2009年01月31日

真冬の嬉野台

 先週に続いて、郵送による質問紙調査の準備の
ために嬉野台キャンパスへ。

 嬉野台キャンパスで学ばれておられるゼミ生の方が、
教具を製作していました。その横でお邪魔して、返信用
封筒の宛名印刷を・・・

090131a.jpg

 封筒の印刷が、なかなかうまくいかず、ずっと
つきっきりでした。それでも数通は紙送りが駄目で
斜めに印刷して没になってしまいました。

 300通印刷の予定が・・・190通印刷が終わった
段階で封筒がなくなってしまいました。あと110通
足りません。使っているソフトの設定の関係で、
返信用封筒の宛名印刷が終わらないと、送付用の
角形2号の封筒に貼るタックシールの印刷が出来ません。

 今日は、「返信用封筒の宛名印刷」と「送付封筒用の
宛名のタックシール印刷」そして角形2号の封筒に
タックシールを貼る作業まで予定していたのですが、
作業がほとんど進みませんでした。2時間足らず
作業をして、それ以上進めませんでした。



 仕方がないので、キャンパス内の散歩を・・・

図書館の東側を増設するのか、工事をしていました。

090131b.jpg

 就職支援室の近くの木立に堅い蕾が・・・

090131c.jpg

 一度も利用したことがない就職支援室です。
今日は閉っていましたが、ドアには、もう再来年に
向けての就職活動に関する掲示と予定が張り出されて
いました。

090131d.jpg

 キャンパスの北東のはずれ、これは木蓮の芽・・・??
花の名前や木の名前に疎くて自信がありません。

090131e.jpg

 古巣の言語棟へ。でも、今の学生証では入れません
でした。ちょうど出る方がいらっしゃったので、入る
ことができました。

090131f.jpg

 2年前は、もっと乱雑な感じがしていましたが、
教職大学院の影響なのか、ちょっとすっきりしたような
感じがします。 

090131g.jpg

 言語棟の6階から眺めたキャンパス風景。この光景を
眺めるのは2年ぶりぐらいです。

090131h.jpg

 そして言語棟からの北播磨の眺め。ゼミ室の窓から
毎日眺めていた光景ですが、久し振りに眺めると
なんだか懐かしいような・・・

090131i.jpg

 教育内容・方法開発コースのゼミ室は閉って
いました。差し入れを持ってきたのですが・・・。

 北側からの図書館が、なんだか見慣れて好きです。

090131j.jpg

 哲学の書棚で見掛けてた九鬼周造全集・・・、
「いきの構造」が「センス」の研究の端緒でした。

090131k.jpg

 哲学の書棚で中村雄二の本と、2階のドイツ文学の
書棚でシラーの美的教養思想の本と、2冊借りました。

 シラーは、教育哲学の先生が、余談のような話で
触れられたのがきっかけで、ちょっと興味を持つ
ようになりました。

090131l.jpg

 中村雄二のこの著作集には「感性の覚醒」が
収められています。ちょっと私にはむつかしいかなあ〜
と思いながらも気になって借りました。

090131m.jpg

 結局、2時過ぎには嬉野台のキャンパスを後に
しました。
posted by student at 20:39| 日記

2009年01月30日

教育哲学_お疲れ様会

 今日は教育哲学の最後の授業でした。後半は
学生がテキストの中からテーマを選んで発表し、
指定討論者が質問した後にオープンに討議をする
形で進めてきました。

 最後のテーマは、「これからの教育哲学」でした。
茶道による心の教育を目指されている方の発表で
私には、一番興味深かったです。

 茶道の第一の目的は人間形成とのことで、「無相の
自覚、無相の自己がとった形」が茶道だそうです。
言い換えれば、茶道とは、無相の自己のインカネーション
という表現がなされており、私の研究テーマにとって
大きなヒントをいただいたように感じます。

