2009年10月31日

口跡 円楽の訃報に接して

 昨日の夕方、5代目三遊亭圓楽の訃報をネットで・・・

 私の大好きな落語家の一人ですが、談志、志ん朝、
柳朝(或いは円蔵)の他の四天王に比べて落語の評価が
低かったように思います。でも、ゆったりとした独特の
語り口調には聞き入ってしまう魅力を持っていました。

 私のCD棚には、残念ながら円楽のCDはありません。
東京や千葉に住んでいた頃は寄席通いをして志ん朝、
柳朝、円蔵、小三冶の高座は何度も聴きましたが落語
協会を離れた円楽の高座は一度も…。東陽町の若竹に
一度行ったことはあるのですが、楽太郎がトリで
した。ラジオやテレビでしか落語を愉しむことができ
ませんでしたが、録音したテープや録画したDVDは幾つか
手元にあります。
 談志の高座もまだ・・・。落語のピンを録画したDVDを
時々愉しんでいます。



 円楽の訃報に接して、昨夜は昭和の名人と言われた
円生の「紺屋高尾」のCDを聴きました。

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 円楽の師匠になる人で、文楽、志ん生、三木助、
小さんとともに昭和の名人と言われた人です。

 この円生の「お神酒徳利」という落語をラジオで耳に
してから、その口跡に魅せられて、ラジオから録音した
テープやCD、録画したDVDがたくさん手元にあります。

 落語は「お笑い」に分類されることが多いですが、
確かに「娯楽」ではありますし「お笑い」のウェイトは
大きいのですが、人情噺や怪談噺も落語の魅力ですし、
それ以上に「噺」、「噺家」と言われるように語り
聞かせて魅了することも落語の大きな魅力ではないかと
思います。

 噺家の口跡・・・独特なテンポとリズムを持った先代の
可楽、研ぎ澄まされた甲高い先代の文楽、粋な三木助・・・
笑いを求めるというよりも、独特の口跡を通して落語の
世界に誘われたような気がします。



 朗読も好きで、手元に朗読のカセットが何本かあり
ます。女優の渡辺美佐子の口跡も大好きで、向田邦子の
「父の詫び状」の朗読は私のお気に入りの1本です。

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 そして俳優の加藤剛の口跡も・高村光太郎の「智恵子抄」
の朗読テープは私の宝物です。

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米倉斉加年、山口崇、江守徹・・・口跡に魅せられる俳優
は多いです。

 一番好きな口跡は?と聞かれると、広沢虎造でしょうか・・・

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石松金比羅代参、石松三十石船・・・清水次郎長伝は、何度
聴いても飽きないです。
posted by student at 20:35| 日記

2009年10月29日

とろろ昆布 と 市民救命士

 今、職場で とろろ昆布 が話題になっています。

生活習慣病の健康診断で今まで引っ掛かっていた人が、
とろろ昆布を食べただけで健康診断の結果がひじょうに
良くなったとのこと・・・

 最寄り駅の垂水で降りて、そのことを思い出して駅前の
ジャスコに寄って とろろ昆布を買ってしまいました。

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「メタボ対策は食生活から」と袋に大きく表示されて
いました。海藻類はヨードを豊富に含んでいるので
食べ過ぎるとヨード過剰症を引き起こすそうです。
ほどほどに味わいたいと思います。



 神戸市は、地域や職場で積極的に市民救命士の講習を
開催しており、私の職場でも市民救命士の講習を受けて
消防局からの修了証を取得することを推進しています。
私も市民救命士の講習に参加しました。3時間コースで、
費用は500円です。

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 この春に、同僚の一人が、新快速の電車の中で心肺停止
になって、幸い同じ車両に居合わせた看護士の方の的確な
処置と人工呼吸、そしてJRが新快速を兵庫駅に臨時停車して、
そこでAEDのお世話になって救急車で近くの神戸大附属病院
で集中治療を受けて・・・2,3日意識が戻らなかったの
ですが、今は職場復帰されておられます。

 講習会の費用は、この人工呼吸用携帯マスクの実費だそう
です。

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 人工呼吸と胸骨圧迫の体験練習と共にAEDの装着と操作も
体験しました。毎分100回の胸骨圧迫を続けることは
かなり大変です。救急隊が到着するまで続ける必要が
あるそうで、何人かのチームプレーで人工呼吸と胸骨圧迫を
続けないとダウンしてしまいそうです。

 修了証は、後日、消防局から送られてくるそうです。
posted by student at 20:32| 日記

2009年10月26日

Rainy Days and Mondays always get me down

今朝、目覚めの前のまどろみの中で雨音の気配を感じました。
窓の外は雨…、その雨音を布団の中で聞いていると、なんとなく
鬱陶しい気持ちになって、このまま布団の中で時が過ぎるのを
じ〜としていたいような…

 こんな歌詞の古い唄があったなあ〜と思いながら、なかなか
思い出せず、あれこれ記憶の糸を辿っていると…

…Rainy Days and Mondays always get me down.

