に
染まったホームの光景がオーバーラップします。
『ダンス・ダンス・ダンス』が本棚に見当たりません。
誰かに貸したままになっているのか、どこかに紛れているのか・
もう何年も読んだ記憶がないので、本棚から何時消えたのかも
定かではありません。
その後、村上春樹の作品とは、ちょっと距離を置いて
いました。『ねじまき鳥クロニクル』と『スプートニクの
恋人』は文庫本化してから買いました。
『ねじまき鳥クロニクル』も見当たりませんでした。
その後の作品は読んでいません。『1Q84』のBOOK1と
BOOK2も・・・
「デタッチメントからコミットメントへ」というような
表現をされていますが、私は『1973年のピンボール』に
代表されるような村上春樹の初期の作品には惹かれますが、
『ねじまき鳥クロニクル』以降は、村上春樹の描く物語の
世界に入り込めなくなってしまいました。
『1Q84』は・・・読んでみようか・とも思いつつ、
まだ目を通していません。久し振りに初期の作品を
読み返したいなあ〜という気持ちの方が強いです。
一時期、ペーパークリップに凝ったことがあり、今も
気になるアイテムです。これは村上春樹の影響です。
就寝が早くて朝早く起きる。ヘビースモーカーだったのが
煙草をやめる。ジムのプールでへとへとになるまで泳ぐ...
これらも村上春樹の影響のような気がします。
初期の作品の情景が神戸の街の雰囲気を感じさせて
くれるのも好きです♪
posted by student at 08:31| 日記
2010年02月03日
推薦入試
今日は節分、そして明日は立春です。今日の神戸は
冷え込みました。
勤務校では、今日から3日間が推薦入試の願書受付
です。私は午前中の担当で9時から12時40分まで・
担当の時間が過ぎて、願書受付の部屋を出ると、12時
現在の応募状況が貼っていました。
今日の午前中は、3年生の学年末試験の答案返却だった
のですが、私は願書受付担当だったので、クラス担任に
先生に答案を委ねていたのですが、生徒が2人、廊下で
待っていました。採点ミスがあったようで、寒い廊下で
20分ぐらい待たせてしまいました。
年末・年始に体重が3キロほど増えたままなので、
お昼はちょっと軽く食べるようにしています。今日は
駅前のコンビニで買ったおにぎりです。
「たまごかけごはん風」というネーミングに惹かれて
買ってしまいました。半熟たまごが中に入って、ちょっと
とろ〜とした感じが、確かにたまごかけごはん風でした。
冷え込みました。
勤務校では、今日から3日間が推薦入試の願書受付
です。私は午前中の担当で9時から12時40分まで・
担当の時間が過ぎて、願書受付の部屋を出ると、12時
現在の応募状況が貼っていました。
今日の午前中は、3年生の学年末試験の答案返却だった
のですが、私は願書受付担当だったので、クラス担任に
先生に答案を委ねていたのですが、生徒が2人、廊下で
待っていました。採点ミスがあったようで、寒い廊下で
20分ぐらい待たせてしまいました。
年末・年始に体重が3キロほど増えたままなので、
お昼はちょっと軽く食べるようにしています。今日は
駅前のコンビニで買ったおにぎりです。
「たまごかけごはん風」というネーミングに惹かれて
買ってしまいました。半熟たまごが中に入って、ちょっと
とろ〜とした感じが、確かにたまごかけごはん風でした。
posted by student at 20:48| 日記
2010年02月02日
研究授業〜初任者研修
今日は、初任者研修の研究授業がありました。
本来ならば3年生の授業がある時間帯なのですが、
もう3年生は卒業試験も終わって・・・研究授業を
見学しました。
ちょっとザワザワした感じで授業が始まりましたが、
騒がしいというよりも、教室の後に見学の先生がたくさん
並んで、ちょっと興奮気味という感じでした。2年生の
選択授業で建築関係の内容の科目で、研究授業の内容は
「床」で、畳に関する内容でした。
実際に小さな畳のモデルを生徒に配って考えさせて
いました。
同じ敷き方の生徒が多かったです。
生徒のアイデアを見て廻って、3種類の敷き方を前で
発表させました。その後に、畳の敷き方に、祝儀敷きと