 ただ授業の討議の中では、ちょっと違った論点の
話が多く、今一歩踏み込んだ話を聞きたかったのですが、
聴講の身として・・・遠慮してしまいました。

 授業終了後。神戸サテライトのビルの18階にある
創作居酒屋「風(Foo)でお疲れ様の会を・・・

090130a.jpg

 後期の半年間ご一緒した4名です。ご妙齢の女子学生
2名がいらっしゃったので、華やかな会になりました。

090130b.jpg

 授業後のビールは、一段と美味しかったです。嬉野台の
キャンパスでは味わえない、神戸サテライトの特権です。

090130c.jpg

 2時間余り話が弾んで、美味しいものをいただいて・・・

090130d.jpg

 最後にお店の人に記念写真を撮ってもらいました。

090130e.jpg

 これから、月一のペースで会をすると誓ってお開きと
なりました。
posted by student at 23:36| 日記

2009年01月29日

CAI実践授業 & 進学説明会

 今日は、同じ嬉野台のキャンパスで学んでいる同じゼミの
方が作成したCAI(computer-assisted instruction )の
システムを、私の実習の時間で実践して貰うことになり
ました。生徒には、情報技術基礎の時間でCAD(Computer
Aided Design)やCAM(Computer Aided Manufacturing)
と並んで、CAIにつても説明したのですが、私が担当する
工業技術基礎の中で、1コマ(50分)だけ、最後の
1班10名が実際にCAIを体験することになりました。

090129a_.jpg

 中身は、2次関数です。数学では、2学期に終わった
ばかりです。

090129b_.jpg

 液晶画面を食い入るように、かなり熱心に取り組んで
いました。

090129c.jpg

 事前テストと最後の質問紙を含めて40分あまりの
時間でしたので、CAIで学習したのは実質30分ぐらい
でした。

090129d.jpg

 今年度は、CADも担当しているのですが、生徒は熱心
に取り組んでいます。プログラムを作成する授業は、
生徒によって意欲の差がかなり出ますが、CADやCAIは
全員がほぼ意欲的です。

090129e.jpg



 放課後は、2年生を対象とした進学説明会がありました。

090129f.jpg

 市内のコンピュータ系の専門学校の先生方による
コンピュータ業界の仕事の話と、出前授業風の体験授業
でした。

090129g.jpg

 4時前から始まって6時半頃まで・・・。希望者ばかり
でししたので、熱心に話を聞いていました。

090129h.jpg

 C言語によるゲームソフトの体験で、パラメタを変えて
ゲームの流れがどのように変わるかを体験できます。
食い入るように画面を見て、プログラムの変更をキーで
打っていました。

090129i.jpg

 木曜は5コマある日で、もっともハードなのですが、
今日はそれに加えてCAI実践授業と進学説明会が入って
クタクタになりました。
posted by student at 21:54| 日記

2009年01月28日

ラジオ

 新しくラジオを買いました。

 ICレコーダにラジオが付いて、予約録音が出来る
タイプです。AMの外部アンテナも付いているので
雑音が少なく、結構優れモノです。

 ジョーシン電機のWebで安価に売っていたので、ネット
で購入しました。ヤマト運輸の代引き(配達時に代金を
ヤマト運輸に払う)で・・・。

090128a.jpg

 コンパクトなICレコーダなのですが、既に同じサンヨー
のICレコーダを持っているので、家に備え付け状態での
使用になります。(ACアダプターも付いていました。)

090128b.jpg

 なかなかの優れモノで、時報で内臓の時計を修正して
くれるようです。このクレードルに接続すると、大き目の
スピーカで、ゆったりと聴くことが出来ます。

090128c.jpg

 早速、タイマー予約を設定しました。朝4時からの
こころの時代を録音したら、将棋の羽生名人の話でした。

 将棋が論理的になったのは、ここ20年ぐらいで、
大山名人は、細かく先読みするというよりも大局的に
眺めていたとか、数年前に高飛車が流行った頃には、
それに対応する将棋が必要だとか、「指運」の話とか・・・

 なかなか面白かったです。
posted by student at 21:31| 日記

2009年01月26日

検定試験

1年生対象の情報技術基礎の3学期の授業は、ほぼ
情報技術検定試験にターゲットを絞りました。1学期と
2学期は、ほとんどコンピュータの実習室での実習が
メインの授業でしたが、3学期は教室での座学の授業を
展開しました。

 そして今日の放課後が、その情報技術検定試験
でした。試験監督として、教えている3つのクラス
のうちの1クラスを担当しました。

090126.jpg

 15分ぐらいは、全員一生懸命に問題用紙と答案用紙
に向っていましたが、20分を過ぎる頃から、机上に
うつ伏せになる生徒が増えました。30分を過ぎる頃には、
ほとんどの生徒が、鉛筆を持っていません。この試験、
3級は50分も必要ないように感じるのですが、試験
時間が50分と定められているので、厳正に試験を
行う必要があります。 ・・・でも、ほとんどの生徒が
机上にうつ伏せになっている状態の試験監督も、
ちょっとつらいものがありました。
posted by student at 21:30| 日記

