2010年01月31日

ネット生放送

 日本一まずいラーメン屋という彦龍(ひこりゅう)」が
今日限りでで閉店とのこと、ネットのニュースで見つけて
これから生放送があるとのこと、早速「ニコニコ動画」
というサイトに登録して・・・。

 日暮里駅西口から真っ直ぐ・・・日暮里駅は以前は毎日
常磐線と山手線の乗り換えをしていましたが、駅から
出たこともなく、どうも千駄木3丁目の交差点の近く
のようですが、画面にうつる辺りは暗いのでぼ〜と、
低解像度の画面と実況のアナウンスを見ていました。
「ニコニコ動画」というのは、YouTubeのようなサイト
なのかと思っていたのですが、このような個人が放送する
ネット生放送をすることができるようで、アチコチ訪れて
ました。

 自宅のパソコンの前で、カメラを取り付けて、自分の
映像を流しながら、テキストのコメントを通して
おしゃべりをするスタイルのネット生放送が盛んでした。

 これは、ひとりで食事をするのが寂しいので、
一人暮らしの部屋から、カップラーメンをつくって、
待つ間にコメントや身近な話題のおしゃべりをして、
時間が来たらラーメンを食べながらおしゃべりをするという
他愛のないネット生放送・・・

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 看護学校に通っているそうで、問題集を解きながら、
問題を口にして、「むつかしいねえ〜」とか「わかった!」
とか「誰かわかる〜?」と勉強風景のネット生放送・・・

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 大きなサングラスで顔がわからないようにしたり、大きな
マスクで顔を被って、テキストで送られてくるコメントに
対して対話するスタイル・・・

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 そして、そのまま顔を出してテキストのコメントと対話
するようなスタイルのおしゃべりを続けるネット生放送も
ありました。

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 電子メールや、ホームページだけでなくて、掲示板や
チャット、メーリングリストぐらいまでは、古くからある
ネットサービスですが、ブログが現われて、ソーシャル・
ネットワーキング・サービスが現われて、そして登録
したのですが活用できぬままのツイータ…。でも、この
ネット生放送は、ちょっと私には出来そうにありません。

posted by student at 22:41| 日記

2010年01月30日

時を越えた再会と満月

 休日の土曜日の朝、神戸は冬の柔らかい陽射しを愉しむ
ことができる良い天気で、8時からオープンしている
垂水温泉・太平の湯で、朝から寛ぎモードでした。
ここの スチームサウナからは、大きなガラス越しに
明石海峡、淡路 そして大阪湾を一望でき、湯煙の中から
ガラス越しに、朝日が大阪湾を黄金色に輝かせる光景を
時間を忘れて眺めていました。

 その後、明石・大蔵海岸にある24時間営業のスーパーに
行って、ガソリンスタンドで灯油を買って、・ダイエー前の
舞子台8丁目の交差点にあるラーメン屋さん・大連、もう
オープンして30年を超えるでしょうか?オープン当初は
大将も若くて髪も長かったのですが、急に髪を短く刈り上げた
時にカウンター越しに聞いた話ですが、夜のお客さんに絡まれ
たそうで、それ以降は短くしたままでした。ラーメン屋の
カウンターで餃子を食べながらビールを飲んで、仕上げに
ラーメンというパターンは、この店で覚えたように思います。

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 国道2号線の、舞子駅前交差点です。明石海峡大橋と、
苔谷からのループを描く橋の下にある交差点で、この地下
には、舞子の駅前をバイパスするトンネルがあり、新しい
舞子の風景のように感じて、この交差点で信号に引っ掛かる
時は、いつも周りを見渡したり、上を見上げたりして
しまいます。

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 午後は、CDを聴きながら読書や、パソコンの中のデジカメの
写真の整理等々、ゆったりとした時間に、うとうと眠気を
時折感じながら・・・。ふと机の横を見ると、ブラインド越しに
西日が部屋の中に入ってきています。夏場は日が高いので、
日が射し込むことはなく、冬のこの時期だけだと思います。

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 10年以上ぶりに学生時代の旧知の友人と会うことになり、
暗くなってから家を出ました。駅に向かう東向きの坂の処で
東の空の端に大きな満月が・・・

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デジカメを取り出して、ブレないようにしっかり持って・・・

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 東京の練馬、兵庫の西宮そして埼玉の大宮を経て愛知の
一宮に7年、そしてこのたび大阪の茨木に転勤となったとの
こと。その間に私は、千葉、東京、埼玉と転職を繰り返して
そして神戸・・・。

 お気に入りの地元の鮨屋・増田屋で、いつものお造りの
盛り合わせの荒磯盛、2人だと結構豪華です!

  久し振りの再会で、アレコレと積もる話に、お酒は進むの
ですが、食事はあまり注文せずに・・・

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 ヒレ酒を頼んだ頃には、10年以上ぶりという時間の
距離もなくなって・・・  

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 あまりアレコレと頼まなかったので、いつもは最後に
2〜3鮨を握ってもらって〆なのですが、最後に上握りを
注文しました。新しいパターンです。

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 8時閉店のところを9時前まで長居して・・・賑わっていた
週末の店内の最後の客になってしまいました。
いつもですが・・・

 名残惜しくて、その後喫茶店に寄って、ここも閉店時間
まで・





posted by student at 23:59| 日記

2010年01月29日

冬の朝の通勤風景

 日の出の時刻がもっとも遅いのが1月の上旬で、
それを挟んで12月の下旬から1月の下旬の時期には、
朝玄関を出ると外は真っ暗闇です。

 今朝、まだ暗い道を駅に向かって歩いていると、
東の空の端が薄明るく感じました。駅前のバス
ターミナルに着く頃には、更に・・・

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でもデジカメに写った写真には、その東の空の
微妙な黎明の感じが写っていませんでした。

 JR神戸線灘駅、西隣の三ノ宮駅は高架駅で、灘駅は
地上駅です。灘駅の西側で、高架の高さが徐々に低く
なって、灘駅で地面の高さになります。写真の奥が
灘駅の新しい駅舎です。

