朝、最寄の垂水駅に向かう商大筋沿いに、海神社の秋祭りの
巡行の案内が出ていました。
明日が9月最終日で明後日は10月、もう秋…
昼間は、まだ汗ばむので、上着なしの半袖で出勤している
のですが、夕方は肌寒いことがあります。
*
今日職場で、シアトルのお土産を貰いました。シアトル
チョコレートを2つ…
仕事前に口の中に…ちょっと変わったチョコレートでした。
「所変われば品変わる」という言葉を思い浮かべながら
味わいました。
2009年09月26日
三宮でランチ
今日・土曜の午後、久し振りに休日の三宮へ・
午後の遅い時間に待ち合わせて三宮でランチを
食べました。JR三ノ宮駅東口にできたミント神戸、
ここは震災で全壊した神戸新聞の「新聞会館」の
跡地に3年前にオープンした商業施設+シネマです。
ここの7階と8階に和洋いろいろなレストランが
入っているのですが、その中の「モード和食WADA」に
入りました。西向きの窓辺の席からは、三宮駅南の
交差点が一望できました。
前菜とビール…、ここの店は、大きなお皿に盛り付け
されて出てくるのですが、量は上品です。
遅い午後だったので、西向きの窓から快晴の秋の陽光が
まぶしく射し込んで、前菜を輝かせてくれました。
一日50食限定のランチメニュー・「大名行列伝統の一式」
です。この店では小さな器の料理を7種類載せて、ミクロ料理と
名付けているそうです。
スープ…、とにかくお皿が大きかったです。
そしてメインディッシュ…牛肉の柔らか煮が、大根の
柔らか煮の上に載って出てきました。このお皿も
大きかったです。
ビールはグラス2杯だけでしたが、おしゃべりを
しながらの2時間ほどの愉しい時間が過ぎ去って…
夕方の神戸の空は、雲ひとつない快晴、垂水駅で降りて
駅前の理髪店に寄って散髪をしてもらって自宅へ。
9月最後の週末を、ゆったりと過ごしました。
午後の遅い時間に待ち合わせて三宮でランチを
食べました。JR三ノ宮駅東口にできたミント神戸、
ここは震災で全壊した神戸新聞の「新聞会館」の
跡地に3年前にオープンした商業施設+シネマです。
ここの7階と8階に和洋いろいろなレストランが
入っているのですが、その中の「モード和食WADA」に
入りました。西向きの窓辺の席からは、三宮駅南の
交差点が一望できました。
前菜とビール…、ここの店は、大きなお皿に盛り付け
されて出てくるのですが、量は上品です。
遅い午後だったので、西向きの窓から快晴の秋の陽光が
まぶしく射し込んで、前菜を輝かせてくれました。
一日50食限定のランチメニュー・「大名行列伝統の一式」
です。この店では小さな器の料理を7種類載せて、ミクロ料理と
名付けているそうです。
スープ…、とにかくお皿が大きかったです。
そしてメインディッシュ…牛肉の柔らか煮が、大根の
柔らか煮の上に載って出てきました。このお皿も
大きかったです。
ビールはグラス2杯だけでしたが、おしゃべりを
しながらの2時間ほどの愉しい時間が過ぎ去って…
夕方の神戸の空は、雲ひとつない快晴、垂水駅で降りて
駅前の理髪店に寄って散髪をしてもらって自宅へ。
9月最後の週末を、ゆったりと過ごしました。
posted by student at 19:40| 日記
2009年09月25日
デジカメ と レンズ
先月末の長岡・新潟行きと、先週の広島行きの時に活躍した
マイカメラです。
キャノンの一眼レフのデジカメEOS Kiss-DXと、レンズは
キャノンのEF-S10-22mm F3.5-4.5 USMです。
デジカメ本体は、キャノンの一眼レフカメラの中で、
最も小型軽量で廉価なモノです。私が最初に買ったフィルムの
一眼レフカメラが初代EOS-kissのダブルズームで、ニコンの
一眼デジカメを使っていた時期がありましたが、またEOS-kissに
戻ってきました。
撮影をしていると、もっとファインダーが大きくて高性能な
カメラが欲しいと思いますが、でも持ち運びを考えると、
これでも大きいなあ〜と感じることがあります。
レンズは超広角ズーム10-22mm(換算16〜35mm)で、
買って3年ぐらいになりますが、ほぼこのレンズを付けっぱなしで
使っています。何かを狙って撮影するというよりも、街中や
風景等々、“場の雰囲気”を撮影するには、手頃な視角の
レンズで、このカメラとレンズが、私のベストコンビネーション。
*
一眼レフのデジカメなのでレンズを交換することも出来、
フィルム時代のレンズも併せると7本のレンズがあるのですが、
望遠(EF75-300mm F4-5.6USM)とフィルムの時に常用していた
標準ズーム(EF28-105mm F3.5-4.5 II USM)は、共に
使用頻度がほぼゼロです。そしてデジカメのレンズキットの
付属標準ズーム(EF-S18-55mm F3.5-5.6 II USM)もほとんど
使っていません。標準ズーム域は、コンパクトデジカメと
併用して撮影しているので、そちらにお任せすることが
多いです。
この夏に衝動買いした大口径単焦点レンズEF50mm F1.8II
です。
写りはものすごく良いのですが、換算80mmの中望遠レンズは
私の撮影スタイルでは使い勝手が悪く、この夏1,2度使った
のみです。時々、単焦点一本で撮影に出掛けたいなあ〜と…
*
そして大口径標準ズームAT-X270AF PRO 28-70 F2.8です。
フィルム時代の「ここ一番」レンズだったのですが、デジカメ
では換算44〜110mmで、中望遠ズームのような撮影域、
私がポートレートを撮っていれば、もっと活躍していたと
思いますが、記念撮影の時に使ったぐらいで、デジカメでは
ほとんど使っていません。
複数のレンズを、うまく使い分けているというよりも、
超広角ズーム一辺倒です。
せっかく持っているのに使わないのももったいない話ですが、
処分するのもったいないように思えて…。土曜の朝、久々に
カメラ用品の箱を整理しながら感じたことを書き綴りました。
マイカメラです。
キャノンの一眼レフのデジカメEOS Kiss-DXと、レンズは
キャノンのEF-S10-22mm F3.5-4.5 USMです。
デジカメ本体は、キャノンの一眼レフカメラの中で、
最も小型軽量で廉価なモノです。私が最初に買ったフィルムの
一眼レフカメラが初代EOS-kissのダブルズームで、ニコンの
一眼デジカメを使っていた時期がありましたが、またEOS-kissに
戻ってきました。
撮影をしていると、もっとファインダーが大きくて高性能な
カメラが欲しいと思いますが、でも持ち運びを考えると、
これでも大きいなあ〜と感じることがあります。
レンズは超広角ズーム10-22mm(換算16〜35mm)で、
買って3年ぐらいになりますが、ほぼこのレンズを付けっぱなしで
使っています。何かを狙って撮影するというよりも、街中や
風景等々、“場の雰囲気”を撮影するには、手頃な視角の
レンズで、このカメラとレンズが、私のベストコンビネーション。
*
一眼レフのデジカメなのでレンズを交換することも出来、
フィルム時代のレンズも併せると7本のレンズがあるのですが、
望遠(EF75-300mm F4-5.6USM)とフィルムの時に常用していた