 古いカーペンターズの唄でした。

 結局、休むことなく、出勤して、ちゃんと仕事しました。
帰宅して、CD棚を探して、ようやくカーペンターズの
ベスト盤を見つけました。

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今、9曲目のRainy Days and Mondays を聞きながら…



 NHKで、「街道てくてく旅。山陽道」という番組があって、
大宰府から平城京までを元シンクロ選手の原田早穂さんが
歩くという企画です。5月から7月までが大宰府から尾道。
そして9月末からは福山から始まって先週は姫路、加古川
そして金曜日が明石宿で、今朝は須磨海岸からの中継でした。
この週末の明石から須磨への道程をビデオで紹介していま
したが、山田村、垂水村、塩屋村の古い街並みが紹介される
ことなく、大蔵海岸と須磨海釣り公園の映像だけだったので
ちょっと残念でした。

 下の映像は、福田川を渡ってすぐあたり、増田屋平磯店
の近くだと思います。

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そして、塩屋を越えて、播磨と摂津の国境の境川を
過ぎたあたりの映像だと思います

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明日は兵庫宿、そして元町、御影…金曜は西宮宿です。
posted by student at 20:24| 日記

2009年10月25日

選挙と望遠

 今日の神戸は、朝方に陽射しがちょっとありましたが、
ほぼ一日曇り空でした。風が冷たく感じた一日でした。

 今日は、神戸市長選挙の投票日、朝一番に投票に…

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 投票所には10人ぐらいの係りの人がいましたが、投票に
来ている人は私も含めて3人、前回・8月30日の衆議院選挙の
時は、投票所が賑わっており行列して投票したのですが、
今朝はガラガラでした。

 投票ついでに一眼レフカメラに50mmの単焦点レンズを
つけて肩にぶら下げて出掛けました。デジカメの一眼レフで
換算80mmぐらいですので、3倍ズームのデジカメだと望遠端
に相当します。一般には中望遠と言われる画角になります。
普段はもっぱら広角ばかりなので、街角の風景を切り取る
ような構図を模索するのに苦労しました。広角レンズだと、
一歩近づいて写真を撮るのですが、このレンズだと、逆に
ファインダーを覗いてから一歩か二歩後ずさりしました。

 商大筋…、垂水の街の西を、浜手の国道2号線から星陵台
を結ぶ道路です。

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 電柱には「Wタルミ」と「テンジンガワ」の標示板が
貼られています。西垂水と天神川…、商大筋は、垂水の街の
西を流れる天神川沿いの道路なのですが、今は暗渠になって
います。

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 昔は、垂水の町の山手には高丸陸(たかまるくが)が
広がっていたようですが、今は造成・開発されて住宅地に
なっています。切り開いて造成したので坂道が多いです。

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 この向こうは霞ヶ丘や歌敷山になります。駅前からは
垂水坂をダラダラと上がっていくのですが、この辺りは
崖のようになっています。

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 その崖の上です。この辺りは「仲田」という住居標示・
その向こうの高台が星ヶ丘になります。

 高丸、霞ヶ丘、歌敷山、旭ヶ丘、千代ヶ丘、星が丘、
星陵台、千鳥ヶ丘、五色山…というような住居表示が
この垂水の北側の住宅地につけられています。

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住宅地の中に、車の通行が困難な坂を時々見掛けます。

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 雨がパラパラと降ってきたので、ぐるっと住宅地の中を
散策する予定を変更して自宅へ。

 神戸市垂水区の選挙管理委員会が発行する投票済証には
垂水区の花であるゼラニウムが描かれています。

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posted by student at 20:22| 日記