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 真っ暗の中を玄関を出て50分後に職場の最寄り駅を
降りると、もう朝の風景です。この時期は、ちょうど
暗から明に変わる時間帯に通勤をしていることになります。
posted by student at 21:02| 日記

2010年01月28日

冬の朝の港

1月20日の大寒から1週間が過ぎ、そして2月4日の
立春まで1週間・・・玄関脇の小さな庭の紫陽花の根元に
水仙がすくすく育っています。(これは昨日の写真です。)

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 自宅をでる6時過ぎは、まだ黎明の気配だけを東の空に
感じる程度で真っ暗ですが、職場に近づく7時前には、
すっかり朝の風景・・・、神戸製鋼の神戸製鉄所の煙突から
無風の冬の空に、まっすぐに湯気が立ち上っていました。

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 西郷川の河口付近に留置している船の脇を水鳥が
スイスイと水面を・・・。港の朝を感じる光景でした。 

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posted by student at 21:21| 日記

2010年01月27日

茶の湯

 NHK第2放送の「私の日本語辞典」では、1月のテーマが
「茶の湯のことば」で、裏千家茶道資料館副館長で京都学園
大学教授の筒井紘一さんの話です。

 私はお茶に関しては素人ですが、茶の湯のことばに込められた
茶道の心についての話が大変面白く、聞き入ってしまっています。

 「ぬるき」と「たぎり」、「わび」と「さび」そして
「もてなし」… あ〜なるほどなあ〜と思わされることが
多いです。

 2月にはNHKの教育テレビの「趣味悠々」で表千家の
千宗左さんによる「一期一会」が始まるので、今日、仕事
帰りに本屋さんでテキストを早速買ってしまいました。

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posted by student at 21:01| 日記

2010年01月26日

専門学校の出前授業

 今日の放課後に、2年生の希望者が専門学校の
出前授業に参加しました。

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 神戸電子専門学校から数名の先生方がいらっしゃって
実習室でのコンピュータの実習をメインとした授業でした。

 ゲームソフト学科の先生方で、ゲーム業界の話を
中心に据えた話は、生徒の喰い付きが良かったです。
 
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 一部未完成なゲームのソースプログラムに手を
加えてゲームを愉しみながら完成させていく
スタイルの実習です。かなり真剣に、コーディングに
関する理論的な説明を聞いてソースプログラムに
追加やパラメタの変更をしていました。

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 エラーを出す生徒も多かったですが、修正や
追加して思い通りの動作をすると、かなり感動して・・・
そしてゲームも愉しんでいました。

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 結果がビジュアルに見えるタイプの授業だと、
生徒の興味・関心を引き出しやすいですが、でも
この興味・関心が基礎的な内容を扱う地道なタイプの
授業に、なかなかつながらないのが、私の現在の
課題です。

posted by student at 21:22| 日記

2010年01月21日

小学校の英語〜研究授業

 今日は、小学校の英語の研究授業に参加しました。
高校や中学の研究授業に参加することはあっても、
小学校の研究授業は今回始めてです。
 水木小学校・・・JR神戸線・兵庫駅の北側、国道28号線
(大開通り)に面した小学校です。

 担任の先生とALTの先生とで、3年生の35人ぐらいの
クラスでの授業でした。普段見慣れた高校生に比べて・・・
可愛らしく感じました。

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 最初はカードを使って、果物の名前を一斉に発声、
その後、子供たちがカードを持って、互いに
"Do you like 〜 ?"と訊きあうゲーム形式になって、
子供たちは活性化されて、夢中になってペアになって・・・

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 45分の授業が終わって、担任の先生のオルガン伴奏
で、ALTの先生にコーラス・・・歌い終わるとALTの先生は
涙をぬぐっていました。ほんとうに良いコーラスでした。

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 「小学校の英語〜研究授業」のページをつくりました。
トップページのメニューからリンクしています。授業や
コーラスの動画もあります。
http://sense.citykobe.jp/
posted by student at 21:42| 日記

2010年01月20日

高大連携〜出前授業

 今日は高大連携の出前授業があり、空き時間に参加しました。
2年生の理科の授業の中で、甲南大学の理工学部の先生が授業
をする形で、2時間目は物理の先生、3時間目は化学先生で、
私は3時間目の授業に参加しました。

 5階の理科室、ここに入るのは初めてかもしれません。
最初は、自己紹介で、ご自分の研究と研究室の取り組んで
いるテーマの紹介でした。

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 その後は、二酸化炭素の排出量の抑制や地球温暖化の話
をわかりやすくしていました。

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 50分、理科室の後で聞いていて、なかなか面白かったです。
でも、生徒たちにとっては、ちょっと敷居が高い話だった
かもしれません。幾つか質問が出て、最後に生徒の代表が
お礼の言葉を・・・

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 立命館大学とのネットを使った高大連携のWEB講義とは、
また雰囲気が違っていました。
posted by student at 21:29| 日記

2010年01月17日

震災の朝に思うこと〜蛙の祈り

 私の手許に『蛙の祈り』という一冊の本があります。

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 著者は、A.デ・メロというインド人のカトリック司祭で、
西洋のキリスト教を東洋に押し付けるという布教の立場
ではなくて、東洋の霊性を尊重された方で、この本の
中にはラビ(ユダヤ教の指導者)やグル(ヒンドゥー教の
指導者)、仏教の僧侶の話が収められています。

 その中で「活字にならなかった経文」という日本の
僧侶の挿話が収められています。

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  鉄眼は禅の僧侶であった。彼は一念発起、
 一大事業を思い立った。それまでは中国語で
 しか手に入らなかった経文を日本語で七千部
 印刷しようという壮大な計画であった。

  彼は日本国中を駆けめぐり、資金を集めた。
 富裕な人々が大金をポンと寄付してくれる
 こともまれではなかったが、寄付の大半は
 農夫、庶民からの小銭だった。鉄眼は大金にも
 小銭にも額にかかわりなく、寄進者には同様に
 感謝を表わした。

