2009年12月31日

大晦日

 大晦日の午後、丘の上の商店街まで坂を上って・・・

 蕎麦屋さんは、この日は賑やかで、スーパの前では
注連縄を売っていました。店によっては、もう大晦日
には店を閉めて、シャッターに年賀の貼り紙をしている
光景もちらほらと・

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そして大晦日の夕も、ガラス戸の外はだんだんと
暗くなって、風も冷たくなってきました。

 今年最後のお風呂に入って、今年の垢をきれいに
洗いました。

 部屋の中は、ストーブの暖かさで満ちています。
やかんがコトコトと静かに音を立てています。

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…今年も、もう あと3時間です。

posted by student at 21:02| 日記

2009年12月30日

霞ヶ丘

 今年も今日と明日…、

 午後、近所の郵便局へ行くついでに、ちょっと散歩

 最寄り駅の山陽電車・霞ヶ丘駅です。でも、通勤では
東へ800m離れたJR垂水駅まで歩いています。
霞ヶ丘という地名がありますが、この霞ヶ丘駅は、
霞ヶ丘ではなくて五色山5丁目になります。

 無人駅で、駅前には買い物をするような店もあり
ません。 

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 霞ヶ丘駅から東に、線路づたいにある道、舗装されて
いない 処もあって、この道を歩くと、なんとなく
長閑です。

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  その道は、古墳の処まで続きます。

 この大きな前方後円墳・五色塚古墳は明石海峡と、
その向こうに大きく淡路島が横たわるのを望める丘の
上にあります。ここから東に目を向ければ大阪湾、
西に目を 向ければ播磨灘も一望できます。大阪湾の
向こうには、 遥かに泉州を望むことも出来ます。

 明石海峡は、古代から西国諸国や四国、九州、更には
朝鮮半島や中国大陸をつなぐ海路の要となる場所で、
五色塚古墳には、この海を支配していた豪族が眠って
いるとの説が有力です。
 
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 昭和時代の面影そのままの銭湯です。残念ながら、
未だ入ったことがありません。
 歌敷湯という名前の銭湯ですが、歌敷山という
地名があるのですが、歌敷湯があるのは霞ヶ丘4丁目
です。

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 住宅地の中には、粋な黒塀の平屋の家も・

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 住宅地の中にある市場(小売市場)です。バス道
沿いなので、近くにコンビニやミニ・コープが
出来ても健在です。霞ヶ丘廉売市場という名前
なんですが、霞ヶ丘にはなくて、五色山4丁目です。

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 こちらの市場は、もう何年も前にシャッターが
閉ったままで、この奥の部分にはマンションが
建って、入り口だけが取り残された形です。

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 今日は、ハードオフで買った2100円のデジカメで
撮りました。約10年前のモノで覗き窓・ファインダーが
ついています。

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36mm相当/F2.8の単焦点レンズで、1/1.7型の
ハニカムCCDで240万画素、コンパクトタイプの
デジカメとしては、バランスのとれた仕様で単三の
乾電池を使う点も私のお気に入りです。

 曇天で、風も強くなってきたので、早々に自宅に
戻りました。

posted by student at 19:11| 日記

2009年12月26日

西灘〜勤務校の周辺

 西灘…、神戸市への編入時期の違いから、灘五郷の
西の端・西灘が現在は神戸市灘区になっています。

 この西灘の近くに勤務校があります。平日の昼間は、
ほとんど 西灘で過ごしていることになります。

 お昼に、職場の周辺を散策しました。

 阪神電車の岩屋駅、ここまでは地上に線路が続いて
いるのですが、この駅から神戸の市街地は地下になり
ます。駅も半分地下です。

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 岩屋駅の南には国道2号線、その浜手には製鉄工場が
広がっていましたが、今はHAT神戸という新しい街が
広がっています。

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 岩屋駅の北、JR神戸線との間の旧・臨港線の
跡地には遊歩道が続いています。勤務校のすぐ南側も
通っています。

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 この遊歩道に面した店舗、以前は貨物列車が行き交う
線路沿いだったのが、遊歩道沿いに…

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 JR神戸線は、この灘駅の西から神戸の市街地は高架に
なっています。六甲山系が迫る東西に細長い神戸の市街地は
高架によって分断される形です。

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 灘五郷の中心地である御影辺りでは、阪神電車の高架、
JRの高架、そして阪急の高架と、南北に4つに分断
される形です。



 高架沿いの昼下がりの光景・・・

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 高架の山手には、六甲の山並みが迫っています。
六甲山系には、神戸の市街地で消費する電気を
送電する鉄塔が並んでいます。

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posted by student at 06:00| 日記