2009年10月24日

霜降に聴くグレゴリアン・チャント

秋も日々に深まって、昨日が霜降(そうこう)、露が
冷気によって霜となって降り始める時候で、朝夕は
肌寒さを感じます。

 神戸の市街地の街路樹の桜も、葉が黄葉して…

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落ち葉の季節です。

 職場を出て、JR神戸線の灘駅のホームから西を見ると
六甲山系に沈む夕日を見ることが出来ますが、職場を
出るのが遅くなると、夕焼けの西の空が暗闇に変わる頃に
なって、秋の物悲しいような光景を見ることができます。

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 自宅で聴く音楽も夏の頃とは変わってきました。この
数日、グレゴリアン・チャントのCDばかり聴いています。

 グレゴリアン・チャント(グレゴリオ聖歌)は、
モノフォニー(1声部しかない単旋律)の無伴奏で、教皇
グレゴリウス1世が編纂したことからグレゴリアン・チャント
と呼ばれるようになったそうですが、実際には違うそうです。

 昨日と今日は、この「グレゴリアンチャントその伝統の
地をたずねて」というCDを続けて聴いています。
ヨーロッパ各地の修道院の聖歌隊によるものです。

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 このCDは修道院の聖歌隊ではなくて、合唱団による
ものです。私のお気に入りのCDの1枚です。夜、照明を
落としてこのCDを聴いていると、心が鎮まって
いくのを実感します。

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 そして先程から聴いているCDです。修道会の聖歌隊
のようで、男声と女声によるコーラスです。

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 本来は神聖な典礼の聖歌なのですが、私は秋から冬に
かけて、心を鎮めるBGMとして聴くことが多いです。
幽玄という言葉がグレゴリアン・チャントにふさわしいか
わかりませんが、私には、これもまた幽玄なのかなあ〜と
感じます。
posted by student at 20:16| 日記

2009年10月19日

須磨停車場線

 大化の改新において、新たな施政方針を示すために
発せられた改新の詔(646年・大化2年)の中で、

「およそ畿内とは、東は名墾(名張)の横河より
以来(こちら側)、南は紀伊の兄山より以来、西は
赤石(明石)の櫛淵より以来、北は近江の狭狭波
(さざなみ)の合坂山(逢坂山)より以来を、
畿内国とす」

という畿内の範囲に関する記述があります。

 ここにある「赤石(明石)の櫛淵より以来」と
いうのが、須磨の西側・鉢伏山が海に迫る一の谷
から塩屋や滝の茶屋ぐらいまでの、古代は屏風ヶ浦の
ような一帯が続いていた辺りを指し示すそうで、
「以来」とあるのでこちら側…つまり「須磨」が
五畿内の西の端だったようです。古代の都に住む
人々にとって、五畿内の向こう側は、異郷の
地のような感覚だったのかもしれません。

 その須磨…

 国道2号線の須磨浦通にある交差点「須磨駅前」と
JR須磨駅とを結ぶ短い県道が、兵庫県道199号
須磨停車場線です。

 須磨駅前交差点の北側には、山陽電車の須磨駅が
あります。

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 山陽須磨駅に面する須磨駅前交差点から南方向を
見ると…

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 JR須磨駅が見えます。手前の須磨駅前交差点の
横断歩道から、その向こうに見えるJR須磨駅の
ロータリーの横断歩道までが、県道199号須磨停車場線。

 国道2号線の須磨駅前交差点には、国道2号線と
県道199号線が交差することを示す標識があります。

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 わずか数十メートルの県道ですが、その間には、
私のお気に入りの酒屋さん「たんもと」があります。
安富町・下村酒造の「奥播磨」は、近隣ではこの店
でしか手に入りませんし、焼酎の種類も豊富です。
そして「たんもと」の2階にはさぬきうどんの「鶴越」
があって、なかなか美味しいらしいですが、まだ
入ったことがありません。

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そしてJR須磨駅のロータリー

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国道と主要な駅との間を結ぶ「県道〜線」が幾つか
あるのですが、199号線が須磨停車場線で、200号線
が垂水停車場線です。



 国道2号線に戻って…、須磨駅前には、神戸市営バスの
停留所が並んでいます。神戸の市街地の路線の最西端の
停留所がこの須磨駅前です。
 
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(正確には、更に西に一の谷のバスの車庫があり、そこが
最西端になります。)

 以前は、神戸市営の路面電車の停留所が須磨駅前にあり、
最西端の市電のターミナルでした。JR(当時の国鉄)、
山陽電車そして市電と3つの鉄道が…



 下の写真…

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 須磨駅前は繁華街ではありませんが、国道2号線を挟んで
斜向えにローソンの2つお店舗が向い合っています。
ちょっと珍しいです。