  十年後、事業遂行に十分なお金が集まった。
 ちょうどそのころ、宇治川が氾濫し、数千人が
 家を失い、食べるにも事欠くありさまとなった。
 鉄眼は長年温めてきた事業のための資金を困窮
 する人々のために投げ出した。

  そしてまた一から資金集めを始めた。必要な
 金額に達するまで、また数年を要した。こんどは
 全国に伝染病がまんえんした。鉄眼は災難に
 苦しむ人を救済するため、このお金を投入した。

  三度目の募金活動が二十年を迎え、日本人が
 日本語の経文を手にするという夢が現実となった。

  経文の邦訳第一版を印刷した台木は、京都の
 黄檗宗の寺院に保存されている。日本では、
 子々孫々つぎのように言い伝えられている。
 鉄眼は経文を計三回出版した。はじめの二版は
 幻の出版となったが、その出来具合は、三度目
 のより、はるかに優れていたと。

 *


 今朝、NHKのラジオで流れている震災の放送を
聴きながら、「型としての宗教」と「形としての信仰」
とのアナロジーとして、本棚のこの本を手にとりました。

 「行動」と「こころ」、「ボランティア」と「善意」
「防災訓練」と「救助」・・・
 
posted by student at 08:21| 日記

震災15年の朝、漱石の『こころ』を通して

 震災から15年、昨日はラジオで上仲まさみの「大志よ!」
を聞いて、そして漱石の日記から、娘ひな子の突然の死に
際しての記述の部分を読んで、改めて震災から15年の
この日に、漱石の小説『こころ』における、Kと先生の死
を考えてみました。



 国費での英国留学から戻ってきた漱石は第一高等学校の
英語の教師になります。前任者が小泉八雲で、英国留学で
神経衰弱になっていた漱石は、評判が良かった小泉八雲と
比較されて人気がなく、授業も形式的だったようです。
明治34年までは日記もあり、明治37年以降の断片も残って
いるのですが、明治35年と明治36年は日記も残っておらず、
空白の期間になります。

 藤村の英語の授業を担当していた漱石は、授業中に
藤村を 叱責し、その数日後の明治36年5月に 藤村は
遺書「巌頭之感」を残して華厳の滝で入水自殺をします。
その知らせを聞いて、漱石は 自分の叱責が原因で自殺
したのかとかなり動揺し、神経衰弱が 更に悪化した
原因とも言われています。

 藤村の死の原因は…遺書の内容より哲学的な悩みに
よるもの とも言われていますし、自殺の前に藤村が
失恋していたことが 後に明らかになって、失恋の故の
死とも言われています。

 朝日新聞の『こころ』の連載は1914年(大正3年)
4月から始まって8月までですが、遡る11年前の藤村操の
自殺が、この小説の中のK の死として顕れのではないか
と思います。



 漱石は、少なくとも藤村の自殺に対して共感していた
とは 私には考えられません、むしろ、自殺という行為に
対して 嫌悪感を感じていたのではないでしょうか?
そして「死」に 対して無力感をさえ感じていたように
思います。娘ひな子の突然の死に際しての漱石の日記では、

  昨日は葬式今日は骨上げ、明後日は納骨明日はもし
 するとすれば待夜である。多忙である。然し凡ての
 努力をした後で考へると凡ての努力が無益の努力で
 ある。死を生に変化させる努力でなければ凡てが
 無益である。こんな遺恨な事はない。・・・

  また子供を作れば同じぢやないかと云ふ人がある。
 ひな子と同じ様な子が生まれても遺恨は同じ事で
 あろう。愛はパーソナルなものである。・・・

     明治44年 11月29日の日記より

 「死を生に変化させる努力でなければ凡てが 無益である。
こんな遺恨な事はない。」との漱石の日記の言葉が、心に
残ります。



 Kの死に、漱石は何らかのメッセージを込めたとは、
私は思えません。そして当時の読者は、漱石の『こころ』を
読んで、11年前に世間を大きく騒がせた藤村操の入水自殺
のことを連想した読者が少なくなかったのではないかと
思います。そして先生の死は、1年半前の御大葬の日の
乃木大将の妻との殉死とオーバーラップして捉えられた
ことと思いますし、漱石も、そのことを強く意識して
朝日新聞に連載したのではないかと思います。

 漱石は、この『こころ』で、「死」を葬りたかったの
では ないかと思います。妻との殉死した乃木大将に
対して、先生は 妻を残しています。「死」にピリオドを
打ちたかったのでは? そして「生」を志向したかったのでは?
と、今の私は思います。

  「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。
  平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、
  腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて
  始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が
  殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと
  答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったの
  ですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい
  意義を盛り得たような心持がしたのです。

         『こころ』より

 漱石は、乃木大将の殉死の1年後に、明治の精神を葬る
ために この『こころ』を朝日新聞に連載しはじめた。
それは11年前の 藤村操の入水自殺を、ようやく小説の中で
語ることが出来た ことでもあるのかなあ〜とも…。

 震災から15年のこの日、『こころ』を 著した漱石の
心の足跡をアレコレと考えてみました。
posted by student at 05:32| 日記

2010年01月16日

震災から15年、頑張れ が痛い時・・・

 しばらく厳しかった寒さもようやく緩んで、柔らかい
朝の陽の光が部屋の奥まで射し込んでいます。加湿器の
湯気が、射し込む朝日の中に揺れる様子を見ていると
心が鎮まります。

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 休みの日の朝には、ゆったりとチェンバロの曲を聴くのが
好きで、今はバッハのフランス組曲を聴きながら机に向かって
います。

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 今朝のNHKラジオ、深夜便の最後の「こころの時代」
は、15年前に震災で、隣に寝ていた1歳6ヶ月の息子を
亡くした上仲まさみの「大志よ!」でした。
 1階で寝ていて、地震で2階の下敷きになって身動きが
とれなくなり、1時間後には上のお子さんが救助され、
そしてかすかに動く足で探った息子の身体が冷たくなって
いくのを感じながら5時間後に救助されたそうです。