2009年01月25日

質問紙調査の準備

 今朝、夜明け直後の窓の外には、雪が舞っていました。
しばらくすると、「雪が舞う」から「雪が降る」に・・・。

 今日は、質問紙調査の準備で朝一に嬉野キャンパスに
行く予定だったのですが、結構雪が降って、そして
うっすらと積もり始めたので、ちょっと思案・・・。
9時前には、雪も舞う程度になって北の空が晴れて
きたので、出掛けることにしました。三木を過ぎて
小野に入る頃には、真っ青な快晴の冬の空が広がって
いました。

 学内の道路沿いには、融雪剤が置いていました。

090125a.jpg

 講義棟と体育館の間にある森が、冬の朝日に輝いて
いました。夏には鬱蒼として鳥の鳴き声が聞こえてくる
のですが、冬の景色は、ちょっと寒々しいですが、また
良い感じです。

090125b.jpg

 芝生が、ちょっと赤く輝いていました。何の草か・・・、
私にはわかりませんが、ちょっと幻想的でした。

090125c.jpg

 ゼミ室は、スチームが取り払われていて、ちょっと
広々したような気がします。日曜なので、誰も来ません
でした。

090125d.jpg

 持ち込んだノートパソコンとプリンターをつないで、
宛名印刷の調整をしたり、「センス」のサイトをアップ
したり・・・、結構手間取って、あまり進みませんでした。

090125e.jpg

 センスの質問紙調査のサイトをアップしました。まだ、
試作版ですが、質問紙調査の発送時には正式バージョンに
します。

「工業高校におけるセンス」に関するアンケートのサイト
http://www.hyogo-u.ac.jp/d08701h/sense/

 嬉野キャンパス近辺の田んぼは、蘖(ひこばえ)が
立ち枯れていました。

090125f.jpg

 この田んぼは、蘖が立ち枯れた後に起こしたのかも
しれません。

090125g.jpg

 3時過ぎに空が曇って雪が舞い始めたので、早々に
神戸に戻ることにしました。教育方法・内容開発コースの
ゼミ室の寄ったら、誰もいませんでした。明日が
修論要旨の締め切りですが、もう早々に完成したん
だろうなあ〜と言語棟を後にしました。

posted by student at 19:07| 日記

2009年01月17日

神戸 〜 あれから14年

 今朝は5時に目が覚めて、14年前の震災の時刻と
同じ寝室で、布団の中でラジオを聴きながら5時46分を
迎えました。

 14年前、震災から1ヶ月ほど経って、ちょっと落ち着いて
から書き留めた文章です。

*

      life-いのち、生活、人生


 1月17日の未明、ひっくり返るような揺れの中に
冷静に思考することもできず、恐怖感から、ただただ
布団の中に身を横たえていました。曙光の気配さえなく、
街灯も消え、ただ闇が支配していました。懐中電灯の
備えもなく、ろうそくとマッチをようやく探し出して
マッチをすった瞬間、薄暗い中に、ひっくり返った
家具の中に横たわっていた自分を見ました。

 1月17日の朝、一番印象に残っていることは、
なにごともなかったかのように東の空が明るくなり、
曇り空の中に夜が明けたことです。自然な、あたりまえの
出来事が、なぜだか不自然に感じ、そして、とても尊く、
ありがたく感じました。

     人が こんなに つらいのに
         主よ
     海が あまりに 碧いのです。

     長崎 出津の海を望む丘の上の歌碑・遠藤周作


 私は神戸の西の端、明石海峡を挟んで淡路島を望む
垂水区に自宅があり、本務校は神戸の東の端、芦屋に
隣接する東灘区にあります。自宅の被害は、罹災証明書
では一部損壊でしたが、本務校近辺は被害の甚大な地域で、
傾いたビル、全壊した木造家屋が続いています。

 本務校が避難場所と遺体安置所となった関係で、
生き残った方々と、いのちを失った方々(ご遺体)の
お世話のため、2月末まではほとんど泊まり込みの
毎日でした。いのちの重さを身体全体で感じました。
教室の床に置かれたご遺体に安らかな表情はなく、
髪の毛の中まで土埃にまみれ、体の一部を失い、
鬱血で変色したご遺体を前にして言葉はありませんでした。
静まり返った夜中に線香に火をつけながら、あるいは
棺桶に釘を打ちつけながら、自分の中にいのちがある
ということが、とても不思議に思えました。