 JRの駅の南、階段を下りると、すぐに砂浜です。
朝早い時間だったので、東の空が真っ赤で、その空の赤を
海が照らして…綺麗でした。

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西には鉢伏山の稜線が、綺麗に海に向かって…
写真の左端には、鉢伏山の稜線と、明石海峡の向こうの
淡路の島影がクロスするように見えます。五畿内の最果て
の風景です。

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 私は、鉢伏山の稜線の西・五畿内の最果ての更に
向こう側の播磨の国明石郡垂水郷から、五畿内の摂津の国
莵原郡灘郷まで毎日通っています。

posted by student at 20:12| 日記

2009年10月17日

港の朝日

 ちょうど今の時節は、真っ赤な朝日に向かって通勤して
そして真っ赤な夕日に向かって帰宅しています。

 暮れゆく夕景に照らされたオレンジ色の街の風景に
目を奪われる日が多くなりましたが、一日のはじまりの
真っ赤な朝日にも目を奪われています。

 昨日の朝、HAT神戸の南から見た朝日…

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 海沿いに渚公園があって、木製のデッキがあり、朝の
散歩を楽しまれる方々が多いです。

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 東京では大きな卸売市場があるのが「築地」、そして神戸
では「築島」に 中央市場があります。

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 明治に入って神戸村(今の三宮辺り)に港が開港する
までは、奈良時代に行基によってつくられた大輪田泊
(おおわだのとまり)が、この兵庫の町の港として
栄えていました。平清盛は大輪田泊に人工島の経が島を
築き、兵庫町に隣接する北西部に都(福原京)を建造
しました。築島のルーツを辿れば…平清盛の経が島に
たどり着きます。

 兵庫の町は、国内航路の重要な港として、また山陽道・
西国街道の宿場として栄えましたが、明治に入って港の
中心が神戸に移り、今は国道2号線も兵庫の町をバイパス
しています。

 築島の卸売市場の風景も、今年に入って大きく変わって
しまいました。

 この辺りの住所は兵庫県神戸市兵庫区…、市名は神戸村
に由来しますが、県名は、この兵庫の町が最初の県庁所在地
だったことから兵庫に。サンドイッチみたいな住所です。
posted by student at 20:06| 日記

2009年10月15日

又人に かけ抜れけり 秋の暮

 半月ほど前までは、麦茶を飲んで、半袖で上着なしで出勤
していたのですが、ここ2,3日、熱いお茶が美味しく感じて、
掛け布団の暖かさが心地良く、長袖で上着を着て出勤しています。

秋…

 朝、起床する5時過ぎには外は暗闇に包まれています。日が
暮れるのも早くなりました。

 灘駅の新しい駅舎からの夕暮れの時の西の空です。六甲山系
の山の端に、陽が隠れようとししています。街は、オレンジ色
に染まって…

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 久し振りの神戸駅東口のハーバーランドの様子です。
午後6時過ぎですが、もう真っ暗です。

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 そして今日の垂水駅のホームの端から明石海峡方面の
夕暮れ時の空です。

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 一茶の句で、私のお気に入りの句・

又人に かけ抜れけり 秋の暮
               文化句帖補遺より

 
 垂水駅のホームの端から夕暮れの空を見ていたら、
この一茶の句が頭をよぎりました。

 真夏の暑さと強烈な陽射しが過ぎ去って、秋の暮れの
涼風の中で、夕暮れの西の空を見ていると…

 …センチメンタルな気分になりました。
posted by student at 20:03| 日記

2009年10月12日

志方町(加古川) と 三島由紀夫

 志方町…、現在の加古川市に最後に(1979年)編入した
のが志方町です。平荘湖の北西で、高砂市の北に位置します。

 神戸の須磨・布施畑と姫路の花田を結ぶ県道65号線の、
ほぼ8割から9割を道なりに進むと志方町に到着します。

 志方町は、三島由紀夫の本籍地として有名です。小説
「仮面の告白」で主人公の「私」が徴兵検査と入隊の時に
訪れたH県が三島由紀夫の本籍地である当時の兵庫県
印南郡志方村で、三島由紀夫は祖父・平岡定太郎の生まれ
育った本籍地を2度訪れたことになるようです。