 いろいろな想いを語る中で、「頑張れ」という言葉を
掛けられるのがつらかったという感想に、自分自身の
思いが重なりました。私もあの時、「頑張れ」という
言葉が痛かったのを思い出しました。

 時と場合、状況によっては、「頑張れ」と言う言葉が
ひじょうに残酷に、相手の心を傷つけることがあることに
気付かずに、悩んでいる人、悲しみの中に沈んでいる人に
対しても(語弊があるかもしれませんが)気軽な
気持ちや、お手軽に、とりあえず口にする言葉で、無難な
言葉だと思われている言葉・・・。
 私は震災以降、「頑張れ」を口にすることが少なく
なりました。



 漱石は、娘ひな子を突然亡くしています。明治44年
11月29日の日記に、その時の様子が詳しく書かれて
おり、翌11月30日と12月1日の日記は短いのですが、
ひな子の葬式があった12月2日の日記は、ちょっと長く
なって、12月3日は、火葬場の描写を含めて長い日記
になっています。その中で・・・

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 昨日は葬式今日は骨上げ、明後日は納骨明日はもし
 するとすれば待夜である。多忙である。然し凡ての
 努力をした後で考へると凡ての努力が無益の努力で
 ある。死を生に変化させる努力でなければ凡てが
 無益である。こんな遺恨な事はない。・・・

  また子供を作れば同じぢやないかと云ふ人がある。
 ひな子と同じ様な子が生まれても遺恨は同じ事で
 あろう。愛はパーソナルなものである。・・・



 上仲まさみさんが瓦礫になった自宅から骨折して
助け出され、大阪の病院で手術後に芦屋の病院に
入院していた時に、朝日新聞に投書して「ひととき」欄に
掲載された文章です。

  私の息子の名前は上仲大志(うえなかたいし)と
 いいます。1993年7月15日、西宮の助産院で
 生まれてきた彼の第一声は超ハスキーボイス。おなかの
 中からまだ出たくないぞーってわめきながら産道を
 通って来たので声がかすれたのよ、なんて私や助産婦
 さんの笑いを誘った。
  そっと開けた彼の小さな手のひらに、「百握りの
 手相」といって強運を授かっているのよと教えられ、
 心からうれしくなりました。
  一生懸命パクパクとお乳に張りつ いてくる彼が、
 けなげでいとおしく、一人の人間を丸ごと預かっている
 重大さと幸せを同時に感じ、今までにない充足感を
 経験しました。日増しにかわいらしさを募らせる彼との
 生活は驚きと感動の連続でした。
  見知らぬ人が足を止めて声をかける時、彼はいつも
 満面微笑でこたえていました。声をかけた人の表情も
 穏やかに幸福そうにゆるんでいくのです。なんて
 すてきな力を身につけているのだろうと思いました。
 素朴で純真。 私にとって、とびきり上等の息子でした。
  でも、その息子はいない。1995年1月17 日、
 息子は私を残して多くの人といっしょに逝ってしまい
 ました。わずか1年6ヶ月の人生をあっという間に
 駆け抜けていった息子。私と周囲の者の心にポッと
 温かい灯をつ けて……。
  どうぞお願いです。これを読んで下さった方に。
 上仲大志という幼い命がこの世にあったことを、
 ほんの少しでもいい、思って下さい。短い命を一生懸命に
 生きた彼のことを、今の一時でもいい、その名前を
 口にして心に思って下さい。どうぞ、お 願いします。

  (神戸市上仲まさみ 主婦33歳)入院先の病院から
  お便りいただきました。

 上仲まさみさんは、震災直後はラジオで犠牲者の名前が
読み上げられていたのが、だんだん犠牲者の数が増えて
名前が読み上げられなくなってしまって、犠牲者の人数
だけになって、その数が多くなっていくことに、悲しみを
感じたそうです。
 私の息子のいのちが、数百分の一になり、数千分の一
になってしまいそうで・・・と感じたそうです。

 「頑張れ」という言葉を掛けられるのが辛くて、嫌だった
のが、その時期だったようです。

 上仲まさみさんは、その後、童話を書くようになり、
「ゴムの手の転校生」(第5回ほたる賞受賞)、そして
「明かりの向こう側 」(第9回小川未明文学賞優秀賞受賞)
があります。図書館で探して、手に取りたいなあ〜と
思っています。
posted by student at 08:00| 日記

2010年01月11日

スプラウト

スプラウト・・・植物の新芽のことです。

 職場の先輩から奨められたのを思い出して、スーパに
立ち寄って手に取りました。

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これはブロッコリーのスプラウトです。この量
(約50g)でブロッコリー約5個(1kg)分のスルフォラファン
を含むのが特徴だそうで、スルフォラファンというのは
体内の解毒酵素や抗酸化酵素の生成を促進して、
身体の抗酸化力や解毒力を高める働きがあるそうです。

とりあえず皿に盛ってみました。

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 アルファルファという食材を思い出しました。以前
好きで、時々食べていましたが、こんな感じでした。
ネットで調べると、アルファルファは、ムラサキウマゴヤシ
という牧草だそうで、そのスプラウトだったようです。

ついでにスーパーで湯豆腐も買ってしまいました。
男前豆腐店の日本列島改造豆腐です。

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ブロッコリースーパースプラウトも日本列島改造豆腐も
美味しく召し上がりました。
posted by student at 21:21| 日記

2010年01月10日

漱石ゆかりの地と温泉、泡盛

 3連休の真ん中の日曜日、神戸の朝は曇り空が広がって
いましたが、青空が広がってガラス戸越しに柔らかい
冬の陽が部屋の奥まで射し込んできました。2,3日の間
厳しかった寒さもようやく緩んで、穏やかな休みの朝です。