標準ズーム(EF28-105mm F3.5-4.5 II USM)は、共に
使用頻度がほぼゼロです。そしてデジカメのレンズキットの
付属標準ズーム(EF-S18-55mm F3.5-5.6 II USM)もほとんど
使っていません。標準ズーム域は、コンパクトデジカメと
併用して撮影しているので、そちらにお任せすることが
多いです。
この夏に衝動買いした大口径単焦点レンズEF50mm F1.8II
です。
写りはものすごく良いのですが、換算80mmの中望遠レンズは
私の撮影スタイルでは使い勝手が悪く、この夏1,2度使った
のみです。時々、単焦点一本で撮影に出掛けたいなあ〜と…
*
そして大口径標準ズームAT-X270AF PRO 28-70 F2.8です。
フィルム時代の「ここ一番」レンズだったのですが、デジカメ
では換算44〜110mmで、中望遠ズームのような撮影域、
私がポートレートを撮っていれば、もっと活躍していたと
思いますが、記念撮影の時に使ったぐらいで、デジカメでは
ほとんど使っていません。
複数のレンズを、うまく使い分けているというよりも、
超広角ズーム一辺倒です。
せっかく持っているのに使わないのももったいない話ですが、
処分するのもったいないように思えて…。土曜の朝、久々に
カメラ用品の箱を整理しながら感じたことを書き綴りました。
posted by student at 19:34| 日記
2009年09月23日
ホッピー と ラ・ムー
ホッピー…、以前から手に入れたいと思いながら、神戸では
幾つかの飲食店のメニューにはありますが、販売している店が
わからないままでした。新潟・長岡の丸大で店頭に並んでいる
のを見つけて買ったままで、冷蔵庫に眠ったままでした。
今晩、栓をあけて焼酎で割って飲みました。上野や新橋の
焼き鳥屋さんや、天王寺のホルモン屋さんのよう下町の濃い味
のものと一緒に呑めば美味しいんだろうなあ〜と思いながら、
お造りと味の薄い煮物とでは…イマイチでした。
以前、浅草の神谷バーで、電気ブランを呑んだときは、
凄い飲み物だなあ〜と思いましたが、後で知ったのですが
ビールをチェイサーにして呑むそうで…。アルコールには、
それぞれ美味しい味わい方があって、一緒に食べる料理との
マッチングも大切なんだと、改めて肝に銘じました。
*
ラ・ムー・・・、半年ほどまえに大蔵海岸にできたスーパー
マーケットなのですが、今日、初めて立ち寄りました。
スーパーマーケットというよりもディスカウントショップ
という感じで、神戸物産の業務スーパーに鮮魚と惣菜の
売り場がドッキングしたような品揃えでした。24時間営業
で車で10分も掛からないので案外便利です。
今晩はラ・ムーで買った安い食材とホッピー、決して
贅沢ではありませんが、美味しく召し上がりました。
幾つかの飲食店のメニューにはありますが、販売している店が
わからないままでした。新潟・長岡の丸大で店頭に並んでいる
のを見つけて買ったままで、冷蔵庫に眠ったままでした。
今晩、栓をあけて焼酎で割って飲みました。上野や新橋の
焼き鳥屋さんや、天王寺のホルモン屋さんのよう下町の濃い味
のものと一緒に呑めば美味しいんだろうなあ〜と思いながら、
お造りと味の薄い煮物とでは…イマイチでした。
以前、浅草の神谷バーで、電気ブランを呑んだときは、
凄い飲み物だなあ〜と思いましたが、後で知ったのですが
ビールをチェイサーにして呑むそうで…。アルコールには、
それぞれ美味しい味わい方があって、一緒に食べる料理との
マッチングも大切なんだと、改めて肝に銘じました。
*
ラ・ムー・・・、半年ほどまえに大蔵海岸にできたスーパー
マーケットなのですが、今日、初めて立ち寄りました。
スーパーマーケットというよりもディスカウントショップ
という感じで、神戸物産の業務スーパーに鮮魚と惣菜の
売り場がドッキングしたような品揃えでした。24時間営業
で車で10分も掛からないので案外便利です。
今晩はラ・ムーで買った安い食材とホッピー、決して
贅沢ではありませんが、美味しく召し上がりました。
posted by student at 19:31| 日記
2009年09月22日
追憶
5年前の秋・平成16年10月23日に、岡山の玉島から
広島市までの瀬戸内海の海岸沿いを写真を撮りながら
ドライブしたことがありました。
その時は、途中から広島の街まで明るいうちに辿り着く
ことが目的のようになってしまって、後半は、ゆったりと
瀬戸の景色を愉しむことができずに・・・。広島の市街に
入ったのが午後5時頃で、広島観光もせずに、夕闇迫る中を
原爆ドームの横を通って、山陽道の広島ICに向った記憶が
あります。
広島ICの手前で、ちょうど午後6時、NHKのニュースを
聞こうとラジオをつけると・・・、ラジオから聴こえてくるのは、
ニュースではなくて、以前数年間住んでいた新潟の地名を
アナウンサーが延々と読み上げる声でした。
その日の17時56分に発生した新潟県中越地震の第一報
だったようです。神戸までの約5時間の帰路は、刻々と
伝わる震災の状況を聞きながら運転でした。
*
今回の“広島行き”は、瀬戸内海の風景を、今度こそ
ゆっくりと眺めようと2泊しての旅です。観光地は
鞆の浦と尾道ぐらいで、それも5年前に後ろ髪を引かれる
思いで素通りしてしまったことが頭に残っていたので・・・。
追憶・・・、今回の“広島行き”の旅を一言で言えば、5年前に
急ぎ足で走った海岸線沿いのルートをなぞる“追憶の旅”
でした。
急遽立ち寄った倉敷の美観地区、朝10時前で観光客も
少なく、ゆっくりと歩き回っただけでしたが、この景色を
眺めていると心鎮まり、ドライブの良い休憩になりました。
鞆の浦の観光区域から離れた海沿いの小さな店です。
最近はスーパーやコンビニでの買い物が多くて、このような
店で買い物をしたのは何年前かなあ〜と
尾道の風景、坂の向こうに海があり、その向こうに島影が
見えるのは・・・、我が家も明石海峡を望む丘の上にあり、
坂の向こうに明石海峡があり、その向こうに淡路。見慣れた
光景と同じようで、なぜか懐かしさを感じました。
瀬戸内海の海沿いを走っていると、造船所やドック、
大きなクレーンに出逢います。神戸は港町と言われて
いますが、ドックやクレーンは神戸港の港湾施設近辺
だけです。瀬戸内海では船が身近な乗り物なんだろうなあ〜
と改めて実感しました。
古い家屋で時々見掛けたのが、外壁に塗り込まれた
平らな瓦です。今まで見掛けたことがありません。
風習、習慣の違いか、或いは何らかの意味があるのか、
ちょっと気になってしまいました。
神戸では理髪店、理容室と言いますが、広島では
入り口に理容院と書かれている店が多かったです。
これは帰路、赤穂線の備前福河駅です。改札には
切符入れだけがあります。
ほんとうは何日も掛けて列車の旅をしたいのですが・・・
車でローカル線の駅を見つけると立ち寄ってしまいます。
呉線の忠海駅の東、河口近くの鉄橋です。お昼前の
ちょうど満潮時だったようですが、鉄橋が海面(川面)
ギリギリです。この鉄橋の川上には小舟が停留されて
いましたが、干潮のタイミングで海に出るのかなあ〜と。