不祝儀敷きとの2種類があるとの説明をして・・・この授業で、
初めて知りました。今は、基本的には、すべて祝儀敷き
だそうです。
授業の流れも、生徒の興味・関心を惹くような方法で
板書の時には、静かにノートをとって、生徒に発表させる
時には、生徒との軽快なやりとりをして、メリハリのある
授業運びでした。
床の間がある時には、畳の敷き方はどうなるか?これも
生徒を前に出させて発表させました。
正解は左側だそうです。
本来ならば3年生の授業がある時間帯なのですが、
もう3年生は卒業試験も終わって・・・研究授業を
見学しました。
ちょっとザワザワした感じで授業が始まりましたが、
騒がしいというよりも、教室の後に見学の先生がたくさん
並んで、ちょっと興奮気味という感じでした。2年生の
選択授業で建築関係の内容の科目で、研究授業の内容は
「床」で、畳に関する内容でした。
実際に小さな畳のモデルを生徒に配って考えさせて
いました。
同じ敷き方の生徒が多かったです。
生徒のアイデアを見て廻って、3種類の敷き方を前で
発表させました。その後に、畳の敷き方に、祝儀敷きと
不祝儀敷きとの2種類があるとの説明をして・・・この授業で、
初めて知りました。今は、基本的には、すべて祝儀敷き
だそうです。
授業の流れも、生徒の興味・関心を惹くような方法で
板書の時には、静かにノートをとって、生徒に発表させる
時には、生徒との軽快なやりとりをして、メリハリのある
授業運びでした。
床の間がある時には、畳の敷き方はどうなるか?これも
生徒を前に出させて発表させました。
正解は左側だそうです。
posted by student at 21:49| 日記
2010年02月01日
霧とお茶とハープ
一昨日の土曜は一日快晴で結構気温が上がり、そして
昨日は時折雨が降るどんよりとした一日、昨晩は、関西
の広い地域を濃霧がおおったようで、その余韻が今朝も
残っていました。玄関を出ると、薄い霧が一面に・・・
今朝は一駅手前の三ノ宮駅で降りて歩いたのですが、
新生田川から北を見ると、新幹線の新神戸駅附近の高い
ビルの上が霧で覆われて、その背後の六甲山系も霧の中
です。かすかに山頂付近が顕れています。
一冊の文庫本を買いました。
岡倉天心の『茶の本』です。今週の水曜から、NHK教育の
趣味悠々で、お茶の「一期一会」が始まるので、ふと前から
気になっていたこの本のことを思い出して、駅前の本屋さん
で買いました。
そして、同じ様にふと気になって、CD棚から、このCDを
取り出して、今聴いています。
ハープ奏者・吉野直子のはじめてのCD『アラベスク』です。
私のお気に入りのCDの一枚です。吉野さんは、音楽大学で
はなくて、教養学部で有名なICUで美術史を専攻して、この
CDは在学中のものです。リベラル・アーツの大切さを最近
再認識しているので、なんとなく共感を持って、このCDの
ことを思い出して・・・
久し振りに聴いて・・・しばらくリピートして聴きそうです。
昨日は時折雨が降るどんよりとした一日、昨晩は、関西
の広い地域を濃霧がおおったようで、その余韻が今朝も
残っていました。玄関を出ると、薄い霧が一面に・・・
今朝は一駅手前の三ノ宮駅で降りて歩いたのですが、
新生田川から北を見ると、新幹線の新神戸駅附近の高い
ビルの上が霧で覆われて、その背後の六甲山系も霧の中
です。かすかに山頂付近が顕れています。
一冊の文庫本を買いました。
岡倉天心の『茶の本』です。今週の水曜から、NHK教育の
趣味悠々で、お茶の「一期一会」が始まるので、ふと前から
気になっていたこの本のことを思い出して、駅前の本屋さん
で買いました。
そして、同じ様にふと気になって、CD棚から、このCDを
取り出して、今聴いています。
ハープ奏者・吉野直子のはじめてのCD『アラベスク』です。
私のお気に入りのCDの一枚です。吉野さんは、音楽大学で
はなくて、教養学部で有名なICUで美術史を専攻して、この
CDは在学中のものです。リベラル・アーツの大切さを最近
再認識しているので、なんとなく共感を持って、このCDの
ことを思い出して・・・
久し振りに聴いて・・・しばらくリピートして聴きそうです。
posted by student at 20:58| 日記