2009年12月25日

神戸ワイン城

 神戸ワイン城に行ってきました。神戸市西区押部谷の
丘の上に広がる200ヘクタールのワイナリーです。

 写真は、コンパクトタイプのデジカメ、1/1.7型の
CCDで 330万画素のスーパーCCDハニカムで、
レンズは 36mm〜108mm相当の光学的に無理のない
ズームです。柔らかい軟調気味の写真が撮れるので
私の好みです。

 ワイン城の入り口、広角端ではF2.8なので、それなりに
ボケ味も醸し出してくれます。

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原色に近い彩りも、ちょっと優しい色合いの写真に・

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 ワイン城の丘の上にある、私のお気に入りの木、
なんだか良い感じです。

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 ワイン城内にわらぶき屋根の民家が復元されています。
フジのハニカムCCDはダイナミックレンジが広いので
明暗の差が大きくても、しっかりと写してくれます。

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 丘の上から撮った神出方面。木々の向こうにもワイナリーが
続いて、その更に向こう側に雄岡山と、雌岡山が…

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 ワイン城の施設の中庭です。なんだか安っぽいテーブルと
椅子が並んでいます。

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 そして一眼レフタイプのデジカメで撮った写真です。
820万画素のCMOSで、シャッターが 1/8,000秒、連写が
最高で約5コマ/秒、ISO感度が1600 までで、
ファインダー視野率は95%で倍率は0.9倍です。
 このカメラに単焦点の50mm/F1.8のレンズをつけ
ました。

 曇り空で、ワイン城の施設の廊下は薄暗かったのですが、
大口径の単焦点レンズだと、しっかりと撮影できました。
でも換算80mmは中望遠並みで、2,3歩、後退り
(あとずさり)する必要があります。

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 丘の上から、小枝と、バックにわらぶき屋根の民家を
ちょっとボケ気味にして写し込んだ構図の写真です。

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 曇り空から一瞬の間、柔らかい陽光が差し込んで、
枯れ葉が少し残った木々の枝々が輝いて・・・ 

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木々の枝をよく見ると、すでに春の準備が静かに
始まっているようです。

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 一眼レフで、単焦点レンズをつけても、こんな
スナップ写真を気軽に撮る方が、私には向いている
のかもしれません。

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 見ていてO・ヘンリーが思い起こすような最後の一葉、
この葉っぱに陽光が差し込んで輝けば良いのになあ〜と
思っても、雲はますます厚く、雨が落ちてきそうです。

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 この写真は、背景がボケ過ぎてしまいました。気軽に
スナップ写真ばかり撮っているので、バランスの悪い写真
になってしまいました。

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ワイン城の中を1時間あまり彷徨っていると、流石に
身体が冷えて、指先が凍えてくるようでした。

 神戸も、日々、寒さが厳しくなってきます。
posted by student at 20:05| 日記

2009年12月24日

2学期終業式

 今日は2学期の終業式でした。長い2学期も、今日で
終わります。

 各ホームルームから続々と生徒がグランドに集まって
きます。30クラス約1200人と教員100人が移動する
ので、集合にも結構時間が掛かります。

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 全国大会に出場する部活動の壮行会を野球部が
音頭をとって・

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 終業式後、顧問をしている部活動のメンバーで、
ささやかな忘年会を紙コップのジュースとお菓子で・

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posted by student at 21:38| 日記

2009年12月23日

冬の夜、薬鑵の音を聞きながら・・・

 今朝、神戸の西区にある「六甲のめぐみ」という
JA兵庫六甲の農産物の直売所に行ってきました。
年末のこの時期は、特に混雑します。

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 10時過ぎで、すでに駐車場は車でいっぱいでした。
直売所の建物の前にテントが張られて賑やかでした。

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 ここは、旧明石郡押部谷村になります。年間100万人近い
来場者がある巨大な直売所です。近隣の櫨谷、押部谷、
平野、神出、玉津や岩岡の農家からの野菜がメインの
ようです。

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そして草花や野菜の苗や種も売っています。

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 水菜と春菊・・・生産者の名前がシールに明記されています。
さっそく今晩の鍋で美味しく召し上がりました。

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 神戸産のお米・キヌヒカリを買いました。今、玄米を
食べているので、精米せず、そのまま袋に入れてもらい
ました。

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 そして夜・・・、リビングではガスファンヒータと共に
石油ストーブも使っています。暖か味がありますし、
薬鑵で加湿をしながら、このお湯は電気ポットや寝室の
加湿器にも使っています。冬の間の我が家の給湯を
担っています。