(帰路、気になって見ると、水位が下がっていて、
小舟は、余裕でこの鉄橋の下を通れるようでした。)
海沿いの道を走っていると、しばしば小さな港に
出逢いました。さりげない瀬戸内海の海沿いの光景・・・
*
以下は、海沿いの写真ばかりです。
今は倉敷市になっているようですが、沙美海岸、
5年前に訪れて、この海岸からの風景が忘れられなかった
のですが、やっぱり美しい景色が広がっていました。
先程ネットで検索して知ったのですが、日本の渚百選に
選ばれており、日本で最初の海水浴場を備えた海浜公園
だそうで、明治13年に海浜病院が建てられ、海水浴を
初めて医療として日本に紹介したのが、ここ沙美海岸
だそうです。
鞆の浦から渡し舟で対岸に浮かぶ仙酔島。島の西の砂浜から
見た皇后島です。なんだか落ち着く光景です。
鞆の浦の西、沼隈町の沖に浮かぶ田島。ここは内海大橋で
結ばれています。更に隣接する横島にも睦橋でそのまま
渡ることができます。島の外周を巡る道を進んでいくと、
車がすれ違うことが出来ない程、道幅が狭くなっていました。
「離合困難」という標識がありました。海岸沿いの道路には
ガードレールもなく・・・。
安芸津の西に浮かぶ大芝島です。ここも大芝橋で結ばれて
いますが、離合困難な道幅の橋で、途中にスレ違うスペースが
ありました。ここミカン畑、ビワ畑の島で、ここの丘の上
からの眺めは・・・ほんとうに綺麗でした。
帰路、笠岡の神島から南東方向に広がる水島灘の光景も
ほんとうに綺麗だなあ〜と見惚れてしまいました。
穏やかな海、陽光で煌く海面、眼前に浮かぶ小島、
潮風、そしてゆったりと過ぎる時間・・・
観光地を巡る旅ではなくて、こんな旅も良いなあ〜と
感じた3日間でした。
広島市までの瀬戸内海の海岸沿いを写真を撮りながら
ドライブしたことがありました。
その時は、途中から広島の街まで明るいうちに辿り着く
ことが目的のようになってしまって、後半は、ゆったりと
瀬戸の景色を愉しむことができずに・・・。広島の市街に
入ったのが午後5時頃で、広島観光もせずに、夕闇迫る中を
原爆ドームの横を通って、山陽道の広島ICに向った記憶が
あります。
広島ICの手前で、ちょうど午後6時、NHKのニュースを
聞こうとラジオをつけると・・・、ラジオから聴こえてくるのは、
ニュースではなくて、以前数年間住んでいた新潟の地名を
アナウンサーが延々と読み上げる声でした。
その日の17時56分に発生した新潟県中越地震の第一報
だったようです。神戸までの約5時間の帰路は、刻々と
伝わる震災の状況を聞きながら運転でした。
*
今回の“広島行き”は、瀬戸内海の風景を、今度こそ
ゆっくりと眺めようと2泊しての旅です。観光地は
鞆の浦と尾道ぐらいで、それも5年前に後ろ髪を引かれる
思いで素通りしてしまったことが頭に残っていたので・・・。
追憶・・・、今回の“広島行き”の旅を一言で言えば、5年前に
急ぎ足で走った海岸線沿いのルートをなぞる“追憶の旅”
でした。
急遽立ち寄った倉敷の美観地区、朝10時前で観光客も
少なく、ゆっくりと歩き回っただけでしたが、この景色を
眺めていると心鎮まり、ドライブの良い休憩になりました。
鞆の浦の観光区域から離れた海沿いの小さな店です。
最近はスーパーやコンビニでの買い物が多くて、このような
店で買い物をしたのは何年前かなあ〜と
尾道の風景、坂の向こうに海があり、その向こうに島影が
見えるのは・・・、我が家も明石海峡を望む丘の上にあり、
坂の向こうに明石海峡があり、その向こうに淡路。見慣れた
光景と同じようで、なぜか懐かしさを感じました。
瀬戸内海の海沿いを走っていると、造船所やドック、
大きなクレーンに出逢います。神戸は港町と言われて
いますが、ドックやクレーンは神戸港の港湾施設近辺
だけです。瀬戸内海では船が身近な乗り物なんだろうなあ〜
と改めて実感しました。
古い家屋で時々見掛けたのが、外壁に塗り込まれた
平らな瓦です。今まで見掛けたことがありません。
風習、習慣の違いか、或いは何らかの意味があるのか、
ちょっと気になってしまいました。
神戸では理髪店、理容室と言いますが、広島では
入り口に理容院と書かれている店が多かったです。
これは帰路、赤穂線の備前福河駅です。改札には
切符入れだけがあります。
ほんとうは何日も掛けて列車の旅をしたいのですが・・・
車でローカル線の駅を見つけると立ち寄ってしまいます。
呉線の忠海駅の東、河口近くの鉄橋です。お昼前の
ちょうど満潮時だったようですが、鉄橋が海面(川面)
ギリギリです。この鉄橋の川上には小舟が停留されて
いましたが、干潮のタイミングで海に出るのかなあ〜と。
(帰路、気になって見ると、水位が下がっていて、
小舟は、余裕でこの鉄橋の下を通れるようでした。)
海沿いの道を走っていると、しばしば小さな港に
出逢いました。さりげない瀬戸内海の海沿いの光景・・・
*
以下は、海沿いの写真ばかりです。
今は倉敷市になっているようですが、沙美海岸、
5年前に訪れて、この海岸からの風景が忘れられなかった
のですが、やっぱり美しい景色が広がっていました。
先程ネットで検索して知ったのですが、日本の渚百選に
選ばれており、日本で最初の海水浴場を備えた海浜公園
だそうで、明治13年に海浜病院が建てられ、海水浴を
初めて医療として日本に紹介したのが、ここ沙美海岸
だそうです。
鞆の浦から渡し舟で対岸に浮かぶ仙酔島。島の西の砂浜から
見た皇后島です。なんだか落ち着く光景です。
鞆の浦の西、沼隈町の沖に浮かぶ田島。ここは内海大橋で
結ばれています。更に隣接する横島にも睦橋でそのまま
渡ることができます。島の外周を巡る道を進んでいくと、
車がすれ違うことが出来ない程、道幅が狭くなっていました。
「離合困難」という標識がありました。海岸沿いの道路には
ガードレールもなく・・・。
安芸津の西に浮かぶ大芝島です。ここも大芝橋で結ばれて
いますが、離合困難な道幅の橋で、途中にスレ違うスペースが
ありました。ここミカン畑、ビワ畑の島で、ここの丘の上
からの眺めは・・・ほんとうに綺麗でした。
帰路、笠岡の神島から南東方向に広がる水島灘の光景も
ほんとうに綺麗だなあ〜と見惚れてしまいました。
穏やかな海、陽光で煌く海面、眼前に浮かぶ小島、
潮風、そしてゆったりと過ぎる時間・・・
観光地を巡る旅ではなくて、こんな旅も良いなあ〜と
感じた3日間でした。
posted by student at 19:29| 日記
2009年09月21日
晴れの国
2泊3日の広島行きも最終日、本来の予定は、2泊した
福山の市内観光と、帰路の岡山市の観光だったのですが・・・
ニュースでは道路の渋滞を大々的に取り上げており、心配に
なって福山&岡山観光は取りやめて、まっすぐ神戸に戻る
ことにしました。
福山が広島県の東の端なので、帰路は晴れの国・備前と備後の
岡山の海辺の景色を愉しみました。
かつての笠岡湾は、今は干拓されて、今は国道2号線の笠岡
バイパスが走っています。そして瀬戸内海の島だった神島
(こうのしま)は、干拓地の最南端になってしまいました。
神島神社にあった神輿、もうすぐ秋祭りでしょうか?