 2晩続けての飲み会だったので今朝は朝湯、近くの
温泉まで出掛けました。一番近い垂水温泉・太平の湯は
土日は朝8時から10時までは入浴料が会員400円
だったので時々利用していたのですが、年明けからは
残念ながら朝8時から土日料金の会員700円になって
しまいました。ちょっと離れた華の湯へ足を伸ばし
ました。ここは入浴料が410円です。

 帰路、業務スーパーに立ち寄って買い物、ここは鵯越
の近くで、山の奥だった処にホームセンターや住宅地が
できたニュータウンです。

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 旧・西神戸有料道路を通って、舞子のガソリンスタンドで
灯油も買いました。舞子坂の赤信号で停まった時に、
目の前に明石海峡大橋が・・・、カバンからデジカメを取り
出して、信号が青になる前に一枚・

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 自宅のベランダの灯油のストッカーです。現在3つが
満タンで、手前の1つが半分くらいです。外の容器は
予備で、この冬新しく買ったストッパー付きの給油ポンプ
です。

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 温泉と業務スーパー、ガソリンスタンドに寄って
自宅に戻ると、もう12時前、昼食後は読書をしました。

 *

 明石市立中崎公会堂です。

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 東経135度の子午線の東数十メートルの処、
大蔵海岸の西の端、山陽電車の人丸前駅の南に
あります。
 ここは、明治の文豪・夏目漱石ゆかりの場所の1つ
です。明治44年に明石郡立公会堂として建てられた
時にこけら落しの記念講演をしたのが漱石でした。

 当時の漱石は人気作家で、明治38年1月にホトトギスに
掲載された「我輩は猫である」が好評で「坊ちゃん」も
大人気となり、帝大の教職を辞して明治40年に
朝日新聞社へ。「虞美人草」、「三四郎」、「それから」
と連載を続けていましたが43年に「門」の連載中に
胃潰瘍となって療養先で、修善寺の大患となり、東京での
入院生活が続くことになります。そして病状が
落ち着いた頃に、明石海峡越しに淡路を望み、松林が
広がる風光明媚な舞子の浜に近い中崎公会堂のこけら落しで
記念講演をしたことになります。この間、文学博士号の
辞退が44年2月、これも当時は大きなニュースだった
ようです。

 漱石全集の日記を読むと、8月9日は暴風雨で東海道線
が不通、当初は8月10日に新橋を発つ予定だったよう
ですが翌8月10日も台風で不通で、日記には電報の
やりとりが書かれています。結局11日に新橋から
東海道線に乗って大阪に向かい、12日には箕面の滝を
見学したようで、夜の8時半に明石の旅館に着いて
波音を聞きながら寝たようです。
 講演会当日の8月13日は朝に小船に乗って、浜から
ちょっと 沖まで出たようで、午後に講演とのこと。
講演の内容は、日記には書かれていません。

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 翌日は和歌の浦へ行って、16日に大阪に着いた迄の
日記はありますが、その後倒れたようで大阪で入院して、
11月11日まで日記は途絶えています。

 漱石の作品に描かれている低徊趣味の光景と違って、
漱石自身は、特に中崎公会堂で講演をした頃は、心身
ともに多忙で神経衰弱だったようです。

 今まで漱石全集の日記は断片的に読むだけだったの
ですが、最近は、順番に読んでみようかな〜と思って
います。



 夜、食事前に、久米島の久米仙をロックで・・・
3日続けて、泡盛を味わったことになります。

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posted by student at 22:22| 日記

2010年01月09日

修論 ご苦労さん会

 昨年度の後期、「教えと学びの哲学」という教育哲学の
授業でご一緒した4名が、昨年の1月末から美味しいもの
(お酒と食事)を愉しみながらの会を続けてきたのですが、
この3月に修了する2名が、この年末・年始に修士論文を
仕上げたので、しばらくぶりで「哲学の会」を持つことに
なりました。1名のご都合がつかなかったのですが、修論
提出のこの時期のご苦労さん会は大切かなあ〜と、緊急会を・

 夕方の5時に阪神電車三ノ宮駅で待ち合わせて、最初に
向かった店は阪急三ノ宮北すぐの居酒屋だったのですが、
エレベータで6階に着くと店は真っ暗でした。そのまま
エレベータで1階に戻って よく見ると5時半がオープン
でした。
 まだ20分ぐらいあったので次の店・・・生田ロードを
挟んだ西側のビルの7階の「福耳ダイニング」・・・ここは
オープンしていました。和創作料理で女性客向けで
個室完備というポイントで選んだ店です。

若鶏の揚げ物

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そして牡蠣のフライ

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ハイカラ串・・・、それぞれにマドリード串とか、北京串とか、
ソウル串とか名前がついて、中身が違います。

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 料理は美味しいのですが、量が少なく、またチェーン店
でなくて手作りのようで、料理に時間が掛かります。また
グラスも上品で、たくさん飲めません。

 チゲ鍋・・・

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 だんだんとお客さんが入ってきて、女性のグループが
多かったです。私たちのように酒と料理の「質」と共に
「量」 も欲しいというメンバーを考えると、ちょっと
店の 選択ミスでした。2軒目に行くことになって
出ようとしたら 「アイスクリームのサービスがあります。」
とデザートが 出てきました。美味しくデザートを食べて
2軒目へ・・・

 結局、私が前日に行った沖縄料理・金魚に向かいました。
この日のメンバーでも行ったことがあり、その時も、
前日の金曜の夜に行ったのも「金魚・はなれ」だった
のですが、向かったのは「金魚・本店」、生田神社前の
近くにありますが、「はなれ」はビルの6階、「本店」は
ちょっと離れたビルの地下で、店の雰囲気が違います。

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地下に降りていきます。

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 1軒目の福耳ダイニングでビールを飲んできたので、
ここでは1杯目から泡盛の久米島の久米仙をロックで・ 

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 海ブドウ・・・前日も頼みましたが、これは海ブドウの
サラダです。