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  みなさん今夜は静かです
  薬鑵の音がしてゐます

     中原中也「冬の夜」

 冬の夜、ストーブの赤い炎を見ながら、コトコトと
薬鑵の音だけが部屋に響く冬の夜の静寂(しじま)に、
この中也の詩を思い浮かべています。

posted by student at 21:32| 日記

2009年12月22日

エコ、リサイクル

 落語の世界に登場してくる、江戸時代の大都市・
江戸の町の道具屋は、今の家具屋とか、雑貨屋、
インテリアショップやホームセンターとは違って
古道具屋や古着屋になります。

 上方落語では「道具屋」という題目があって
先代の春蝶が得意にしていました。そして東京では、
志ん生の十八番の「火焔太鼓」がまさに道具屋を
扱った演題です。

 再利用、今風に言えばエコで、リサイクル(re-cycle)
です。正確には、そのまま使うのでリユース(re-use)
ですが、それが当たり前だったのが江戸の町です。

 鎖国政策で、2千数百万人の人口があった
島国で輸入がほぼゼロで、資源が乏しい・・・江戸に暮らす
庶民にとっては、そんな環境教育やエコの意識とは無縁で
幕府からの補助金もなく、商売として道具屋が成り立って
いた社会です。

 現在、エコや環境、リサイクルに関して補助金が
出たり税金が免除されたり・・・そうしないとエコや
環境が進まないという、大量生産と大量消費そして
廃棄が前提の近代社会になってしまいました。



 近くのスーパに隣接して、ハードオフとオフハウス
という店が開店しました。閉店したジョーシン電機の
店舗跡にです。

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 江戸の道具屋が、まさにオフハウスであり、ハード
オフです。同じモノを大量に仕入れて売るのではなくて、
店に並んでいるのは、一品一品が買い取ったもので、
モノの流通がスーパーやホームセンターとは違った
形態です。

 さっそく出掛けて・・・、ジャンク品といわれるモノを
買いました。まさに落語の「道具屋」の世界です。
箱に無造作に入っていたデジカメを2つ。持ち帰って
自宅で確かめると・・・1つは動きました。

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 数年前のモデルですが、見た目も悪くありません。
マニュアルも付属品もありませんが、電池とメモリー
カードを入れると動作して、撮影も出来ます。
フラッシュも光りますし、動画も撮れました。今風の
デジカメに比べると嵩が大きいですが、お散歩用
に・・・

 もう1台は、専用の充電池が必要で、自宅のデジカメ
の電池は合いませんでした。こちらの方が、スマート
なデザインなのですが・・・

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 大量生産される工業製品の多くは、最終処分を必要
とするので、このようなリユースの店舗が、現在直面する
環境問題やエコに関して、ある一面の解決でしかない
のですが、でも、大量生産ー大量消費ー廃棄という
モノの流れ以外に、商売として個別のモノが流通する
というモノの流れが成り立って、そしてそれが大規模な
システムとして確立するということは、大切ではないか
と思います。
posted by student at 22:25| 日記

2009年12月20日

e : ネイピア数

 今日の午前は、寒い硝子戸の外は避けて、暖かい
自宅の部屋で術後の静養・・・、CD棚からベートーベンの
ヴァイオリンソナタを取り出して繰り返し聴いて
いました。ヴァイオリンがクレーメルで、ピアノは
アルゲリッチで、クロイツェルソナタとスプリング
ソナタの入ったCDです。

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 このCDを選んだ理由の一つが、本屋さんの雑誌
コーナで最新号の「音楽の友」の表紙をチラッと見て
「アルゲリッチ?」と思いながら通り過ぎたのを
思い出したことです。 冬至を目前に控えてスプリング
ソナタを聴くのも一興かと・・・



 CDを聴きながら、自然対数の底・ネイピア数のeに
ついて思いを巡らしました。職場の先輩のブログで
対数のことを取り上げていたのを見て、私も2学期の
授業で利得「デジベル[dB] 」を扱った時に常用対数を
教える指導がうまくできなかったこともあって、ふと、
久し振りに…

自然対数の底、eの定義は、  

20091220b.png

 更に、次のような指数関数が、微分しても等価となる
ようなa、

20091220c.png

 それがeです。具体的には

e = 2.71828 18284 59045 23536 02874 71352 …

 上式のaに、このeを代入すると、

20091220d.png

 マクローリン展開すると、

20091220e.png

 そして虚数乗をマクローリン展開すると、


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 ここでsin関数のマクローリン展開は、

20091220g.png

 またcos関数のマクローリン展開は、

20091220h.png

これより指数関数と三角関数の間に成り立つ
オイラーの公式と言われている等式が得られます。

20091220i.png

 導出は出来ても、でもこの式のほんとうの意味が
わからないです。eの虚数乗が、回転しながら進行する
結果をイメージすることが出来ても、数学的な意味が
わからないまま・・・
 