志方町に「三島由紀夫先生 慰霊の碑」があります。
志方町の中心地から北に県道515号線沿いに2キロ
ほど行くと玉の緒地蔵尊があり、その奥に…

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玉の緒地蔵は子宝・子授かりで有名だそうです。

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 その奥(南側)に三島由紀夫の慰霊の碑がありました。
自然石に黒御影をはめ込んだもので、文字は建立当時の
知事・坂井時忠が揮毫したものでした。

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 大藤山を一望できる日当たりの良い場所にあります。
この碑は、志方町で盛んな食肉業界の有志の方々の私財で
建立されたそうです。記念碑の横には檄文が…



 志方町には、昔、志方城がありました。志方城址は
志方町の街の中心にある観音寺の境内に本丸があった
そうで、二の丸、西の丸を含めると、今の志方町の
中心地が志方城だったことになります。

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 この城の城主は櫛橋家で、藤原鎌足に始まり、
藤原北家の摂関家から世尊寺流書家の公卿の家系を
経て、櫛橋家の祖と言われる伊朝へと連なったという
説が有力ですが、それ以外に相模国大住郡櫛橋郷より
出た東国の御家人だったのが鎌倉時代以降、播磨に
土着して赤松氏に仕えたという説もあります。

 南北朝時代の観応の擾乱、明徳の乱、嘉吉の乱、
応仁の乱…と櫛橋家は赤松氏の下で活躍したそうで、
その後、櫛橋左京亮則伊が赤松政則に仕えていた時には
大いに重んじられ、播備作3国の財産出納の役を
つとめて明応元年(1492)に志方城を築いたそうです。

 戦国時代後期の天正五年(1577)十月に豊臣秀吉が
播磨に入った時には赤松一族の多くはすみやかに帰順
したようですが、三木城主別所長治は秀吉に反し、
この時の志方城主・櫛橋左京亮伊定は、別所氏に応じて
三木城南方の前衛として近郊の諸将を集めて、志方城に
籠城したとのこと、秀吉は信長に指図を仰ぎ、信長は
志方城に対しては織田信雄を攻囲の陣として据えた
そうです。

 天正七年七月、神吉城を攻め落した織田軍は志方城に
迫り、秀吉の攻略にあって8月10日に落城したようです。

 城主・伊定の娘は小寺氏の家老官兵衛孝高に嫁いで
男の子を産んでいたそうで、官兵衛はのちの黒田如水で
秀吉の軍師として仕え、その如水の子が黒田長政です。

 黒田長政は関ヶ原の戦いで一番の武功を挙げたことから、
筑前福岡藩52万3000石を与えられ、その初代藩主になり
ました。 



 県道65号線に、志方町商店街という信号機のある交差点が
ありました。

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 志方町の商店街は閉っている店が多くて、寂しかった
です。観音寺の近くで、16世紀までは志方城内だった
処です。

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商店街というよりも、住宅地という感じがしました。

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 今は、ちょっと離れた処にあるスーパーが志方町で
もっとも賑やかな感じを受けました。

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 スーパーの2階に100円ショップのダイソーがあり、
立ち寄って買い物をしました。
posted by student at 20:00| 日記

2009年10月10日

警察

朝、職場に入る前にコンビニに立ち寄ることが
多いのですが、昨日は、紙パックのジャスミン茶と
男子スイーツ部・理想のプリンを買いました。

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 ジャスミン茶は、数日前からファミリーマートで
見掛けるようになって、買うのは2度目です。ほのかな
ジャスミンの香りを愉しむことができてお気に入りです。
 そして男子スイーツ部・理想のプリンは…私には濃厚
過ぎる味でした。特に朝の仕事前のプリンは、あっさり目
志向です。



10月6日付のニュースですが…

 交番に届けられた「迷い猫」が殺処分されるのは
かわいそうだと、逃がした県警の職員が訓戒処分とのこと。

 9歳の男の子が路上で猫を見つけて交番に届けたそうで、
飼い主が分からないと動物愛護センターに送られ殺処分に
なるので、この職員は交番に、「飼い主の元に戻る習性がある」
と、再び路上に戻すように指示したそうです。

 その翌日に飼い主が猫の遺失届を出し祭に、逃したことを
聞いて苦情を訴え、警察署が情報提供を呼び掛けるポスターを
作ったそうですが、結局、猫は見つからなかったそうです。