神島の南には、すぐ笠岡諸島が迫っています。砂浜で
遊んでいる少年を入れて写真をとりました。
神島の南東は水島灘が広がり、朝8時過ぎには、ちょうど
陽光が水島灘の海面を輝かせていました。
神島の東はカブトガニの生息地で、干潟がそのまま
残っています。
海岸線沿いの県道47号線を寄島、沙美、を経て
水島ブリッジラインの玉島大橋に入ったのですが、
もう有料ではなくなっていました。
玉島を経て、水島大橋を渡って水島へ。渋滞しそうな
2号線や岡山市を避けて、県道62号線、21号線、74号線を
経て国道30号線から国道2号線岡山バイパスへ。渋滞
しているかなあ〜と思ったのですが、お昼前の東方向は
スムーズに車が流れて、そのまま岡山ブルーラインに入り
ました。下の写真は瀬戸内市の牛窓の西辺りです。
岡山ブルーラインの一本松展望台から見た日本最大の塩田
だった錦海の塩田跡地です。
以前、塩田跡とは知らず、ここを車で走り回って、家に
帰ってから塩田跡と知って、あわてて車の下を水洗いした
ことがあります。
国道250号線に入って日生へ。日生の漁港の五味の市です。
数年ぶりで訪れたのですが、場所が変わっていました。
以前は大きな倉庫のような場所だったのですが、天井の
高い会場になって、賑わっていました。
250号線を赤穂から相生を経て国道2号線へ。渋滞して
いるかなあ〜との心配とは無縁で車が流れていました。
道路情報では、バイパスも渋滞がないようなので、そのまま
龍野バイパス、姫路バイパス、加古川バイパス・・・、でも
第2神明道路が数キロの渋滞とのことで、料金所の手前で
明姫幹線(国道250号線)へ。混雑する2号線との合流点
である西明石周辺を避けて、浜国道(県道718号)で明石
市内に入って、国道28号線で大蔵海岸まで。
(結局、帰路はまったく有料道路を通りませんでした。)
ここまで海辺の風景を眺めたり写真を撮ったり、休憩を
したりして7時間、渋滞とは無縁でしたが、国道2号線に
入った途端、車が動かなくなってしまいました。大蔵海岸から
舞子までの2キロは海岸沿いで迂回路もなく、堪りかねた
車が何台もUターンしていました。最後の最後で渋滞に
巻き込まれてしまいました。結局2キロの距離を20分
ぐらい・・・。車が止まったままで暇なので、山田川の西で、
並行するJRをデジカメを取り出して撮ったり・・・。
自宅の近くにある、大型アウトレット施設、マリンピア神戸
の駐車場が満車で、車が道に溢れていたようです。
鞆の浦と尾道以外は、観光地というよりも、瀬戸内海の
風景や島からの眺めを愉しんだ旅でした。
福山の市内観光と、帰路の岡山市の観光だったのですが・・・
ニュースでは道路の渋滞を大々的に取り上げており、心配に
なって福山&岡山観光は取りやめて、まっすぐ神戸に戻る
ことにしました。
福山が広島県の東の端なので、帰路は晴れの国・備前と備後の
岡山の海辺の景色を愉しみました。
かつての笠岡湾は、今は干拓されて、今は国道2号線の笠岡
バイパスが走っています。そして瀬戸内海の島だった神島
(こうのしま)は、干拓地の最南端になってしまいました。
神島神社にあった神輿、もうすぐ秋祭りでしょうか?
神島の南には、すぐ笠岡諸島が迫っています。砂浜で
遊んでいる少年を入れて写真をとりました。
神島の南東は水島灘が広がり、朝8時過ぎには、ちょうど
陽光が水島灘の海面を輝かせていました。
神島の東はカブトガニの生息地で、干潟がそのまま
残っています。
海岸線沿いの県道47号線を寄島、沙美、を経て
水島ブリッジラインの玉島大橋に入ったのですが、
もう有料ではなくなっていました。
玉島を経て、水島大橋を渡って水島へ。渋滞しそうな
2号線や岡山市を避けて、県道62号線、21号線、74号線を
経て国道30号線から国道2号線岡山バイパスへ。渋滞
しているかなあ〜と思ったのですが、お昼前の東方向は
スムーズに車が流れて、そのまま岡山ブルーラインに入り
ました。下の写真は瀬戸内市の牛窓の西辺りです。
岡山ブルーラインの一本松展望台から見た日本最大の塩田
だった錦海の塩田跡地です。
以前、塩田跡とは知らず、ここを車で走り回って、家に
帰ってから塩田跡と知って、あわてて車の下を水洗いした
ことがあります。
国道250号線に入って日生へ。日生の漁港の五味の市です。
数年ぶりで訪れたのですが、場所が変わっていました。
以前は大きな倉庫のような場所だったのですが、天井の
高い会場になって、賑わっていました。
250号線を赤穂から相生を経て国道2号線へ。渋滞して
いるかなあ〜との心配とは無縁で車が流れていました。
道路情報では、バイパスも渋滞がないようなので、そのまま
龍野バイパス、姫路バイパス、加古川バイパス・・・、でも
第2神明道路が数キロの渋滞とのことで、料金所の手前で
明姫幹線(国道250号線)へ。混雑する2号線との合流点
である西明石周辺を避けて、浜国道(県道718号)で明石
市内に入って、国道28号線で大蔵海岸まで。
(結局、帰路はまったく有料道路を通りませんでした。)
ここまで海辺の風景を眺めたり写真を撮ったり、休憩を
したりして7時間、渋滞とは無縁でしたが、国道2号線に
入った途端、車が動かなくなってしまいました。大蔵海岸から
舞子までの2キロは海岸沿いで迂回路もなく、堪りかねた
車が何台もUターンしていました。最後の最後で渋滞に
巻き込まれてしまいました。結局2キロの距離を20分
ぐらい・・・。車が止まったままで暇なので、山田川の西で、
並行するJRをデジカメを取り出して撮ったり・・・。
自宅の近くにある、大型アウトレット施設、マリンピア神戸
の駐車場が満車で、車が道に溢れていたようです。
鞆の浦と尾道以外は、観光地というよりも、瀬戸内海の
風景や島からの眺めを愉しんだ旅でした。
posted by student at 18:05| 日記
2009年09月20日
尾道、渡し舟、島、海
瀬戸内海を巡る旅の2日目…
福山のホテルを朝早く出て尾道へ…
尾道は初めてです。3時間足らず、彼方此方歩き回りました。
私の大好きな志賀直哉旧居です。高台の上で、眺めが良い
ロケーションにあります。
尾道の対岸、向島に渡し舟で渡りました。行きは、自転車と
歩行者のみの渡し舟100円でした。
帰りはカーフェリー、車の乗り降りで時間が掛かりましたが
こちらは60円でした。
尾道から国道2号線で三原まで行って、そこからJR呉線と
並行している国道185号線で須波港を経て忠海。JR忠海駅
です。広行きの呉線の列車がちょうど到着しました。
JR忠海駅から徒歩5分ぐらいで連絡線の乗り場があります。
目の前の島、大久野島行きです。瀬戸内海では、渡し舟や
連絡船、フェリーが、バスや電車のような身近な乗り物の
ようです。
忠海の近くにあった背の高い鉄塔、大久野島への送電用の
ようです。高さが100メートルぐらいありそうで、神戸の
ポートタワーより高いかもしれません。
更に国道185号線を西へ進んで竹原市。ここには
古い街並みが残っています。
ちょうどお祭りに出遭いました。
安芸津を経て大芝島に行きました。この島は船ではなくて
大芝大橋で結ばれています。
島にはミカン畑やビワ畑の中を農道が整備されていました。
眺めもよく、隣の小芝島と、その向こうに馬島、小熊島、柏島
が見えて、なかなかの絶景でした。
農道には、ミカン畑と階段でつながっています。階段の横の
鉄製のレールは、収穫したミカンの運送用のようです。
瀬戸内海に浮かぶ小舟…、海面の陽光のキラキラする反射光の
中に浮かんで・・・なんだかずっと見惚れてしまいました。
福山のホテルに戻ったのが5時過ぎ、今日は尾道、三原、
竹原、大芝島の辺りを瀬戸の海と、海沿いの古い街並みを
中心に10時間ぐらい堪能しました。
福山のホテルを朝早く出て尾道へ…
尾道は初めてです。3時間足らず、彼方此方歩き回りました。
私の大好きな志賀直哉旧居です。高台の上で、眺めが良い
ロケーションにあります。
尾道の対岸、向島に渡し舟で渡りました。行きは、自転車と
歩行者のみの渡し舟100円でした。
帰りはカーフェリー、車の乗り降りで時間が掛かりましたが
こちらは60円でした。
尾道から国道2号線で三原まで行って、そこからJR呉線と
並行している国道185号線で須波港を経て忠海。JR忠海駅
です。広行きの呉線の列車がちょうど到着しました。
