新学期直前の8月29日(金)から31日(日)まで、
総合共通科目の集中講義がありました。神戸の藤原台に
ある富士ゼロックスの研修所での2泊3日の宿泊講義
でした。
スペースアルファは、かなり大きな施設です。他にも
企業の研修や他大学の研修、そして富士ゼロックスの
関連会社の各種研修もあり、ジムもあるので、そこの
利用者の方も来られており、駐車場はいっぱいでした。
フロントを通ると吹き抜けの大きな空間がありました。
受講者は36名で、新潟や東京、静岡、長野、福岡…、
普段はフレックス制度を利用しておられる方々も、夏と
春の2回の集中講義には一同に会します。
午後1時からの開講式に引き続いて、すぐに「教育研究法
基礎T(量的研究法)」の授業がすぐに始まりました。
担当の吉田先生は、昨年のサテライトでの夏期集中講義に
続いて2回目、1年ぶりでしたが、吉田先生は私の顔を
覚えておられました。
標準偏差の話から初めて、2つの分布の有意差の検定に
的を絞っての授業で、夕方の最後には帰無仮説の話をして
量的研究に関する、かなり密度の濃い話でした。
夕食前のチェックインして宿泊室へ…
夕食までの間、ジムで汗をかきました。
結構しっかりした設備で、ウエイトではなくて空気圧で
負荷を調整するタイプのマシンがあり、使い方がわからずに
指導員の方にお聞きして…
ランニングやストレッチもして、ふと時計を見ると
夕食の6時の10分前、あわててロッカールームに戻って
シャワーを浴びて着替えて、ジムの受付で鍵を返却する時に
6時を過ぎていました。汗をぬぐいながらダイニングに
向かうと長蛇の列・・・
後でわかったのですが、一斉に食事をするのではないので、
あわてることはなかったようです。汗をぬぐいながらの
食事になりました。
7時半からの講義は、統計処理の問題点や留意点に関する
話で、検定力や、サンプル数nの影響に関しての濃い話が
続き、恣意的に陥る危険性と、確率現象であることの再確認
で1時間半の授業が終わりました。
神戸・藤原台は六甲山系の北に位置して、宿泊部屋の
窓から眺める早朝の雨模様の風景は、ちょっと神秘的
でした。遠くの山々が霞んで、雲海のようにも見えます。
あの山々は三田市か西宮市になると思います。
2日目の午後は実際の研究において統計処理を用いる
場合の留意点の話で、サンプルの無作為、妥当性と信頼性、
イエステンデンシー、測定する構成概念の心理量が持つ
あやふやさ、かく乱要因、統制群と実験群との比較…
前日に増して、濃い内容の連続で、この辺りでノートを
半分まで使ってしまいました。
最後に、個人内に内在する心のメカニズムを測ること
に関しての留意点と、「あいまいさ」への耐性の話、
最後の最後は、ほんとうに濃い話でした。
昼食語に、施設内部をブラブラと見ていると、研修に
関してのバックアップが完備して、コピー機もたくさん
あります。もちろん、ゼロックス製…
2日目の午後からは、「教育研究法基礎U(質的研究法)」
の授業で担当は西川先生です。
大学を卒業して、定時制高校での教師の第一歩の話しから
始まり、いろいろな例や課題を出して学生に考えさせ、
その結果を隣前後で確認させあって、多様性に関しての
導入にかなり時間を割いて「質的」に関する意識を
明確にしていきました。
夕食後の1時間半は、グループ分けしてディスカッション
の時間、西川先生ご自身が投稿した論文でレフェリーから
クレームがついた過去の事例を用いて「どうしますか?」
という課題でした。
3日目の授業の最初に各グループでのディスカッション
内容の発表がありましたが、グループ毎で、かなり観点が
異なっていたのが面白かったです。
3日目は、『学び合い』に焦点を絞っての話し・・・、
後で西川先生のサイトで予定を見ると全国での講演依頼で
8月はほとんど出先の生活だったようです。
8月下旬になって涼しいような日が続いていましたが、
講義が終わったお昼頃には、真夏の逆戻りしたような感じ
でした。
福岡からいらっしゃった方を新神戸までお送りして、
帰宅後、ちょっとウトウトしてしまいました。