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ゴーヤチャンプル、これは欠かせません。

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 お店が2軒目で、だいぶアルコールで心地良くなって
しまって、記録写真が大雑把です。これまでは、お皿が
来るたびに撮っていたのが、おしゃべりに夢中になって、
十把一絡で・・・

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 5時過ぎから飲み始めて・・・大阪からのメンバーが
最終が三ノ宮11時過ぎとのことで、11時前まで
約6時間弱の間、 美味しいものを味わって、会の内容も
修士論文の話から、教育の話まで、幅広い濃い話が
続きました。

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2010年01月08日

始業式

 今日は始業式、3学期のスタートです。

 今日は始業式に先立って、朝のホームルームの後に
避難訓練です。食堂から出火という想定で…

 私は講義棟5階の1年生の担当、階段までの誘導
です。放送後に、生徒はスムーズに避難を開始しました。

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 5階から4階、3階と、それぞれの階の教室からの
生徒も合流して階段で渋滞するのですが、今年は
スムーズに生徒が流れています。

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 各学年10クラスで生徒数が1200名なので、
全校集会等では集合に時間が掛かりますが、今日は
避難訓練を兼ねていたので、スムーズにグランドに
全校生徒が集合しました。

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 震災15年の黙祷の後に始業式、その後に各種の
表彰があって、始業式の後は、各学年に分かれて
学年集会です。2年生は明後日から修学旅行で北海道
に行くので、その結団式があります。私は1年生の
学年集会に向かいました。

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 学年主任から「聞く」「聴く」の話があり、目と耳で
集中して、聞いたことは心にしっかりと残すように・・・
私も、この話をしっかり聞きました。その後、各クラス
から1名出て、「ひとこと」コーナーがありました。
今年の抱負をしゃべっていました。

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 勤務後、職場の方と3人で、三宮の沖縄料理・金魚はなれ
で、ささやかな新年会を持ちました。

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 豆豊よう(とうふよう)、チーズのような濃厚で、
豆腐とはだいぶ趣が違う食べ物です。

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 豚足…、沖縄料理だなあ〜と実感する一品です。

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 2杯目は泡盛、これは残波という、メニューでは
入門編の泡盛です。ロックで美味しくいただきました。

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 ゴーヤチャンプル、年末にNHKの朝ドラ「ちゅらさん」
を全編見たので、なんとなく親しみがあります。

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 海ブドウ・・・、これがいったい何なのか?わからない
まま、いつも美味しくいただいています。

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 美味しいお酒と料理を味わって・・・爽やかな新年会でした。
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2010年01月07日

嬉野キャンパス

 家を出る時間帯がいつもより遅くなったので、
今日は国道2号線経由ではなくて、自宅から北上
して神戸市道夢野白川線(旧・西神戸有料道路)から
山麓バイパス経由にしました。

 ETCに対応していないので、山麓バイパスの
料金所では、列に並んで・・・、

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 出口附近は一般道の信号待ちの渋滞でした。

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 午前中に仕事を片付けて、午後からは嬉野キャンパスに
むかいました。自宅からでしたら、国道175号線経由
なのですが、神戸の市街地からだと、六甲山系を越える
必要があります。今日は、山麓バイパスを戻って
有馬街道(国道428号線)で鈴蘭台経由で加東市に向かい
ました。下の写真は皆森の交差点です。  

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 ここは、国道428号線がそのまま北上して中国自動車道の
吉川インターの終点に至る道と有馬温泉に至る道との分岐点
であり、新神戸トンネルの北区側の箕谷の入り口の接続点、
そして阪神高速道路北神戸線の箕谷ICがあり、近くには
神戸北町、そして神戸電鉄の箕谷駅が近くにあり、北区の
交通の要所です。

 ここから県道85号線・神戸加東線を進むと衝原(つくはら)
という人工湖沿いを走って、呑吐(どんと)ダムに至ります。
ここに来るのは久し振りです。

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 この先は…三木市になります。今日は中学校の始業式
だったようで、県道沿いの豊地中学校から中学生が下校
している姿を見掛けました。制服の上に白い防寒着を着て、
自転車で 通っている生徒もいました。

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 嬉野キャンパス・・・久し振りです。キャンパス内は
冬景色でした。

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 夏場は葉が生い茂って、言語棟が隠れるのですが、
この時期は見通しが良いです。

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 講義棟の南の空き地だった処に、新しい総合研究棟の
建設が始まっていました。

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 ゼミ室に行くと・・・今日は新年会だったようで、
ちょうど後片付けが終わった直後だったようです。
この3月にドクターコースを修了される先輩が
学位論文の最後のまとめの指導を受けに大分から
泊り込みでいらっしゃっていました。

 帰路、西の空からの柔らかい冬の陽光を受けて
立ち枯れの蘖(ひこばえ)が広がる田んぼが輝いて
見えたので、車を停めて・・・

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 寒波襲来で寒い日でしたが、雲の合間から冬の柔らかい
陽射が射し込むと、蘖(ひこばえ)が広がる田んぼ一面が
輝いていました。

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 寒さ厳しい冬の午後のひととき、市街地を離れて、
蘖が冬の陽光で輝く光景が広がる田んぼの景色は、
やすらぎのひとときでした。

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2010年01月05日

共生

 年末や新年に電器店に行くと、大型液晶テレビや
地デジを録画するブルーレイ・レコーダが、それぞれ
数万円程度の値段から買うことが出来、まだ地デジに
対応していない我が家も、今年か来年には、と…。

 今、私が重宝している電気製品は、この予約録音が
出来るラジオです。録音した番組は、通勤の電車の
行き帰りやお風呂の中、枕元で聞いています。

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 もう昨年になってしまいましたが…、10月から
12月まで、NHK第2放送で「きれい社会と共生社会」
という番組がありました。東京医科歯科大の藤田先生が
講師だったのですが、この先生は「寄生(parasite)
ではなくて共生(symbiosis)」というお考えから、
ご自分の体内に永くサナダムシを飼っていたことでも
有名です。この番組は、ヒトの身体を生態系として捉え、
その生態系における共生という視点をわかりやすく
13回に亘っての解説からなる番組でした。