 そして、私にとっての難問、eとiとπによって表現
されたオイラーの公式においてθ = π のときに成り立つ
オイラーの等式といわれる関係式

20091220z.png

 この式の意味も・・・わからないままです。

 埼玉の高校の教師をしていた時に、数学の先生に
触発されて、いろいろ考えたのですが、私には、この
式がイメージできないまま、現在に至っています。

 その時に買ったブルーバックスです。

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 人生の年輪を重ねても、わからないことが、そのまま
残っていることが多いですが、その一つです。いつに
なったらわかるのでしょうか?

posted by student at 11:10| 日記

2009年12月19日

Christmas songs

Glory to God in the highest,
and on earth peace to men
on whom his favor rests.
              Luke 2:14

 内視鏡検査・・・と言ってもポリープの切除をしたので
手術の術後の静養期間です。消化の悪いものはしばらく
控えて、アルコールと激しい運動は1週間禁止とのこと。
今日はお昼前までは、自宅で静かに過ごす予定です。

 この時期、クリスマスソングのCDをよく聴いています。
手許にあるクリスマスソングのCDは20枚ぐらい、思い出
深いCDも多いです。

 このCDは、最初に就職した千葉の柏の会社勤めして
いた頃に買ったものです。 常磐線柏駅前の、今は
ビックカメラになっている処にCDショップがあって、
そこで買ったCD、初めて買ったクリスマスソングの
CDかもしれません。アカペラで、私の大のお気に入り
です。

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 池袋の専門学校に勤めていた頃に買ったCDです。仕事
帰りに池袋のCDショップや秋葉原に出掛けたり・・・、
この頃が、もっともCDを買っていたような気がします。

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 そして神戸に戻って、高校の教師になってから買った
CDです。

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 今、CD棚から取り出して、和室のミニコンポの処に
あるCDです。何時買ったかは・・・記憶にありませんが、
この数年、よく聴いているCDです。

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「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
  地の上に、平和が、
  御心にかなう人々にあるように。」


 ・・・今朝の神戸は、昨日からの寒さが続いて、更に
冷え込むようです。
posted by student at 06:07| 日記

2009年12月18日

内視鏡検査

 健康診断で「要検査」となったので、大腸の内視鏡検査を
受けました。前日から食事制限があって、検査当日は、朝6時
から準備があります。前日は早引きをして安静にして、検査
当日はお休みをとりました。

 検査の為に、下剤を飲んで大腸のクリーニングです。
これが事前の説明の時に渡された下剤です。

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 これを1800ccの水で薄めて、朝6時から8時までの2時間
掛けて飲むように指示を受けたので、それに従って…


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 トイレの近くの部屋で待機、下剤を飲んだ後も水分補給を
続けました。そして大腸のクリーニングが終わって、検査を
受ける準備が完了しました。

 今日の神戸は寒波到来で寒いのでいつもより着込んで、
検査を受けるクリニックへ・・・

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 金曜の午後は検査タイムです。私は午後3時45分からの
検査で、午後3時には来院するように指示されていました。

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 更衣室に案内されて、検査着に着替えます。人間ドックの
検査着と違うのは、検査用パンツを着用することでしょうか。

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 診察台に案内されて、血圧と脈拍測定用のセンサーを
右手に、そして左手では静脈に麻酔を・・・、

 麻酔で、ぼ〜となって、特に痛みもなく体内に内視鏡が
入って検査が始まりました。枕元のモニターで内視鏡の
映像を見ながら・・・、大腸の中をどんどん進んでいって、
その映像を見てるのですが、ぼ〜としているので、医師や
看護士が何かをいろいろ説明していたようですが、記憶に
残っていません。ただ、時々染料を大腸の壁に塗ったり、
ポリープがあるので採ります・・・と言われたような記憶が
残っています。

 検査で、切除すべきものが見つかった時に、検査だけで
終わらず、切除の手術をする旨、事前に説明を受けて承諾
していますので、検査から手術に…摘出後は、ホッチギス
のようなもので傷口をふさぐと聞いたような…と、ぼんやり
した頭の中で、あれこれと考えていたようですが、これも
記憶があやふやです。

 検査後、看護士につかまりながら、別室で横たわって、
「30分は、ここで安静にして下さい」と言われて、ジュースと
クッキーを貰いました。そして、うとうとして・・・

 検査結果というよりポリープを摘出したので、手術の
説明を受けました。

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 ポリープが3つあって、摘出したとのこと、青字の
B,C,Dがポリープだったそうです。

 下の写真がポリープの映像

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 そして摘出して、術後の処理をしたのが次の写真

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 摘出箇所の出血の可能性があるので、今日は入浴できず、
1週間は激しい運動とアルコール禁止、そして消化の悪い
食べ物はしばらく控えるようにとのことでした。検体の
検査結果は2週間後、掛かりつけの医師に送るので、
説明を受けて下さいとのことでした。

posted by student at 21:00| 日記

2009年12月17日

expertise eye

"expertise eye"・・・、日本語に訳すと鑑識眼、平たく
言えば「目利き」でしょうか?