 遺体安置所であったと同時に、避難所でもあったので、
ずっと感傷的になっているわけにもいかず、食事の確保、
トイレ・衛生面の配慮を、何もないところで工面せねば
ならず、死のstaticと生のdynamicの狭間で揺れ動いて
いたのが最初の1週間程でした。

 lifeという言葉の持つ様々な意味(いのち、人生、
生活 etc.)を今回の地震で考えさせられました。いま、
家屋やビルの取り壊しが春の日差しの中で進んでいます。
家族を失い、自宅を失った方々にとって、<いま>と
<これから>が、lifeを模索する時期です。

                   (March 31,1995)

090117z.jpg
沈黙の碑 遠藤周作 長崎県出津の海を望む丘の上にて

震災から30分ほどした時の空、この写真は昨日の
ものですが、真っ暗の中での震災の後、なにごとも
なかったように窓の外が明るくなったことが、何故だか
今でも記憶に残っているほど嬉しかったです。それほど
闇の中での惨事に対する恐怖感が大きかったのかも
しれません。

090117a.jpg

 昨日は、震災を意識することなく過ごしました。夜の
テレビで震災関連のニュースを目にして、「明日だったか・・・」
と意識した程度です。私自身、震災の呪縛から、心が
解き放されつつあるように思います。解き放されたいことと、
いつまでも記憶に残したいこと・・・ 思いが交差します。



 この1週間の神戸の街です。

神戸駅の東、海辺に広がるハーバーランドに、丑の
2009がありました。巨大なクリスマスツリーが
あった場所です。

090117b.jpg

 三ノ宮の街が瓦礫で覆われた時、被害が少なかった
このハーバーランド周辺が、賑やかになりました。

090117c.jpg

日の丸の隣の旗、何の旗かわかるでしょうか?

090117d.jpg

 兵庫県の旗です。久し振りに元町の県庁に行きました。
普段は用事がないので、中に入るのは10年ぶりぐらい
かもしれません。

 廊下の自動販売機が、三原酪農の淡路牛乳でした。
神戸に住んでいると、兵庫県を意識することが少ない
ですが、県庁の中では、「ここは兵庫県」と意識
してしまいました。

090117e.jpg

JR神戸線の県庁の最寄り駅は元町駅です。
下の写真のように高架駅で、高架下にはモトコウ
という元町高架下商店街が続いています。

090117f.jpg

 でも元町駅の西口を北に出ると、道路が
高架のホームと同じ高さになっていて、ちょっと
妙な風景です。

 小高くなっている道路から階段を下って改札
を通って、また階段を上って高架のホームに
行きます。

090117g.jpg

 元町と三ノ宮の間の南北の通り・トアロード。
その道路にある横断歩道です。数メートルしか
ない横断歩道ですが、幅は20〜30メートル
あります。(左下の私の影が・・・)

090117h.jpg

 そして三ノ宮駅の南口の「三ノ宮」交差点。
神戸でもっとも賑やかな場所です。

090117i.jpg

 一昨日、サザエのつぼ焼きを自宅で美味しく
召し上がりました。

090117j.jpg

 あれから14年・・・、震災があった1月17日の
直前を、ごく普通に過ごすことが出来るように
なりました。
posted by student at 05:46| 日記

2009年01月09日

初授業

 勤務校は、昨日が始業式で、今日から授業です。
今日は4コマ授業がありましたが、1時間目の授業も
ありました。生徒にとっても年明け最初だった為も
あったのか、私語もまったくなく、熱心に授業を受けて
いました。いつも何人か、机にノートや教科書が出て
いなかったり、うつぶせになって寝ていたりするので
机間指導をするのですが、今日はその必要もありません
でした。授業最後の小テストも、まずまず出来て
いました。

 工事中の灘駅の、新しい駅舎の跨線橋の工事も
進んでいます。

090109a.jpg

 サテライトで聴講している授業も今日が初授業
でした。教育哲学の授業は年末から学生による
発表・討論で、今日は時間オーバーで一部次週に
持ち越しです。そして私の担当箇所の発表も来週
です。私の選んだテーマは”教育価値論”です。
資料は、portfolioにアップしました。

 授業終了後に同じ授業を受けている同じゼミの方と
駅の北にある居酒屋で、ささやかな新年会を・・・

090109b.jpg
posted by student at 23:34| 日記

2009年01月08日

7時7分

 今は1年でもっとも日の出の時刻が遅い時期です。
神戸の元旦の日の出が7時6分でしたが、翌日の
1月2日から日の出の時刻が7時7分で、1月12日まで
続きます。今日がその真ん中、1年で一番に朝が
遅い日・・・