 以下、この番組から学んだこと…

 人の肌には善玉の「皮膚常在菌」が棲息しており、
皮膚を健康な状態である弱酸性に保って他の細菌の侵入を
防いでいるそうです。表皮ブドウ球菌が減少すると、
皮膚は病原菌が好むアルカリ性となって皮膚の健康が
損なわれるとのこと。つまり、皮膚常在菌はヒトと共生
しているようです。

 そして清潔を好むあまりに、石鹸でゴシゴシと丁寧
すぎるぐらいに洗ってしまうと、黄色ブドウ球菌の
ような病原菌だけではなくて皮膚常在菌も激減して皮膚の
平衡状態が崩れて肌の健康が損なわれてしまい、さらには
皮膚のバリアとしての機能が低下してしまって黄色ブドウ球菌
のような悪玉菌の侵入を防ぐことができなくなってしまう
危険があるそうです。



 腸内細菌は「大腸の中の常在菌」で、こちらは整腸作用
等、ある程度は、その必要性がある程度は知られていますが、
腸内細菌は減少の傾向にあるそうです。繊維質や炭水化物
の摂取量が減少したことと共に、防腐剤入りの食品の摂取が
増えたのが原因だそうです。



 キンレンカ(ナスタチウム)は、コンパニオンプランツ
(companion plants)と言われています。ナスタチウムは
アブラムシを遠ざける性質があるので、他の草花と一緒に
植えて、病害虫を防ぐ共栄植物としても役立っている
そうです。

 皮膚常在菌の表皮ブドウ球菌や、大腸常在菌のビフィズス菌
は、私たちのコンパニオン(仲間)として共生を目指すことが
健康の秘訣なんだろうなあ〜と、番組が終わって感じて
います。腸の中に住んでいる仲間・大腸常在菌のことを考えて、
防腐剤が入った食品を控えて炭水化物を撮ることを心掛けたり、
肌に住む仲間・皮膚常在菌のことを思って、過度に皮膚を
清潔にし過ぎないようにしたり…、共生の第一歩は、自分の
身体なんだなあ〜と。

 私は、この番組の影響もあって、年末から玄米に切り替え
ました。
posted by student at 22:26| 日記

2010年01月04日

蕎麦とアンプ

 元旦の早朝に、初日の出を見に近くの海岸まで往復した
時に車に乗っただけで、混雑する大晦日と元旦と2日は
車を使いませんでした。正月三が日の最後の昨日は
「初ショッピング」で、スーパーを2軒とホームセンターを
廻る予定で、朝車を出しました。

 1軒目のスーパーは、大蔵海岸にある24時間営業の
ディスカウントスーパー・ラムーです。ここで衝撃のモノを
買ってしまいました。

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 売れ残りの年越し蕎麦、値段は・・・

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 単価1円で、5袋買っても5円でした。賞味期限は
1月3日までですが、まあ、その次の日までは 大丈夫
かと・・・

 2軒目のスーパーは星陵台のマックスバリューで、
ここにはホームセンター・アグロが併設されています。
エクステリア売り場で、もちつきをしていました。

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 この隣には、ジョーシン電機があったのですが、
もう閉店して、年末にリサイクルショップ・ハードオフが
新たにオープンしています。すでに年末にデジカメを
買っています。

 ちょっと立ち寄ったのですが・・・ 衝動買いをして
しまいました。オーディオ・アンプ、保証のない
ジャンク品ですが、昔の名機といわれていたモノです。
音は出るとの 確認メモがありましたので、ちょっと
悩んで買って しまいました。9000円+消費税で9450円
でした。

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 サンスイのAU-D607F extraという型番で、ネットで
調べると、発売されたのが1980年ということです。
今から31年前のものです。アンプの名機と言われて
いた607シリーズが最初に出たのが1976年で、
607シリーズの最後の製品は1999年に発売でした。

 さっそく午後からセッティングしました。

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 アンプの上のCDプレーヤーも、以前、玉津の
ハードオフで買ったものです。その上は真空管アンプ、
埼玉に住んでいた頃に、秋葉原で買ったキットです。
使っている真空管は、三極管という単純な構造のもの
ですが、弦楽器やヴォーカルを柔らかく奏でてくれます。



 スピーカは、どちらも新品を買ったものです。

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 下のスピーカーは、千葉に住んでいた頃に柏の駅前に
あったDAC(第一電器)で買った英・タンノイ製の
Vinus、柔らかい音が気に入って、その後2度の引越しの
時にも手放さず・・・。上のスピーカーは リビングルームの
ミニコンポ用のモノを、試しに接続してみました。
ちょっと硬めの音ですが、管楽器の音は飛び出すような
スピード感があり、これはタンノイのスピーカーでは
無理です。

 今朝も、心地良い音を奏でてくれています。
posted by student at 07:16| 日記

2010年01月03日

学会誌

 大晦日の日に、電気学会の学会誌と論文誌が送られて
きました。学会誌の表紙のデザインが変わっていました。
左が新年1月号、右が12月号です。

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 ちょっと新鮮に感じました。論文誌の表紙のデザインは
変わっていませんでした。(左が新年1月号、右が12月号です。)
ただ、今月号の論文誌は「電気電子分野における教育
フロンティア」が特集で、興味深い記事が多かったです。

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 照明学会は、毎月学会誌が送付されますが、論文誌は
年に数回同封されます。そして産業技術教育学会は、
学会誌の中に論文が掲載されて、年に数回送られてきます。

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Twitter(ツイッター)というネットのサービスが
あり、昨年の秋に登録したのですが活用せぬままでした。
新年のニュースで、鳩山総理がTwitterの利用を開始した
とのことで、さっそくフォローしました。