 「見る人が見ればわかる。」ということが少なくない
ですが、その現実に存在する「見抜く」という力は
いったい何なのか・・・を科学したのが、この本です。

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 「鑑識眼の科学」、内容は認知心理学的アプローチによる
考古学者の技能研究なので、私の研究テーマとは分野が
まったく違うのですが、通じるものが多く、専門とは違うの
ですが、買ってしまいました。200ページで6300円は
専門外の専門書としては高かったです。

 内容というよりも、この本で扱っているアプローチに
注目して、“考古学の技能研究”というオブジェクトの
部分を、“工業のセンス”というオブジェクトに差し替えて
アナロジーを模索しています。

 人を見る目、それも全般的ではなくて、教育者(教師)
として生徒を見る目、学習意欲、潜在能力、出来得れば
進路の適性・・・、欲張れば、その人(生徒)全般になって
しまいますが、少なくとも、学習の認知に関しての
目利きでありたいと、心から思います。研究という
コンテキストから離れてしまっても・・・


世有伯楽、然後有千里馬。
千里馬常有。而伯楽不常有。 

 研究テーマについて逡巡している時にめぐり合った
韓愈の雑説、私のセンスの原点はここにあるのかも
知れません。そして科学的なメスを入れて研究をまとめ
られたのが、時津さんの、この「鑑識眼の科学」では
ないかと思います。
 
posted by student at 21:52| 日記

2009年12月16日

ノート

 試験の答案用紙の採点と、ノートのチェックが続いて
います。今回チェックしたノートは、約180冊ぐらいです。

 いろいろなノートがあって、見ていて面白いです。
基本的には、私がプレゼンテーションソフトで表示した
内容や、黒板の板書の内容を写しているだけのノートが
多いのですが、それでもレイアウトや色使いを個々に
工夫したものも少なくないです。

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 下のノートは、上のノートと同じクラスの生徒の
ものですが、単色と多色、レイアウト…と生徒の
個性がノートに滲み出ています。

 ノートをチェックしながら、個々の生徒が、どんな風に
私の授業を聞き、そして私の黒板の字や図を写したのか・・・
思いを馳せながら・・・

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 私の話をしっかりと受け止めて、自分なりに咀嚼して、
自分なりに構造化してノートに書き留めたのかなあ〜と
感じるものもあって、生徒の理解が顕れるようなものも
あります。



 でも中には、あまり考えずに、ただただ黒板を写した
のかなあ〜と思われるようなノートもあります。

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 ここまでは1年生のノートです。そして2年生のノート
ですが、選択科目ということもあって、ノートに奥深さ
を感じます。

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 物凄く綺麗なノートです、内容の理解がなかなか
深まらない女子生徒のものですが、私の板書よりも
ずっとセンスが良いレイアウトと色使い、そして
見やすい字で書かれたノートです。

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 見終わったノートは、明日の答案返却日に、職員室
前でクラスの生徒を待ち受けて持って行かせていたの
ですが、今回は、1クラスずつ、私が教室に運びました。
2階の職員室から5階の3クラス、4階の1クラス、そして
2階の2クラスと6往復しました。運動不足解消の為、
自ら身体を動かすようにしています。

 誰もいない教室の教壇にノートを積み重ねて・・・

20091216f.jpg

 
posted by student at 22:39| 日記

2009年12月15日

球技大会

 神戸にも寒波が到来して寒い一日でした。今日は
球技大会、私はグラウンドでサッカーの担当です。

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 生徒会の役員が球技大会を運営して、サッカー部の
生徒が審判をするので、様子を見守るのが仕事です。 

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 冷たい六甲おろしで身体がどんどん冷えてくるので、
歩き回ったり、ボール拾いをしたりして・・・でも寒かった
です。

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 職員室に戻って、暖かいコーヒーを飲んで、答案用紙
の採点とノートの確認、成績処理・・・、2学期から運営が
始まった新しい学事システムの不具合もあって、その対応も
あって8時半過ぎまで職員室に、その後、サテライトに
向かってゼミ、途中でコンビニに寄ってパンとジュースを
買いました。サテライトを出たのが10時過ぎ・・・長い一日
でした。
posted by student at 23:59| 日記