 6時過ぎに玄関を出て、バス通りまでの道です。
街灯の灯りが暗闇の中で明るく感じます。

090108a.jpg

東の空は、かすかに夜明けの兆しがあり、地平線の
辺りがほんのりと赤味を帯びています。夜明け前の
もっとも寒い時間帯、デジカメを持つ手が凍えそう
です。

090108b.jpg

 駅に辿り着く頃には、「夜明け前」と言う感じが
します。でも駅前のバスターミナルの水銀灯が
青白くアスファルトを照らして、見るからに寒そうな
光景。

090108c.jpg

 勤務校の最寄駅・JR神戸線の灘駅を降りる頃には
日の出数分前で、東の空の雲の下部が真っ赤に染まって
います。写真の煙は、神戸製鋼の神戸製鉄所の煙突から
のものです。

090108d.jpg

 
posted by student at 19:59| 日記

2009年01月07日

 学びあい、コミュニケーション、相互補完作用・・・。
年末から、環境問題として、或いは倫理の問題として
いろいろ考える中で、「駅」のいろいろな風景が頭に
浮かんで、これまで撮った駅の写真を振り返って
みました。

街の中に開いている駅舎の玄関口は街の貌ですし、
電車を降りた第一歩を踏むホームの感じは、外から
訪れた時の第一印象になります。

 神戸のJR三ノ宮駅です。私にとっての三ノ宮駅で
まず頭に浮かぶのは、西口からホームへの階段を上って
下りホームの端からの、この光景です。

01.jpg

 同じ神戸市内ですが和田岬線の和田岬駅は、同じ駅でも
雰囲気が全然違います。朝、たまに車で通勤する時に
7時半頃に和田岬駅の前を通るのですが、、電車が
着くとたくさんの人が溢れるように出てきます。でも
昼間は電車が走っていません。兵庫駅から一駅だけの
山陽本線の支線、主に三菱重工の通勤用です。
神戸市内の終着駅です。

02.jpg

 同じ終着駅でも阪急梅田駅は、大規模なターミナル
です。私の超広角レンズでも駅の全貌を捉えることが
できません。大きな街の大きな駅です。

03.jpg

 神戸に向う神戸線、宝塚に向う宝塚線、そして
京都に向かう京都線が発着します。

04.jpg

 同じ梅田でも谷町線の東梅田駅は、入り口がわかり
にくくて、私には入り口を指し示す「矢印」が
印象的です。交通機関ですから、機能性が第一
というのが端的な駅の風景ではないかと思って
います。

05.jpg

 関西空港の駅です。多くの駅が、鉄路で結ばれた
街の外と、街の中とを結んでいるのですが、この駅は、
鉄路で結ばれた関西のいろいろな街からのお客さんを
飛行機で更に遠くへと結ぶのが役割です。駅の雰囲気も、
ちょっと違います。

06.jpg

 そして京都、嵐山駅です。走っている電車も、車窓の
景色も良いですが、この駅の雰囲気、そして駅の外の街の
雰囲気も大好きです。観光地としての京都らしい感じが
します。

07.jpg

 もう今は廃線になってしまった神戸の北、三木鉄道
です。駅の外には街がなく、ちょっと離れた処を並行
する県道沿いに集落があります。利用する人があまり
いない駅、田園風景の中にぽつんと。これも駅・・・。

08.jpg

 旅行者として、見知らぬ土地へ出掛けた時に、
自動販売機の様子が違っていたり、精算機の使い方が
違っていたり、神戸では見慣れぬ電車の色だったり、
耳にする言葉のアクセントが違ったり、そして駅の
広告も・・・。 この赤い電車が停まっている駅は、
名鉄の知立駅です。昨年、名古屋に泊まって翌朝
刈谷へ行く時に乗り換えた駅です。

09.jpg

 兵庫県は、鉄道の沿線は面積を考えるとごくわずか
です。でも道の駅がたくさんあります。淡路の東浦
バスターミナル。大きな駐車場があって、ここから島内の各地や、神戸と結ぶバスが発着しています。鉄路のない
処の駅、道の駅も併設しています。

10.jpg

posted by student at 22:09| 日記

2009年01月05日

ゴエール(贖う)