…2泊3日の濃い集中講義でした。リポートの締め切りが
9月8日、まだ1週間は「大変さ」が続きます。
2008年08月28日
わざの伝承
「わざの伝承」という本、筑波大でスポーツ運動学を
研究されておられる金子先生の著作ですが、スポーツの
「技」にとどまらず、伝統芸能や、生活習慣、職人わざ
まで言及しています。この春に嬉野の図書館で借りていた
のですが、新学期の忙しさにかまけてしまって、あまり
目を通さずに返却してしまいました。
センスに関してアレコレ考える中で、再びこの本に
辿り着いたので、サテライトの図書館で借りました。
(嬉野よりもサテライトの方が新しかったです。)
身体に住み込んでいる「わざ」、その「わざ」の
伝え手とその承け手とのあいだに成立する伝承の関係構造
に関して、広く運動学以外の他分野とのアナロジーが
多く、参考になります。
私自身が昨年、社会学でのハビトゥスという概念が、
「センス」にとって新しい切り口になるのではないかと
考えたのですが、すでに金子先生が「ハビトゥス的身体文化」
という語彙で扱っていました。
コツやカンと運動能力との関係についても言及して
いますが、これも「センス」にとって大切な要因だと
思っています。
その他にも「即興能力」、「エクササイズの媒介性」
等々、興味深い語彙がたくさん出てきます。
教室での教師と生徒との間において、「わかる」という
ことの遷移期間中におけるコミュニケーションに
「センス」というのが深く関わっているように思い、
問題意識を持っているのですが、これ本における「わざ」
の伝承から学ぶべきことが多いように感じています。
研究されておられる金子先生の著作ですが、スポーツの
「技」にとどまらず、伝統芸能や、生活習慣、職人わざ
まで言及しています。この春に嬉野の図書館で借りていた
のですが、新学期の忙しさにかまけてしまって、あまり
目を通さずに返却してしまいました。
センスに関してアレコレ考える中で、再びこの本に
辿り着いたので、サテライトの図書館で借りました。
(嬉野よりもサテライトの方が新しかったです。)
身体に住み込んでいる「わざ」、その「わざ」の
伝え手とその承け手とのあいだに成立する伝承の関係構造
に関して、広く運動学以外の他分野とのアナロジーが
多く、参考になります。
私自身が昨年、社会学でのハビトゥスという概念が、
「センス」にとって新しい切り口になるのではないかと
考えたのですが、すでに金子先生が「ハビトゥス的身体文化」
という語彙で扱っていました。
コツやカンと運動能力との関係についても言及して
いますが、これも「センス」にとって大切な要因だと
思っています。
その他にも「即興能力」、「エクササイズの媒介性」
等々、興味深い語彙がたくさん出てきます。
教室での教師と生徒との間において、「わかる」という
ことの遷移期間中におけるコミュニケーションに
「センス」というのが深く関わっているように思い、
問題意識を持っているのですが、これ本における「わざ」
の伝承から学ぶべきことが多いように感じています。
posted by student at 06:41| 日記
2008年08月26日
お地蔵様 と 干しダコ 〜明石の風景
この夏は、明石の街を訪れることが多かったのですが、
早朝だったり夕方だったりで、昼間の明石の貌とは
ご縁がありませんでした。一昨日の日曜、薄曇の明石の
街を巡りました。
早朝や夕方にはお目に掛かれなかった、明石名物のたこを
干した「干しだこ」を久し振りに見ました。
林崎漁港で見つけました。背景の山並みは淡路です。
ちょっとアングルを変えると、明石海峡大橋が背景に
写り込みます。
林漁港の近くに密蔵院というお寺があります。
平安時代に創建された古いお寺で、立派な山門や
本堂があり、多くの末寺があったそうです。
今の本堂は、昭和20年7月の明石大空襲によって焼失し
昭和51年に再建したそうです。本堂の隣に、本堂よりも
大きなお地蔵様があります。報徳大地蔵尊で高さが
15mあるそうです。日本三大地蔵には数えられて
いませんが、大きさでは日本一・・・ではないでしょうか?