2009年12月14日

定期考査〜2学期の期末テスト

 先週の火曜日に年内の授業はすべて終わって、
水曜日から2学期の期末テストが始まっています。
私の担当科目は4科目です。1年生が3クラス、2年生が
1クラスそして3年生が2クラスです。試験が今日と明日
に集中しており、試験監督も今日と明日に集中して
います。

 1時間目、1年生の英語のテストの監督でした。

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 試験の内容は、盲導犬クイールの話を題材にして
いました。みんな熱心に試験に挑んでいました。

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 監督をしながら問題を読んでいると・・・、ちょっと
目頭が熱くなってくるような内容でした。国語や英語の
試験監督の時には、題材の文章を結構熱心に読んでしまう
ことがあります。国語や英語の試験監督の愉しみ・・・

 2時間目は、私の担当の科目が3種類、1〜3年生の
5クラスの巡回、生徒の質問と、問題のミスの指摘を
受けてしまいました。

 試験が終わって・・・放課後、続々と職員室にクラスで
集めたノートが集まって、私の机の上はノートの山に
なってしまいました。

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 木曜日が答案返却日なので、それまでに答案用紙と
山のようなノートのチェック、そして成績処理・・・



posted by student at 21:06| 日記

2009年12月11日

江戸の町

 江戸の町・・・、17世紀前半の人口が10万程度の頃と、19世紀になって人口が100万を超えた頃とでは、江戸の町の範囲や様子も異なりますが、概ね「江戸城の外堀の内側に下谷と上野、そして隅田川の左岸の町を加えた範囲」になると思います。山の手に諸大名の江戸屋敷があり、下町に庶民が暮らしていたという構図は、ほぼ250年間続いていたようです。庶民が住んでいた江戸の町は概ね次の町名の辺りになります。

 神田、日本橋、京橋、本郷、下谷、上野、浅草
 本所、深川、両国、向島

 世界最大の大都市・江戸への食料供給のために、これらの町を囲む村々では、野菜の栽培が盛んになったようです。いわゆる江戸野菜です。

 亀戸の大根、千住のネギ、小松の小松菜、谷中のショウガ、早稲田のミョウガ、金町のこかぶ、馬込の人参や胡瓜、目黒のタケノコ、砂の茄子、淀橋のカボチャ・・・

 もちろん冷蔵庫のない時代です。青果市場のあった神田・多田町(今の秋葉原)には近郊の村々から毎日大量の野菜が運ばれたようです。大根は練馬も一大生産地で、当時は消費も多く、神田・多田町の青果市場とは別に大根河岸が京橋にあって賑わっていたとのこと。近隣の村々からは東京の町に野菜やお米が運ばれ、そして東京の町からは下肥が近隣の村々に運ばれて、当時は循環型のエコロジーが成立していました。もちろん、当時の方々はエコロジーを意識することなく…

 そして魚河岸は、日本橋の船町・現在の日本橋小舟町で、首都高の江戸橋JCT辺りに魚河岸が広がっていました。ここでは高級魚が扱われ、雑魚場として別に芝、築地、深川にも魚河岸がありました。

 棒天振(ぼてふり)が鮮魚や野菜を売り歩く範囲が、当時の江戸の町だったようです。

 落語では・・・「芝浜」で芝の魚河岸が舞台となり、「唐茄子屋政談」ではカボチャを売り歩く棒天振、「目黒のさんま」では、目黒のタケノコ農家で秋刀魚を食べたのかもしれません。「黄金餅」では、下谷の山崎町から上野の広小路を経て神田の須田町から日本橋を渡って新橋を経て愛宕下から麻布の十番を通って麻布絶口釜無村までの情景描写があります。

 今、NHKのラジオで江戸に関する番組を2つ聴いています。こころを読む(日曜朝6時45分〜)では、10月から「教育を江戸から考える」が、そしてカルチャーラジオ(火曜20時30分〜)では「世直し大江戸」が同じく10月から・・・。「世直し大江戸」は作家の石川英輔さんで、この方は「江戸時代は、理想的なエコロジー社会でリサイクルが発達していた」と主張しておられて、その基調でいろいろな江戸のトピックスを話されて、なかなか面白いです。



 明治11年に郡区町村編制法が制定され、神戸に「神戸区」が出来ましたが東京には15区・・・麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区と、江戸の町であった「江戸城の外堀の内側に下谷と上野、そして隅田川に左岸近隣に加えた範囲」から大きく変わっていません。明治の文豪が描く東京の町は、概ね この範囲でしょうか?