JR忠海駅から徒歩5分ぐらいで連絡線の乗り場があります。
目の前の島、大久野島行きです。瀬戸内海では、渡し舟や
連絡船、フェリーが、バスや電車のような身近な乗り物の
ようです。
忠海の近くにあった背の高い鉄塔、大久野島への送電用の
ようです。高さが100メートルぐらいありそうで、神戸の
ポートタワーより高いかもしれません。
更に国道185号線を西へ進んで竹原市。ここには
古い街並みが残っています。
ちょうどお祭りに出遭いました。
安芸津を経て大芝島に行きました。この島は船ではなくて
大芝大橋で結ばれています。
島にはミカン畑やビワ畑の中を農道が整備されていました。
眺めもよく、隣の小芝島と、その向こうに馬島、小熊島、柏島
が見えて、なかなかの絶景でした。
農道には、ミカン畑と階段でつながっています。階段の横の
鉄製のレールは、収穫したミカンの運送用のようです。
瀬戸内海に浮かぶ小舟…、海面の陽光のキラキラする反射光の
中に浮かんで・・・なんだかずっと見惚れてしまいました。
福山のホテルに戻ったのが5時過ぎ、今日は尾道、三原、
竹原、大芝島の辺りを瀬戸の海と、海沿いの古い街並みを
中心に10時間ぐらい堪能しました。
posted by student at 17:59| 日記
2009年09月19日
瀬戸の海を眺めながら・・
秋の大型連休…、今、広島県の福山市に来ています。
高速道路が混雑するようですし、マイカーはETCを搭載して
いませんので、瀬戸内海の海岸沿いの道をゆったりと1日
かけて福山までの計画。
早朝のニュースでは、未明から高速道路では10キロ以上の
渋滞が何箇所かあるとのこと。ちょっと気になって、予定より
早く6時半前に自宅を出ました。
自宅近くの第二神明道路の高丸ICから加古川、姫路、龍野
バイパスを経て龍野から相生までは国道2号線。加古川と姫路
辺りでは早朝にも関わらず混雑気味でしたが渋滞のノロノロ
運転にはなりませんでした。
相生から国道250号線経由で赤穂を経て日生の海岸線沿いで
瀬戸内海の潮風を浴びながらのドライブ。岡山ブルーラインに
入って・・・私の大好きなスポットである片上橋からの眺めです。
牛窓にも立ち寄りたかったのですが、岡山ブルーラインを
そのまま真っ直ぐ西大寺を経て、岡山バイパスへ。岡山市街
近くでは渋滞気味になってしまいましたが、10時前に倉敷に
着きました。
久し振りの倉敷川沿いの美観地区です。
これから結婚式のようで、中橋で記念写真を撮っていました。
混雑する岡山バイパスを避けて、県道を通って高梁川を
渡って児玉の沙美海岸へ。水島灘に面した人工砂浜です。
瀬戸大橋の西に点在する本島、広島、手島、小手島 等が
目の前に…。明石海峡からの眺めとは大きく異なり、島々が
眼前に広がる風景は、「瀬戸内海に来たなあ〜」と実感
しました。
*
海岸沿いの県道47号線を西に帆崎、寄島を経て笠岡に。
ここから笠岡バイパスが出来ていました。私のカーナビの
地図にはない道路です。JFEスチールの大きな製鉄所の横を
通って、これも私のカーナビにはない芦田川大橋を渡って
鞆の浦へ。何年か前に車で通過しだだけで、一度ゆっくりと
鞆の浦の古い街並みを散策したいと思っていたので、今回の
主目的の一つです。
渡し舟で、目の前の仙酔島にも渡りました。
2時間ほど鞍の浦を散策した後、更に海岸沿いを西に
沼隈を経て内海大橋を渡って田島、そして新陸橋を渡って
横島へ。
この辺りは、瀬戸内海の中央で、満潮時には豊後水道や
紀伊水道から流れ込んだ海流がぶつかり、干潮時には東西に
分かれて流れ出してゆくのですが、その影響か、砂浜に
打ち寄せる波が、ひじょうに小刻みでした。
彼方に しまなみ街道の橋が見えます。
海岸沿いの道は、高速道路とは違って、渋滞とは無縁
でした。ゆったりと瀬戸の風景と、潮風と、照り輝く海面を
愉しみました。
高速道路が混雑するようですし、マイカーはETCを搭載して
いませんので、瀬戸内海の海岸沿いの道をゆったりと1日
かけて福山までの計画。
早朝のニュースでは、未明から高速道路では10キロ以上の
渋滞が何箇所かあるとのこと。ちょっと気になって、予定より
早く6時半前に自宅を出ました。
自宅近くの第二神明道路の高丸ICから加古川、姫路、龍野
バイパスを経て龍野から相生までは国道2号線。加古川と姫路
辺りでは早朝にも関わらず混雑気味でしたが渋滞のノロノロ
運転にはなりませんでした。
相生から国道250号線経由で赤穂を経て日生の海岸線沿いで
瀬戸内海の潮風を浴びながらのドライブ。岡山ブルーラインに
入って・・・私の大好きなスポットである片上橋からの眺めです。
牛窓にも立ち寄りたかったのですが、岡山ブルーラインを
そのまま真っ直ぐ西大寺を経て、岡山バイパスへ。岡山市街
近くでは渋滞気味になってしまいましたが、10時前に倉敷に
着きました。
久し振りの倉敷川沿いの美観地区です。
これから結婚式のようで、中橋で記念写真を撮っていました。
混雑する岡山バイパスを避けて、県道を通って高梁川を
渡って児玉の沙美海岸へ。水島灘に面した人工砂浜です。
瀬戸大橋の西に点在する本島、広島、手島、小手島 等が
目の前に…。明石海峡からの眺めとは大きく異なり、島々が
眼前に広がる風景は、「瀬戸内海に来たなあ〜」と実感
しました。
*
海岸沿いの県道47号線を西に帆崎、寄島を経て笠岡に。
ここから笠岡バイパスが出来ていました。私のカーナビの
地図にはない道路です。JFEスチールの大きな製鉄所の横を
通って、これも私のカーナビにはない芦田川大橋を渡って
鞆の浦へ。何年か前に車で通過しだだけで、一度ゆっくりと
鞆の浦の古い街並みを散策したいと思っていたので、今回の
主目的の一つです。
渡し舟で、目の前の仙酔島にも渡りました。
2時間ほど鞍の浦を散策した後、更に海岸沿いを西に
沼隈を経て内海大橋を渡って田島、そして新陸橋を渡って
横島へ。
この辺りは、瀬戸内海の中央で、満潮時には豊後水道や
紀伊水道から流れ込んだ海流がぶつかり、干潮時には東西に
分かれて流れ出してゆくのですが、その影響か、砂浜に
打ち寄せる波が、ひじょうに小刻みでした。
彼方に しまなみ街道の橋が見えます。
海岸沿いの道は、高速道路とは違って、渋滞とは無縁
でした。ゆったりと瀬戸の風景と、潮風と、照り輝く海面を
愉しみました。
posted by student at 17:50| 日記
2009年09月17日
和田岬駅
神戸市内のJR線は、まず東海道本線と山陽本線、併せて
JR神戸線と呼ばれています。そして山陽新幹線、北区の道場
辺りに福知山線・JR宝塚線も・・・。そして和田岬線があります。
兵庫駅と和田岬駅を結ぶ山陽本線の支線です。
朝夕の通勤のためのダイヤしかなく、私はまだ利用した
ことがありません。兵庫駅の和田岬線ホームに中間改札が
あって、和田岬駅には改札がない無人駅です。
和田岬駅の駅舎は・・・
改札跡が残っていますが、ホームまでは、そのまま
行けます。
2,3日前に前を通った時に、ふと見ると和田岬駅が
見当たりませんでした。そして今朝、高松線を通って
いた時に思い出して和田岬駅近くに車を停めて見に行くと・・・
駅舎がなくなっていました。高松線という広い道路から、
そのまま和田岬駅のホームに至るようになっていました。
そして途中の金網に、駅舎に掲げられていた駅名のプレートと
時刻表がくくりつけられていました。
*
ホームから南・高松線方向を見た構図、左が和田岬線の
終結で、右が駅舎跡です。
ネットで調べると8月に撤去工事をしていたようです。
その間、高松線を何度か通っていたはずですが、気づき
ませんでした。
来週、灘駅が古い駅舎から新しい駅舎に大々的にバトン
タッチするのに比べて、和田岬駅は、ひっそりと古い駅舎が
撤去されてしまって、改札もないホームだけの駅になって
しまいました。
終着駅という感じがするこの駅の雰囲気が好きです。
JR神戸線と呼ばれています。そして山陽新幹線、北区の道場
辺りに福知山線・JR宝塚線も・・・。そして和田岬線があります。
兵庫駅と和田岬駅を結ぶ山陽本線の支線です。
朝夕の通勤のためのダイヤしかなく、私はまだ利用した
ことがありません。兵庫駅の和田岬線ホームに中間改札が
あって、和田岬駅には改札がない無人駅です。
和田岬駅の駅舎は・・・
改札跡が残っていますが、ホームまでは、そのまま
行けます。
2,3日前に前を通った時に、ふと見ると和田岬駅が