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 小泉元首相は、メールマガジンを通して情報発信を
開始して、その後の総理大臣も首相官邸からのサービス
としてメールマガジンを受け継いでいます。鳩山総理も、
首相就任当初は発信が遅れ気味でしたが・・・

 鳩山総理は新年を機に、ブログを通しての情報発信も
開始しています。

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 新聞やテレビ・ラジオの記者や編集局の判断を経由
せずに、マスコミを介さないダイレクトな情報発信という
チャネルも、ネットを通して可能になってきました。

 テレビで時々見掛けるのですが、あまり専門的な
知識や判断力のない芸能人やタレントの意見が
ニュース解説のように放送されることが少なく
ないです。主観的な意見が横行する井戸端会議を
そのまま放送しているようで、ニュースや報道に
対するマスコミそのものの位置づけや意味について
疑問符を投げかけたくなうような思いを感じることが
あります。

 ネットを通して得た情報をも考えると、情報と共に
情報源をも考えて吟味する必要が、これから増える
ように思います。
posted by student at 21:21| 日記

2010年01月02日

ラジオからのトリガ

 昨年の10月から12月まで、日曜の朝にラジオで「教育を江戸から考える」という番組がありました。教育史、思想史がご専門の京大の辻本 雅史さんが講師で、近代以降の学校教育と、江戸期の藩校や寺子屋(手習所)と対比させながら現代の教育の在り方を考えたり・・・、なかなか興味深いシリーズでした。

 そして日曜の夜の文化講演会というラジオ番組で、昨年11月に「生きづらい時代のなかの教育」というタイトルの、哲学者で倫理学がご専門の阪大総長の鷲田 清一さんの講演は、この年末に録音したものを聴きなおしてたのですが、大晦日から正月にかけて考えさせられています。

 鷲田さんはこの講演の中で「今の教育は、『教え』と『学び』の関係が反転しているのではないか」というような話をされていました。元来、質問する・訊ねるとは、「知らない者」が「知っている者」に問い掛けるものであるはずなのに、現在の学校教育では、「知っている者」である先生が児童・生徒に「知っているか?」を問い掛けて、答えられるかどうかを試すように質問したり訊ねており、児童・生徒は、如何に「知っている者」からの問い掛けに対して、「知っている者」を満足させるように答えるか、を目指している、という逆転関係を当然のように捉えているのが、現在の教育の問題点ではないかというようなお話です。

 サテライトで『教え』と『学び』に関する幾つかの授業を受ける中で、『教え』と『学び』の関係について考えさせられ、そして今も途上にある身ですが、この講演での鷲田さんの話は、私にとってトリガーになりました。



 確かに、今の教育は、「知らないことを知る喜び」、「智や知のエクスプローラ」という側面よりも、むしろ、入学試験、資格試験、各種の競争試験も、出題者である「知っている者・団体」からの問い掛けに対して回答を通して、受験者である児童・生徒は如何に高得点をとるか、という構図が支配的なように思います。満点が上限の閉じた世界に『教え』と『学び』の関係が閉じ込められているように思います。

 教育評価という言葉を耳にする機会が増えてきましたが、まさに工業製品を製造するQCの手法であるPDCAのサイクルが、教育現場に適用されることが多いです。満点という上限がある閉じた世界の中に『教え』と『学び』の関係が閉じ込められて、フィードバックされてしまった教育。本来、活き活きしているはずの『教え』と『学び』が、工業製品の製造ラインのように、P(指導要領や授業計画)のもとにD(授業)が行なわれC(試験、小テスト、ポートフォリオ)の関門の結果によって、A(解説、補習、進路指導)というフィードバック・・・という輪の中で、目標が「高い評価点」となってしまっていることも少なくないように感じます。そして教える側の教師も、学校評価というループの中に身を置いています。

 もちろん、教育評価そのものや、学校評価そのものが悪いわけではなくて、またフィードバックループそのものが悪いわけでもなくて、むしろ、これらのそれぞれは、しっかりと活用すれば素晴らしい手法なのですが・・・

 「知らない者」である児童・生徒が、智や知に対する興味・関心を持たせるようなパイロット役の案内人としての「知っている者」への問題提起としての質問や問い掛けは、大切だと思います。そして「知らない者」である児童・生徒の興味・関心に基づく疑問や質問を基軸にした『教え』と『学び』の関係・・・教師と児童・生徒が向かい合いながらも、でも智や知への探求者として、共に同じ方向を向く協同体としての『教え』と『学び』の関係・・・

 現実には学校教育では、指導要領やカリキュラムの下、履修と修得が課せられ、そこには評価基準があり、数値化された評価点としての結果が求められ、ともすれば結果としての評価点だけが一人歩きをし、また、各種の競争試験や資格試験でも結果としての「合格」がモノを言い、それを得るのが教育の使命という側面ももちろん否定できないです。

 私自身の研究テーマ「センス」において、今、大きなキーワードである鑑識眼 (expertise eye) の問題意識と通じるものを感じ、模索しながら、大晦日から元旦、あれこれと考えさせられました。
posted by student at 09:17| 日記

2010年01月01日

元旦・・・

 今年の初日の出は、自宅近くの舞子の浜に行って
きました。 大晦日からの寒波で、明石海峡には白波が
目立ち、初日の出を待ち望む方々の手の多くはポケット
に入ったままで、背も曲がり気味でした。

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 日の出の時刻を過ぎても、東の空には分厚い雲が
覆ったままで初日の出を見ることはできませんでした。

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 あまりの寒さに数人で毛布に包まっている姿が印象的
でした。寒さに耐え切れず早々に自宅に戻りました。
神戸に新年の陽光が射し込んだのは・・・8時過ぎでした。



今年の「新年のページ」です。

http://itsumi.net/2010/




 年賀のお菓子は、いつも利用しているレーヴドゥ・シェフが
元旦はお休みなので、同じ神戸のケーキ屋さんのフーケに
行きました。

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 元旦から営業しているスーパーの店頭では、年明けうどん
が並んでいました。

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posted by student at 23:59| 日記