 明治22年に市制によって東京市となりますが、早稲田辺りが加わった程度で、東京市は東京15区がほぼそのままです。昭和7年に東京35区(大東京市)が誕生する時に、東京市に編入した隣接する町村を、おおよそ東から北、西の順に挙げると…

・葛飾郡(明治に南葛飾郡)
砂、亀戸、葛西、金町、水元

・足立郡(明治に南足立郡)
千住、西新井、花畑、綾瀬

・豊島郡(明治に北豊島郡)
三河島、尾久、日暮里、王子、巣鴨
高田、板橋、練馬、石神井、大泉

・豊島郡(明治に南豊島郡、その後豊多摩郡)
淀橋、大久保、渋谷、千駄ヶ谷、中野、和田掘、高井戸

・荏原郡
目黒、大崎、大井、品川、大森、池上、羽田

 昭和1ケタまでの東京の町は、江戸の町の範囲から、それほど拡大していなかったようです。

江戸四宿が東京の町になったのは、甲州街道の内藤新宿が大正9年で1番早く、東海道の品川宿、中山道の板橋宿そして日光街道(奥州街道)の千住宿は昭和になってから東京市に編入されています。



 江戸の町が明治になって東京15区になり、そして東京市になり、東京都特別区になって…。町として循環型のエコロジータイプだったのが、現在はエコロジーとは程遠い消費型社会となり、ほぼ自然エネルギーだけに依存していた社会からエネルギー浪費社会へと…持続可能社会という観点からは、どんどん衰退していっているように感じます。
posted by student at 20:06| 日記

2009年12月08日

黎明、漱石そしてレノン

 布団の温もりから出ることの躊躇い、そして玄関から外へ
出ることの躊躇い・・・を感じるようになりました。

 でも、この時期の東の空の光景は・・・絶景というよりも
絶妙なグラデュエーション、曙光といよりも暁光の兆しを
感じる黎明の光・・・。その光景をしばし見惚れてしまう
毎日です。そして今日も・・・、いつもと違う場所から
東の空を眺めました。寒さを忘れて・・

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 今日のある授業の冒頭で「明日の12月9日は何の日
でしょう?」と、生徒に訊くと「先生の誕生日?」とか
「〜君は明後日が誕生日!」とか…。一人の生徒が
「真珠湾攻撃の日?」と答えましたが、それは今日
(現地時間では昨日)です。「明日の12月9日は、作家の
夏目漱石の命日です。」というと、「教科書に載っていた」
とか「『こころ』は好きです。」とか、なかなか良い反応が
返ってきました。

 「他に明日の12月9日は何の日でしょう?」で重ねて
訊くと・・・もう「〜君の誕生日」というようなチャチャを
入れる生徒はいませんでした。「ビートルズのジョン・
レノンの命日」と言うと、「ビートルズ知ってるで!」
とか、ちょっと教室がざわざわと・・・「ジョン・レノンの
奥さんは日本人で・・・え〜〜と・・・」と名前を度忘れすると
「小野ヨーコ」との声が・・・。熱狂的なファンに暗殺された
とか、ジョン・レノンの最後の写真は、暗殺したファンと
一緒に写っている写真だったとか・・・

 明日から試験なのに、うっかり余談が長くなってしまい
ました。すぐに方向転換して、授業に戻りました。




 最近は漱石の作品を本棚から取り出すことが稀になり
ましたが、でも、私がこれまでにもっとも影響を受けた
作家は・・・漱石です。

20091209b.jpg

 私の本棚の左上は漱石全集(と言っても、昔の岩波の
コンパクト版ですが・)から始まっています。新潟、千葉、
埼玉、神戸・・・と私の引越しと共に転々としました。

 もう一度読み直したいなあ〜と思いながら、なかなか・・・



 そして12月9日は、日本時間でのレノンの命日でも
あります。手許にあるビートルズのCDは・・・6枚でした。
CD棚から 取り出して写真を撮ったのですが、ホワイト
アルバムが入るとなんだか絵にならず、2枚組みの
ザ・ビートルズを 除いた4枚の写真・・・

20091209c.jpg

 でもホワイトアルバムは一番のお気に入りのCDです。

 ・・・今は、古いジャズのCDを聴いています。今は
グレン・ミラーのアメリカンパトロールです。
中也の「お調子者のジャズ」との表現がぴったりの曲です。



posted by student at 20:04| 日記

2009年12月05日

夜明け前

 今の神戸は、日の入り(夕方)の時刻が16時48分で、
1年で最も早く日が暮れる時期です。

 そして日の出(朝)の時刻が6時51分で、これから
まだまだ日の出の時刻が遅くなります。

 冬至の12月22日は日の入りが16時53分で
5分間日が暮れるのが遅くなって、日の出が7時3分で
8分間朝が遅く始まり、一日の長さが今より3分間
短くなります。

 日の出が一番遅いのが来年の1月8日頃で7時7分、
朝、玄関を出ても真っ暗…



 朝、玄関を出ると、天空には星が煌き、東の空には、
夜明け前の兆しが・・・

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 もうしばらくすると、東の空に赤味が広がって、
朝焼け間近の雰囲気が漂ってきますが、残念ながら
その前に駅について電車に乗ってしまいます。