密蔵院には油掛け地蔵という有名なお地蔵様が・・・
水掛地蔵というのはよくありますが、このお地蔵様は、
油を掛け、開運、健康、安産を祈るそうです。昔は
貴重だったはずの油を掛けながら、必死の思いで願を掛け
祈ったのでしょうか?
この密蔵院には「茶碗屋の娘」の墓もあります。
明石民謡・茶碗屋の娘の悲しい話があります。
明石・樽屋町にあった瀬戸物を商っていた「茶碗屋」
の娘・お糸にまつわる話です。
話と共に、唄もあります。
明石樽屋町茶碗屋の娘
器量は一番 姿は二番
歌につくろうか 音頭にとろか
五月のぼりの 絵にかこか
早朝だったり夕方だったりで、昼間の明石の貌とは
ご縁がありませんでした。一昨日の日曜、薄曇の明石の
街を巡りました。
早朝や夕方にはお目に掛かれなかった、明石名物のたこを
干した「干しだこ」を久し振りに見ました。
林崎漁港で見つけました。背景の山並みは淡路です。
ちょっとアングルを変えると、明石海峡大橋が背景に
写り込みます。
林漁港の近くに密蔵院というお寺があります。
平安時代に創建された古いお寺で、立派な山門や
本堂があり、多くの末寺があったそうです。
今の本堂は、昭和20年7月の明石大空襲によって焼失し
昭和51年に再建したそうです。本堂の隣に、本堂よりも
大きなお地蔵様があります。報徳大地蔵尊で高さが
15mあるそうです。日本三大地蔵には数えられて
いませんが、大きさでは日本一・・・ではないでしょうか?
密蔵院には油掛け地蔵という有名なお地蔵様が・・・
水掛地蔵というのはよくありますが、このお地蔵様は、
油を掛け、開運、健康、安産を祈るそうです。昔は
貴重だったはずの油を掛けながら、必死の思いで願を掛け
祈ったのでしょうか?
この密蔵院には「茶碗屋の娘」の墓もあります。
明石民謡・茶碗屋の娘の悲しい話があります。
明石・樽屋町にあった瀬戸物を商っていた「茶碗屋」
の娘・お糸にまつわる話です。
話と共に、唄もあります。
明石樽屋町茶碗屋の娘
器量は一番 姿は二番
歌につくろうか 音頭にとろか
五月のぼりの 絵にかこか
posted by student at 06:53| 日記
2008年08月25日
8月25日
今日はチキンラーメン50周年の日、
地元の神戸新聞の夕刊には「即席めん半世紀」という
記事がありました。
50年前の1958年(昭和33年)は、どんな年
だったか調べてみました。
・アメリカ初の人工衛星、エクスプローラー1号打ち上げ
(ロシア・当時のソ連は、前年にスプートニク打ち上げ)
・第1回日劇ウエスタンカーニバル開幕
・巨人・長嶋茂雄選手デビュー(4打席4三振)
・衆議院の安保解散
・東京〜大阪間で国鉄初の電車特急「こだま」が運転開始
・ 宮内庁、皇太子・明仁と正田美智子の婚約を発表
・ 東京タワー竣工、公開
・新紙幣(1万円札)「聖徳太子」発行
ウエスタンカーニバルや安保、聖徳太子の1万円札、
国鉄、初の人工衛星・・・、昔話のようなニュースばかりです。
*
チキンラーメンの誕生日、8月25日についても、どんな
日だったかを調べました。
・北里柴三郎、ペスト菌を発見。1894
・羽田飛行場が開港 1931
・ピンク・レディーが『ペッパー警部』でデビュー。1976
チキンラーメンの誕生を祝って、チキンラーメンを買いました。
50周年記念限定バージョンです。
そして50周年のチキンラーメンカップ・赤野菜です。
8月25日は、私の誕生日でもあります。
地元の神戸新聞の夕刊には「即席めん半世紀」という
記事がありました。
50年前の1958年(昭和33年)は、どんな年
だったか調べてみました。
・アメリカ初の人工衛星、エクスプローラー1号打ち上げ
(ロシア・当時のソ連は、前年にスプートニク打ち上げ)