 年末、大きなニュースが飛び込んできました。

 ハマスが、ガザからイスラエルへの攻撃を行い、
そして イスラエルがガザへの空爆を行いました。
年が明けてもまだ解決の糸口が見えない状況です。

かなり前に録画したビデオを久し振りに探し出して
見ました。故人となられた草柳大蔵さんが、NHKで
アウシュヴィッツ収容所を取り上げた番組です。

 この番組の中で、日本にも数年間の滞在経験がある
コルベ神父を取り上げていました。コルベ神父は
ナチスに批判的であったという理由で捕らえられ、
アウシュヴィッツ収容所に送られました。そこで、
脱走者が出たことで、無作為に選ばれる10人が餓死刑に
処せられることになり、ひとりのポーランド人軍曹が
選ばれてしまいました。その軍曹・ガヨウィニチェクさん
は「私には妻子がいる」と叫び、それを聞いたコルベ
神父は「カトリック司祭で家族がいない私が身代わり
になる」と申し出て餓死刑に処せられました。

 コルベ神父によって命を助けられた・ガヨウィニチェク
さんは生きてアウシュヴィッツ収容所を出ることができ、
NHKの番組では、草柳大蔵さんがガヨウィニチェクさん
を訪れてました。

090105a.jpg

この番組を久し振りに見て、ゴエル(goel)「贖う」
という言葉を一歩深く理解したように思います。

090105b.jpg

 ガヨウィニチェクさんは、この取材の年に93歳で
亡くなられたそうです。今から十二、三年前です。

*

 今年のウィーンフィルハーモニーのニューイヤー
コンサート指揮は、ダニエル・バレンボイムさんでした。
アルゼンチン出身のユダヤ人のピアニストであり指揮者、
国籍はイスラエルです。アラブ諸国とイスラエルの
演奏家によるオーケストラを結成してヨルダン川
西岸地区での演奏活動を行なっています。

バレンボイムさんは、今年のニューイヤーコンサート
の挨拶の中で「中東に人間の正義があるように」と
語りました。


 


posted by student at 05:43| 日記

2009年01月04日

二十歳の原点

「独りであること」、「未熟であること」、
これが私の二十歳の原点である。

        高野悦子、二十歳の原点より

090104a.jpg

 年末に与謝野晶子の「その子二十歳・・・」の歌が
ふと頭に浮かんだのがきっかけで、正月に本棚の
隅から久し振りに二十歳の原点を手にしました。
この本を開くのは久し振りです。内容の記憶が
ほとんど薄れているのですが、読み進むと大まかな
ストーリーは何となく記憶に残っていました。

 二十歳の誕生日である1969年の1月2日から
始まって、6月22日付けまでの日記を刊行した
ものです。

6月22日付けの日記から・・・

 生きている 生きている 生きている
バリケードという腹の中で 友と語るという清涼飲料をのみ
デモとアジ アジビラ 路上に散乱するアジビラの中で
風に吹きとび 舞っているアジビラの中で
独り 冷たいアスファルトにすわり
煙草のくゆない煙をながめ
生きている イキテイル
            一・00PM

日記の最後は、詩で終わっています。その冒頭は、

旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛を持ち
旅に出よう 

・・・
           2時30分、深夜。


 この二十歳の原点を読んだ後に、当時の同級生から
奥浩平の青春の墓標を借りて読んだ記憶がありますが、
内容の記憶はほとんどありません。

 70年安保と60年安保、学生運動・・・、
今、60歳の定年を目前にしている世代が、二十歳の原点の
高野悦子さんと同時代を生き、その時代の空気を肌で
感じていいたことになります。

 本棚で二十歳の原点の隣にあったのが、つげ義春の
本でした。  
             
090104b.jpg

 神田神保町の本屋さんで買った時の記憶はあるの
ですが、なんでこの本を買ったのかは・・・忘れてしまい
ました。70年安保の時代に受け入れられたようで、
二十歳の原点のつながりで買ったのかもしれません。

1970年前後というのは、安保、学生運動だけでは
なくて、大阪で万国博覧会が開催されたり、フォーク
ソングが全盛であったり、そして三島由紀夫が自決した
のも1970年でした。

 ・・・今から39年前、そして第2次世界大戦が終結
して25年経過した年・1970年の前後は、時代が
大きく変わったのかもしれません。

posted by student at 06:46| 日記

2009年01月03日

きつね と たぬき

 大晦日に、日清のどん兵衛「ぴんそば」のきつねそばを
衝動買いしてしまいました。テレビのコマーシャルを見て
購入することは皆無なんですが、テレビの画面の麺が
ストレートで実に美味しそうだったので、大晦日の夕方に
立ち寄ったスーパーで目に入ってしまって、そのまま手に
とってしまいました。