見当たりませんでした。そして今朝、高松線を通って
いた時に思い出して和田岬駅近くに車を停めて見に行くと・・・
駅舎がなくなっていました。高松線という広い道路から、
そのまま和田岬駅のホームに至るようになっていました。
そして途中の金網に、駅舎に掲げられていた駅名のプレートと
時刻表がくくりつけられていました。
*
ホームから南・高松線方向を見た構図、左が和田岬線の
終結で、右が駅舎跡です。
ネットで調べると8月に撤去工事をしていたようです。
その間、高松線を何度か通っていたはずですが、気づき
ませんでした。
来週、灘駅が古い駅舎から新しい駅舎に大々的にバトン
タッチするのに比べて、和田岬駅は、ひっそりと古い駅舎が
撤去されてしまって、改札もないホームだけの駅になって
しまいました。
終着駅という感じがするこの駅の雰囲気が好きです。
posted by student at 17:44| 日記
2009年09月16日
タブロイド紙と駅
今朝の通勤電車の中、吊り輪を持ってロングシートの前で
立っていたのですが、ふと前の人が読んでいる新聞が、
なんだか見慣れないタブロイド紙です。よく見ると産経
エクスプレスと書いています。
タブロイド紙というと・・・、日刊ゲンダイと夕刊フジの
夕刊紙や、一部の業界紙ぐらいだと思っていたのですが・・・。
気になって、灘駅でキオスクに立ち寄ると産経エクスプレスが
他の朝刊に混じって売っていました。・・・買ってしまいました。
100円でした。
ネットで調べると2006年11月に創刊とのこと、もう3年に
なるのに気づきませんでした。
*
・・・灘駅、阪神間でJR最古の駅舎と言われる木造の跨線橋が
あるのですが、あと1週間で新しい橋上駅舎にバトンタッチ
されます。長い間、工事用のベールで囲まれていた新駅舎が、
今日ベールが取られて、その全貌が明るみになりました。
いつも利用している北口です。右側が新しい駅舎で、左側が
2年前からの仮設のプレハブ駅舎です。
連休中に駅舎のバトンタッチが行われるので、明日と明後日の
2日で、このプレハブの駅舎と木造の跨線橋の利用もピリオドに
なります。今の木造の跨線橋は狭くて、歩くと軋む音がします。
階段が狭いので混雑時は、ホームや跨線橋で人の流れが一段落
するまで待つことも少なくなかったです。
車椅子の利用者には、専用のキャリヤを駅員が2人掛かりで
対応していましたが、近隣の神鋼病院の利用者等、足が悪い方
にはエレベータもエスカレータもなかったので、手すりを使って
階段の上り下りに苦労される姿を時々目にしました。
*
新しい駅舎が西側に移動することに先立って、月曜日から
電車の停止位置が三ノ宮寄りに1両分移動されました。
ホームの西半分ぐらいのホームは、このように狭く、朝夕は、
点字ブロックの後ろに、横にずらっと電車を待つ人が並びます。
その前を、点字ブロックより線路側を歩く人がいるのですが、
快速電車の通過時には、「危ない!」と感じたことが少なく
なかったです。
自分が利用している駅が、この2年間、工事が続いて、
不便や危険と背中合わせでしたが、ようやくピリオドです。
立っていたのですが、ふと前の人が読んでいる新聞が、
なんだか見慣れないタブロイド紙です。よく見ると産経
エクスプレスと書いています。
タブロイド紙というと・・・、日刊ゲンダイと夕刊フジの
夕刊紙や、一部の業界紙ぐらいだと思っていたのですが・・・。
気になって、灘駅でキオスクに立ち寄ると産経エクスプレスが
他の朝刊に混じって売っていました。・・・買ってしまいました。
100円でした。
ネットで調べると2006年11月に創刊とのこと、もう3年に
なるのに気づきませんでした。
*
・・・灘駅、阪神間でJR最古の駅舎と言われる木造の跨線橋が
あるのですが、あと1週間で新しい橋上駅舎にバトンタッチ
されます。長い間、工事用のベールで囲まれていた新駅舎が、
今日ベールが取られて、その全貌が明るみになりました。
いつも利用している北口です。右側が新しい駅舎で、左側が
2年前からの仮設のプレハブ駅舎です。
連休中に駅舎のバトンタッチが行われるので、明日と明後日の
2日で、このプレハブの駅舎と木造の跨線橋の利用もピリオドに
なります。今の木造の跨線橋は狭くて、歩くと軋む音がします。
階段が狭いので混雑時は、ホームや跨線橋で人の流れが一段落
するまで待つことも少なくなかったです。
車椅子の利用者には、専用のキャリヤを駅員が2人掛かりで
対応していましたが、近隣の神鋼病院の利用者等、足が悪い方
にはエレベータもエスカレータもなかったので、手すりを使って
階段の上り下りに苦労される姿を時々目にしました。
*
新しい駅舎が西側に移動することに先立って、月曜日から
電車の停止位置が三ノ宮寄りに1両分移動されました。
ホームの西半分ぐらいのホームは、このように狭く、朝夕は、
点字ブロックの後ろに、横にずらっと電車を待つ人が並びます。
その前を、点字ブロックより線路側を歩く人がいるのですが、
快速電車の通過時には、「危ない!」と感じたことが少なく
なかったです。
自分が利用している駅が、この2年間、工事が続いて、
不便や危険と背中合わせでしたが、ようやくピリオドです。
posted by student at 17:37| 日記
2009年09月15日
秋の夕
昨日の夕方、垂水区の転法輪寺や名谷小学校近くの
旧・中山村辺りから、高塚山越の西の空を見上げたら、
うろこ雲が沈みゆく夕日に照らされて・・・綺麗でした。
この辺りは、江戸期までは明石郡垂水郷の中山村
でしたが、明治に入ってすぐに近隣の5ヶ村が合併
して名谷村となって、その後垂水村となり、垂水町
となった後に、明石郡を離れて神戸市に編入されて
須磨区になった後、今は垂水区。
更に遡って古代から中世には、畿内と西国諸国を
行き交う旅人が、この辺りを通っていたかもしれません。
須磨ー塩屋間の海沿いの道が、当時は鉢伏山が海まで
迫った隘路で、通行が困難だったようで、鉢伏山の
北を迂回していたようです。
転法輪寺は、古代には塩屋の東、今の滝の茶屋辺りに
あったのが、この地に移転、古くからのお寺で、摂津
の国や、近くの垂水郷からの参詣も多かったのかかも
しれません。
明治に入ってこの辺りの福田川の川床に湧いた
低温の温泉を元にした名谷玉子温泉で賑わったそう
ですが、今は、何処になるのかもわかりません。
今は、中山の更に上流に「柚耶の里」という鉱泉が
あります。
地下鉄が開通するまでは福田川沿いに田畑が広がって
いたのですが、須磨区の名谷にニュータウンが出来る
頃には福田川沿いの道路が整備されて、この辺りも
宅地化されて道路沿いには飲食店や郊外型の店舗が
並んで、今は垂水インターチェンジが出来て、淡路と
本州を結ぶ交通の要点です。
今朝は雨模様で、気温はそれほどではなかった
のですが蒸し暑いような一日でした。夕方には
晴れて、涼しい秋風、鳥の鳴き声・・・
中山辺りの夕景を見ながら、秋を実感しました。
旧・中山村辺りから、高塚山越の西の空を見上げたら、
うろこ雲が沈みゆく夕日に照らされて・・・綺麗でした。
この辺りは、江戸期までは明石郡垂水郷の中山村
でしたが、明治に入ってすぐに近隣の5ヶ村が合併
して名谷村となって、その後垂水村となり、垂水町
となった後に、明石郡を離れて神戸市に編入されて
須磨区になった後、今は垂水区。
更に遡って古代から中世には、畿内と西国諸国を
行き交う旅人が、この辺りを通っていたかもしれません。
須磨ー塩屋間の海沿いの道が、当時は鉢伏山が海まで
迫った隘路で、通行が困難だったようで、鉢伏山の
北を迂回していたようです。
転法輪寺は、古代には塩屋の東、今の滝の茶屋辺りに
あったのが、この地に移転、古くからのお寺で、摂津
の国や、近くの垂水郷からの参詣も多かったのかかも
しれません。
明治に入ってこの辺りの福田川の川床に湧いた
低温の温泉を元にした名谷玉子温泉で賑わったそう
ですが、今は、何処になるのかもわかりません。
今は、中山の更に上流に「柚耶の里」という鉱泉が
あります。
地下鉄が開通するまでは福田川沿いに田畑が広がって
いたのですが、須磨区の名谷にニュータウンが出来る
頃には福田川沿いの道路が整備されて、この辺りも
宅地化されて道路沿いには飲食店や郊外型の店舗が
並んで、今は垂水インターチェンジが出来て、淡路と