 この数日前からは、赤味が出る前の夜明けの空を
見ながら駅に向かっています。

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 今、JR神戸線で、塩屋駅から須磨駅までの区間で、
車窓から東の空に赤味が広がって、空よりも明るい海面に
舟影や釣り人がシルエットのように目に映る光景を愉しむ
ことができます。

 絶妙な風景です。

 朝焼けの雰囲気は、その後、新長田駅や兵庫駅近辺で、
東の空の雲が赤く染まって、元町駅や三ノ宮駅辺りでは
街のビルの上層部のガラス窓が赤く輝やきはじめます。

 朝の通勤電車の車窓からの眺めが、朝の移ろい(うつろい)と
共に変化(へんげ)する様子が愉しいです。



 今朝、窓の外から鳥の囀りが続いて・・・、ベランダに
出ると電線に鳥がズラッと並んで囀っていました。
デジカメのレンズを向けると一斉に飛び立ちはじめました。

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posted by student at 19:45| 日記

2009年12月03日

ルミナリエ

今日からルミナリエ・・・さっそく行ってきました。

 元町駅で途中下車して大丸神戸店へ。ここも綺麗です。

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 ルミナリエの輝きが見えてくると、周りで一斉に
携帯電話を取り出して撮影が始まりました。

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ルミナリエの入り口に近づくと、携帯やデジカメで記念撮影・・・

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入り口附近では、ほとんどの人が立ち止まって、また撮影・・・

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 震災直後のルミナリエ元年には何回も来て、その後数年は
毎年の恒例行事でしたが、今回は2,3年ぶりです。
規模は縮小されましたが、・・・やっぱり綺麗です♪

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 光の回廊・・・、初日で人出が少なく、ゆっくりと愉しみ
ながら、光り輝く回廊をメイン会場の東遊園地へ

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 東遊園地のメイン会場、ここでも あちこちで携帯電話
での撮影をしていました。

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久し振りのメイン会場は圧巻でした。

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夜の闇の中での光りの渦が輝いて見えました。

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その中はルミナリエの光が渦巻いていました。

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 帰りは、元町の南京町・中華街に寄りました。
こちらも賑やかでした。

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 以下は10年前に書き綴った文章です。

 ルミナリエは、「たそがれ時の点灯」が感動的であると
云われていますが、私はむしろ、消灯時が好きです。
ルミナリエの期間中は、周辺の街灯を消しているので、
消灯と共に、付近は闇に包まれます。消灯の瞬間、ため息の
ような声が辺りに響きます。そして、徐々に、暗闇の中から、
深夜の神戸のビジネス街の姿が浮かんできます。

 enlightenment(照明)と云う言葉を連想しました。光が
当たると、照らされた面は光の中に明るく浮かび上がりますが、
しかし、光の陰となる部分は、コントラストの強さに、
ますます闇の中に埋もれてしまいます。光に照らされた、
ある一面しか見ることをせず、しかし、自分では全体像を
見たと思い込んでしまうことは、結局は、物事のある一面
だけで、全体像を判断してしまうことになるんでしょうね。

 ほんとうの意味でのenlightenmentは、光に照らされた
「明るい面」と共に、闇の中に埋もれた「陰の面」をも
見つめることでしょうね。

 ルミナリエの輝きが、「明」だけではなく、「闇」でも
あるのかどうかは、やっぱり、ルミナリエの輝きの下に立ち、
自分自身をルミナリエの光の渦の中に投じなければならない
ように、私には思います。ルミナリエを見る「自分自身の光と陰」
をenlightenmentするためにも・・・・・。

 ルミナリエ消灯後の、闇に包まれた神戸の街が、私の
もう一つのルミナリエです。テレビや新聞の写真では伝え
られていない部分かもしれません。

                    Dec16,1999

 神戸の復興の光がほんとうに輝き始めたときに、ルミナリエ
の輝きは、復興の光の中に埋もれてしまうかもしれません。
ルミナリエの輝きが不用になる時が来るのか、或いは、
ルミナリエの輝きが復興の光の中で、また違った輝きを
するのか、私にはわかりません。

                     Dec15,1999

posted by student at 19:42| 日記