 大晦日の年越蕎麦は、お昼にもう食べてしまったので、
正月明けにでも・・・と思っていたのですが、気になって
今日のお昼に食べてしまいました。

090103a.jpg

 中を開けると、ふつうのちぢれ麺のように見えます。
まっすぐな麺が入っているのかと思っていました。

090103b.jpg

 お湯を注いで3分間・・・

090103c.jpg

確かにちぢれ麺というよりもストレートに近いです。
食感も良かったです。日清食品が32年目の
大発明と謳っているのにも、ちょっとだけ頷けます。

090103d.jpg



きつねそば・・・、買うときにちょっと気になりました。

 神戸の店でも東京風の呼び名の場合も最近多いようですが
油あげを載せたうどんが「きつねうどん」で、油あげを
載せたそばは「たぬきそばです」。そして、天かすを
載せたうどんが「天かすうどん」で、天かすを載せたそばが
「天かすそば」或いは「はいからそば」と言います。
「天かすうどん」を「はうからうどん」でも通じると
思います。

 東京近辺では、油あげを載せたうどんやそばが、
「きつねうどん」と「きつねそば」、天かすを載せた
うどんやそばが、「たぬきうどん」と「たぬきそば」です。

 大阪は、神戸とほぼ同じで、きつねと言えばうどんを、
そしてたぬきと言えばそばを指し示します。ただ
「天かすうどん」と言わずに「はいからうどん」と言う方が
多いということを聞いたことがあります。

 京都はまた違うようです。油あげを載せたうどんやそばが、
「きつねうどん」と「きつねそば」、そして刻んだ油あげを
麺の載せて、あんかけにしたものが「たぬきうどん」と
「たぬきそば」と言うそうです。ちなみに天かすを載せた
うどんは京都では「はいからうどん」だそうです。

 ちなみに神戸では、刻んだ油揚げ載せたうどんやそばを
「きざみうどん」や「きざみそば」と言います。油揚げは
そのままでは味付きですが、刻む場合は、味付きではない
です。


 東京近辺では、”入れる具の種類”によってきつねとたぬきの
名前が使い分けられていますが、神戸や大阪では、油あげを
載せる”麺の種類”によって、きつねとたぬきの名前が使い分け
られています。そして京都では、油揚げを麺に載せて、
”あんかけにするかしないか”できつねとたぬきの名前が
使い分けられているようです。(たぬきは、あんかけという
だけではなくて、油揚げを刻むという違いもあります。)



 同じ関西でも、和歌山では麺に天かすを入れることは
ありえないとのこと。また、鹿児島では、たぬきという呼び名
がないようで、そばに油あげを載せることもありえない
とのこと…、今は東京風の食文化が広まっているので、
「ありえない」こともないとは思いますが・・・。

 神戸ではあまり聞きませんが、大阪では油あげを載せた
うどんを「しのだ(うどん)」とも言うようです。

 名古屋はどうなんでしょうか?きしめんがメイン
なんでしょうか?でも味噌煮込みうどんが有名ですし・・・。
また四国ではうどんがメインで年越うどんを食べると
言う話を年末にテレビで見ましたが、セルフが多いので
また違った呼び方なのかもしれません。


 全国共通なのは、油揚げを載せたうどんを
「きつねうどん」だけのようです。

posted by student at 13:20| 日記

2009年01月02日

驕りの春

その子二十 櫛にながるる黒髪の
おごりの春の うつくしきかな

     与謝野晶子 みだれ髪

 年末に、ちょっと古い歌のテレビ番組を
見るともなく何度か見てしまいました。
懐かしいメロディーを耳にして、「10年
ぐらい前だったかなあ〜」とか、「震災前に
流行っていたんだっけ?」とか、記憶を
辿りながら思わず見入ってしまったり・・・

 当時の古い映像が流れる場合もありますが、
当時歌っていた歌手がスタジオで歌う場合も
あります。或いは昭和時代の古い歌を、ゲスト
として呼ばれた歌手が、その場でマイクを持って
歌ったり・・・

 CDで聴く若い頃の歌声は、甘い声だったり、
艶のある声で魅力があるのですが、今・現在の
テレビのスタジオで歌う歌声は、歳相応の迫力が
ついてしまって、甘い恋の歌詞を歌うには、
ちょっと不似合いのように感じてしまうことが
多かったです。