本州を結ぶ交通の要点です。
今朝は雨模様で、気温はそれほどではなかった
のですが蒸し暑いような一日でした。夕方には
晴れて、涼しい秋風、鳥の鳴き声・・・
中山辺りの夕景を見ながら、秋を実感しました。
posted by student at 17:32| 日記
2009年09月13日
好意と殉死
今朝、職場に向う電車の中の出来事です。
JR三宮駅で降車する人が多くて、混んでいた車内も
比較的空いて、ロングシートの所々に空席が・・・。
高齢のご夫婦らしい2人連れの奥様らしき方が、空いた
席に座って、ご主人がその前に立ちました。ちょっと
離れた席に座っていたのでやりとりは聞こえません
でしたが、奥様が「あちらに席が空いているから
座ったら・・・」というようなことを言ったようで、
ご主人が振り向きましたが、結局、そのまま奥様の前に
立っておられました。
その奥様の隣に座っていた方が、おもむろに立ち上
がって、その空いた席に座りました。そのお二人は、
ちょっと驚いた様子でしたが、席を移動した方の暗黙の
好意に気づいて、その方にお礼の会釈をしたそうに
していましたが、その方は、新聞に目を落としたままで・・・
ご主人は、その方の方向に軽く会釈をして座りました。
その方は、不器用なりに好意を示されたのかなあ〜と
思うと、ちょっと私の顔に笑みがこぼれました。
* * *
今日、9月13日は、明治天皇の大葬があった日です。
(大正元年1912年)そして、その日は、乃木大将が、
妻・静子と共に殉死した日でもあります。
漱石は、小説「こころ」を通して、乃木大将の死を
語っています。大葬の夜の自刃を知らせる号外を目に
したは、翌日・9月14日ではないかと思います。
*
「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。
平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、
腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて
始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が
殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと
答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったの
ですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい
意義を盛り得たような心持がしたのです。
それから約一カ月ほど経ちました。御大葬の夜
私はいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞き
ました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく
聞こえました。後で考えると、それが乃木大将の永久に
去った報知にもなっていたのです。私は号外を手に
して、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。
私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行った
ものを読みました。西南戦争の時敵に旗をられて以来、
申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで
生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を
折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえ
て来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年
ですから、明治四十五年までには三十五年の距離が
あります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと
思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私は
そういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、
また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが
苦しいだろうと考えました。
それから二、三日して、私はとうとう自殺する
決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由が
よく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が
明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだと
すると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから
仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた
性格の相違といった方が確かかも知れません。私は
私のできる限りこの不可思議な私というものを、
あなたに解らせるように、今までの叙述で己れを
尽したつもりです。
私は妻を残して行きます。私がいなくなっても
妻に衣食住の心配がないのは仕合せです。私は妻に
残酷な驚怖を与える事を好みません。私は妻に
血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の知らない
間に、こっそりこの世からいなくなるようにします。
私は死んだ後で、妻から頓死したと思われたいの
です。気が狂ったと思われても満足なのです。
「こころ」夏目漱石 青空文庫より
http://www.aozora.gr.jp/
JR三宮駅で降車する人が多くて、混んでいた車内も
比較的空いて、ロングシートの所々に空席が・・・。
高齢のご夫婦らしい2人連れの奥様らしき方が、空いた
席に座って、ご主人がその前に立ちました。ちょっと
離れた席に座っていたのでやりとりは聞こえません
でしたが、奥様が「あちらに席が空いているから
座ったら・・・」というようなことを言ったようで、
ご主人が振り向きましたが、結局、そのまま奥様の前に
立っておられました。
その奥様の隣に座っていた方が、おもむろに立ち上
がって、その空いた席に座りました。そのお二人は、
ちょっと驚いた様子でしたが、席を移動した方の暗黙の
好意に気づいて、その方にお礼の会釈をしたそうに
していましたが、その方は、新聞に目を落としたままで・・・
ご主人は、その方の方向に軽く会釈をして座りました。
その方は、不器用なりに好意を示されたのかなあ〜と
思うと、ちょっと私の顔に笑みがこぼれました。
* * *
今日、9月13日は、明治天皇の大葬があった日です。
(大正元年1912年)そして、その日は、乃木大将が、
妻・静子と共に殉死した日でもあります。
漱石は、小説「こころ」を通して、乃木大将の死を
語っています。大葬の夜の自刃を知らせる号外を目に
したは、翌日・9月14日ではないかと思います。
*
「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。
平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、
腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて
始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が
殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと
答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったの
ですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい
意義を盛り得たような心持がしたのです。
それから約一カ月ほど経ちました。御大葬の夜
私はいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞き
ました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく
聞こえました。後で考えると、それが乃木大将の永久に
去った報知にもなっていたのです。私は号外を手に
して、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。
私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行った
ものを読みました。西南戦争の時敵に旗をられて以来、
申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで
生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を
折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえ
て来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年
ですから、明治四十五年までには三十五年の距離が
あります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと
思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私は
そういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、
また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが
苦しいだろうと考えました。
それから二、三日して、私はとうとう自殺する
決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由が
よく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が
明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだと
すると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから
仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた
性格の相違といった方が確かかも知れません。私は
私のできる限りこの不可思議な私というものを、
あなたに解らせるように、今までの叙述で己れを
尽したつもりです。
私は妻を残して行きます。私がいなくなっても
妻に衣食住の心配がないのは仕合せです。私は妻に
残酷な驚怖を与える事を好みません。私は妻に
血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の知らない
間に、こっそりこの世からいなくなるようにします。
私は死んだ後で、妻から頓死したと思われたいの
です。気が狂ったと思われても満足なのです。
「こころ」夏目漱石 青空文庫より
http://www.aozora.gr.jp/
posted by student at 17:24| 日記
2009年09月12日
垂水
山陽電車垂水駅の北にある横断歩道。ここから明石海峡大橋
の本州側の主塔を見ることができますが、晴れた朝には主塔が
日の光に照らされて輝きます。
この横断歩道は、山陽電車やJR西口を利用する人の多くが
利用し、垂水の街や西口バスターミナルに向かったり、或いは
垂水近辺の方々が山陽電車やJR高架下ビエント垂水やモルティ
垂水に向って、垂水でもっとも人通りが多い処ではないかと
思います。選挙の時には賑やかでした。
昨日の朝、朝の通勤の時に見上げた東の空
もう秋だなあ〜と実感することが多いです。
この数日、晴れの日が続いていたのですが、今日は朝から
曇り空、そして午後からは激しい雨が・・・、今はもう雨も
あがりました。
の本州側の主塔を見ることができますが、晴れた朝には主塔が
日の光に照らされて輝きます。
この横断歩道は、山陽電車やJR西口を利用する人の多くが
利用し、垂水の街や西口バスターミナルに向かったり、或いは
垂水近辺の方々が山陽電車やJR高架下ビエント垂水やモルティ
垂水に向って、垂水でもっとも人通りが多い処ではないかと
思います。選挙の時には賑やかでした。
昨日の朝、朝の通勤の時に見上げた東の空
もう秋だなあ〜と実感することが多いです。
この数日、晴れの日が続いていたのですが、今日は朝から
曇り空、そして午後からは激しい雨が・・・、今はもう雨も
あがりました。
posted by student at 17:11| 日記
2009年09月05日
猪飼野フィールドワーク
2009年度のサテライトでの「教えと学びの社会学」の授業でご縁があってご一緒させていただいた方々が猪飼野フィールドワークを行うとのこと、私は一昨年に受講したのですが、お声掛けいただいて、世話役の方に参加をお願いすると快諾いただきました。
環状線ホームで集合して鶴橋駅へ。鶴橋駅の高架下に広がる鶴橋商店街が朝10時過ぎなのに、結構賑やかでした。早速、世話役の方からの辻レクチャーがありました。鶴橋や猪飼野にまつわるお話に引き込まれてしまいました。
コリアンタウン・御幸森商店街の入り口にある御幸森天神宮、仁徳天皇、少彦名命、忍坂彦命を祀る、猪飼野村の氏神です。
そして御幸森商店街、テレビ等でよく見掛ける風景ですが、駅から離れているので、これまでは迷ってここまで辿り着けませんでした。この度初めて足を踏み入れました。
詳細はトップページのmenuから「猪飼野フィールドワーク」をクリックしてご覧下さい。
http://sense.citykobe.jp/
環状線ホームで集合して鶴橋駅へ。鶴橋駅の高架下に広がる鶴橋商店街が朝10時過ぎなのに、結構賑やかでした。早速、世話役の方からの辻レクチャーがありました。鶴橋や猪飼野にまつわるお話に引き込まれてしまいました。
コリアンタウン・御幸森商店街の入り口にある御幸森天神宮、仁徳天皇、少彦名命、忍坂彦命を祀る、猪飼野村の氏神です。
そして御幸森商店街、テレビ等でよく見掛ける風景ですが、駅から離れているので、これまでは迷ってここまで辿り着けませんでした。この度初めて足を踏み入れました。
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posted by student at 22:22| 日記
2009年09月01日
始業式
今日は2学期の始業式でした。
でも1学期に新型インフルエンザのために1週間休校に
なった分の時間補充のための補習が8月26日からあって
もう既に学校は始まっていました。そして始業式の今日も、
1時間目に相当する時間帯に始業式をして、その後、短縮
授業で6時間の授業がありました。
職員室のコンピュータシステムの更新作業、まだ、
しばらくは続くのですが、どうにか2学期に間に合って
机の上には新しいノートパソコン、今日から出席は
新しい学事システムで入力。
外付けのディスプレイを付けて、今日の授業の下調べの
ためにノートや電卓や電子辞書、そしてうがい薬etcで机の
上は乱雑のままです。
でも1学期に新型インフルエンザのために1週間休校に
なった分の時間補充のための補習が8月26日からあって
もう既に学校は始まっていました。そして始業式の今日も、
1時間目に相当する時間帯に始業式をして、その後、短縮
授業で6時間の授業がありました。
職員室のコンピュータシステムの更新作業、まだ、
しばらくは続くのですが、どうにか2学期に間に合って
机の上には新しいノートパソコン、今日から出席は
新しい学事システムで入力。
外付けのディスプレイを付けて、今日の授業の下調べの
ためにノートや電卓や電子辞書、そしてうがい薬etcで机の
上は乱雑のままです。
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