 この職員が、何も考えずに、マニュアル通りのお役所仕事を
していれば、結果的に飼い主の処に迷い猫が戻ったのですが、
場合によっては殺処分になっていたかもしれませんでした。
でも本心は、「たかが迷い猫」という思いからの判断だった
かもしれません。

 逃がしたその猫が、飼い主の処に戻っていれば、この職員の
判断が誰にも知られることがなかったことになります。

 結果的に逃がしたその猫は、飼い主の処に戻らず、ひょっと
したら誰かが見つけて飼われているのかもしれませんし、或いは
飼い猫だったので路頭に迷って餓死しているかもしれず、また、
野良猫として今も逞しく生きているかもしれません。

 この県警職員の判断は、ルール上ではアウトですが、ひとりの
人としての判断を考えると、○なのか×なのか…。

 このニュースを読んで、泉鏡花の「夜行巡査」という作品の
内容とオーバーラップしました。職務、ミッションって?と、
いろいろと考えさせられました。

posted by student at 19:55| 日記

2009年10月08日

大人の世界

 昨日の朝、台風が接近中の神戸の空です。
HAT神戸の渚公園から摩耶山方向に、今にも
雨粒が落ちてきそうな垂れ下がった雲が神戸の
空一面を覆っていました。

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 急に涼しくなって、街路樹の紅葉が始まった
ようです。

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 昨日の夕方から神戸は激しい雨が降り出して、
午後6時過ぎには警報が発令されました。そして
久し振りに雨戸を締めて就寝しましたが、物凄い
風音と雨音で何度か目が醒めました。

 今朝、5時過ぎには、まだ強い雨が降り続いており、
風も強かったですが、6時半頃に風もだいぶ弱くなり、
小雨になって…いつもより30分以上遅く家を出
ました。

 駅前のバスターミナルで、バスから降車して
垂水駅へと向かう人の群を見ると、なんだか
いつも様子が違います。

 …高校生や大学生・専門学生の姿がなく、駅に向かう
のは大人ばかりです。

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 ホームでも、そして電車の中でも、大人ばかり…

 台風でダイヤが乱れており、途中で停まったり
して更に遅れて灘駅に着きました。でも下りは
約65分遅れとのことで、何本かは運転を取りやめて
間引き運転をしているとの駅のアナウンスがあり
ました。

 朝の通勤時間帯でいつもなら、普通電車は
5〜7分間隔ぐらいで運転されているのですが、
1時間の間に3本だけです。

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 ホームの外で、初めて子どもを見ました。大人の
人がその子どもに話しかけて携帯で電話をしました。
聞き耳を立てると、その大人の人は私立小学校の
先生のようで、台風で休校になったので、登校して
くる子どもを駅で待ち構えて、子どもを駅に帰す係りの
先生だったようです。

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 駅前に停まっていた白い車が、昨夜の暴風雨で駅前の
街路樹の葉が竜巻のように舞った跡なのか、白い車体に、
葉っぱがこびりついていました。

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 歩道に割れた瓦、その向こうには、街路樹の根元に
折れた枝が…

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 高架沿いには、時々、葉っぱの吹き溜まりが出来て
いました。激しい六甲おろしのような物凄い風が
昨夜は舞ったのでしょうか?

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 ガード下にも、葉っぱが渦巻いたように道路脇に
溜まっていました。

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 勤務校も警報で生徒は待機でしたが、その後、警報が
解除されて4限目から授業がありました。10時過ぎには
陽が射して、西から青空が広がって 午後には、青空に
白い雲が浮かび、太陽がギラギラと 輝いていました。

 …台風一過の一日でした。
posted by student at 19:53| 日記

2009年10月04日

灘駅

 JR灘駅が、古い木造の跨線橋と駅舎から、新しい橋上駅舎に
なりました。

 ホームには、手前の古い跨線橋の階段と、その向こうに
新しい橋上駅舎の階段とエスカレータが同居しています。

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古い跨線橋のホームの階段は、入り口が封鎖された状態です。

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 古い駅と新しい駅が同居する不思議な光景…、古い跨線橋
の撤去工事までです。

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新しい橋上駅舎の階段から眺めたホームの風景です。

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 JR灘駅北口の仮駅舎です。工事期間の2年間お世話に
なったので、結構愛着があります。入り口の庇の上の
駅名の看板が撤去されて・・・。工事前の古い北口が
閉鎖される時は式典がありましたが、この仮駅舎は、
ひっそりと役目を終えました。

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posted by student at 19:46| 日記