 二十歳の”驕りの春の美しき”は、二十歳の時
だからこそ謳歌できるのかもしれません。
テレビ画面に映るアップの映像を見ると…余計に
そのように感じてしまいます。


 世阿弥の風姿花伝に”時分の花”という言葉が
出てきます。年来稽古條々の「十二、三より」の
中で、

  この花は、誠の花には非ず。
  ただ、時分の花なり。

 私にとって何年経っても色褪せないどころか、
ますます艶っぽい歌声を愉しませてくれるのは、
吉田美和さんです。、

 でも、誠の花ももちろん魅力的ですが、
時分の花にも、また違った魅力を感じます。
まさに”驕りの春の美しき”です。



 年末からお世話になっている1階のリビングの
石油ストーブです。チンチンとヤカンが音を立てて
いるのを耳にすると心が鎮まります。そしてぬくもり
を感じます。でも、このストーブだけでは部屋が
暖まらないので、ガスファンヒータとの併用です。

090102a.jpg

 大晦日の夜、音楽の聞き納めをしたのが
このCDです。鮫島有美子さんが歌う日本の歌の
CDです。クラシックの歌手なので、時分の花
ではなくて誠の花の歌声です。

090102b.jpg

 本の読み収めは、本棚を探して・・・、この
古い文庫本を選びました。

090102c.jpg

 トルストイの代表作と言われるアンナ・カレーニナや
戦争と平和は読んだことがありませんが、後期の
宗教的で道徳的な短編が好きで、よく読んでいた
時期がありました。でもトルストイを手にするのは
久し振りです。本の間から古い切符が出てきました。

090102d.jpg

キューポラのある街・川口です。日付が平成5年
11月22日、埼玉の三郷駅から西川口駅まで
通っていた当時のものです。この本も15年ぶり
に読むのかもしれません。



 そして、今年の読みはじめは、この本にしました。
高村光太郎の智恵子抄です。

090102e.jpg

 智恵子抄は私のお気に入りで、俳優の加藤剛さんの
朗読のカセットも買いました。何年か前からカセット
文庫はなくなってCD文庫になったようで、今となっては
これは貴重品ですが、でもCDの方が今では便利です。
 
090102f.jpg

 ちなみに今年の音楽の聴きはじめは・・・、ミニコンポ
に入っていたままの鮫島有美子さんを、そのまま
元旦の朝にも聴いてしまいました。
posted by student at 01:02| 日記

2009年01月01日

元旦

 2009年最初の朝、日の出の時刻が7時6分、
5時過ぎの神戸は、まだ暗闇に包まれています。

 寝室の窓から見た明石海峡大橋です。年末の赤い
ライトアップは終わっていました。

090101a.jpg

 一昨年は、舞子の海岸で初日の出を愉しみましたが、
今年は明石・南二見の海浜公園の近くの東岸壁で
播磨灘から、遠く明石海峡に上る初日の出を愉しむ
予定で家を出ましたが、東の空は厚い雲で覆われて
います。滋賀の近江では大雪警報が出ていると、
カーラジオのアナウンサーが告げていました。

 日の出20分ほど前、真正面の遥か彼方に明石海峡
を望む場所で日の出を待ちました。

090101b.jpg

 明石海峡の上空は、厚い雲で覆われています。
初日の出を愉しむことは無理かもしれません。

 デジカメを動画モードにして、初日の出前の
静かな播磨灘の赤い海面です。

090101_click.jpg上の写真をクリックすると動画が再生されます。
正面が明石海峡、左が明石から舞子の街並みで
右が淡路の島影です。うっすらと明石海峡大橋が
映っています。


 初日の出を見ようと、たくさんの人が集まって
います。

090101c.jpg

 日の出の時刻、7時6分を過ぎました。曙光の輝きを
目にすることはできませんでした。

090101d.jpg

 帰路、明石・江井ヶ島海岸に立ち寄りました。
人気スポットなので、たくさんの人が東の空の
雲の合間から曙光の輝きが漏れるのを待ち望んで
いました。

090101e.jpg

 日の出の時刻から30分ほど経過して、西の空には
朝日を浴びて真っ赤に輝いた雲を目にすることが
できます。

090101f.jpg

 江井ヶ島漁港からの東の空、今にも曙光の輝きが
地上に射し込みそうですが、雲がどんどん成長して、
曙光を遮っています。

090101g.jpg

 今年初めて陽の光の輝きを目にしたのは、帰路の
旧浜国道、西江井ヶ島の交差点で信号待ちをしている
時でした。
posted by student at 09:00| 日記