・第1回日劇ウエスタンカーニバル開幕
・巨人・長嶋茂雄選手デビュー(4打席4三振)
・衆議院の安保解散
・東京〜大阪間で国鉄初の電車特急「こだま」が運転開始
・ 宮内庁、皇太子・明仁と正田美智子の婚約を発表
・ 東京タワー竣工、公開
・新紙幣(1万円札)「聖徳太子」発行
ウエスタンカーニバルや安保、聖徳太子の1万円札、
国鉄、初の人工衛星・・・、昔話のようなニュースばかりです。
*
チキンラーメンの誕生日、8月25日についても、どんな
日だったかを調べました。
・北里柴三郎、ペスト菌を発見。1894
・羽田飛行場が開港 1931
・ピンク・レディーが『ペッパー警部』でデビュー。1976
チキンラーメンの誕生を祝って、チキンラーメンを買いました。
50周年記念限定バージョンです。
そして50周年のチキンラーメンカップ・赤野菜です。
8月25日は、私の誕生日でもあります。
posted by student at 21:37| 日記
2008年08月21日
船上城と高山右近
この夏は、自転車で明石の街を走り抜けることが多く、
明石のいろいろな街の風景をデジカメに収めています。
船上(ふなげ)城・・・、天正13年(1585)から元和5年(1619)
に火災で焼失するまで、明石のお城がここにありました。
明石市船上町という地名が残っています。船上城趾は、
古城川という疎水近くの田んぼの中にある塚状の土盛に
古城大明神があり、唯一名残をとどめています。古城川が
堀跡だったようです。
船上城が築かれるまでは、東播磨・明石の有力者だった
明石氏が、船上城の北1キロ程の処にあった枝吉城を居城
としていたようです。枝吉城は、室町時代に明石尚行が
築いた城です。
明石則実が三木城参戦等の功績によって天正13年(1585)に
豊臣秀吉より但馬・豊岡に転封され、摂津・高槻の
領主だった高山右近が明石に転封されて枝吉城に入城します。
高山右近は、大坂城を守る要所として、明石海峡の
戦略的な位置を考えて、枝吉城より海岸に近い船上城を
築き、港と城下町を整備したようですが、船上城の場所は、
別所吉親が築城した林ノ城を改築したものだとも言われて
います。
港は、堺に来る貿易船の為の中継港としても機能する
ように造られたようで、高山右近がキリシタン大名だった
ことから、宣教師を乗せた南蛮船もこの港に立ち寄った
ようです。
キリシタン大であった高山右近は、明石でもキリスト教の
布教に熱心だったようで、船上城の西にあった宝蔵寺の
僧が高山右近の迫害を恐れて逃げたために空き家になって
いた宝蔵寺を教会とし布教に努めたようで、キリシタン禁令に
よって追放される2年間で、数百人以上の洗礼者があった
ようです。
この宝蔵寺で寺の壁の中から十字架が発見されています。
キリシタン禁令によって高山右近追放された後も、隠れ
キリシタンとして信仰を守っていた人がいたのかもしれ
ません。同じ明石郡にある転法輪寺の境内にはキリシタン灯籠
があり、これも高山右近の布教の影響なのかもしれません。
船上城は、その後、秀吉の直轄領となり、関ヶ原の合戦で
戦功のあった池田輝政が播磨一帯を治める姫路城主となって、
支城的な位置を占めることになります。
元和3年(1617年)に池田光政が因幡・伯耆の領主として
鳥取に転封となると、播磨は分割されて、明石郡一帯は
信州・松本の小笠原忠真が転封され船上城の城主となりますが、
明石川左岸に明石城を築き、城下町を移します。元和5年(1619)
に火災で船上城は焼失したようで、そのまま廃城となった
ようです。
船上城趾は、明石警察署の西側になります。
近くには、灘扇の明石醗酵工業酒造があります。林崎漁港
の港町がある古い街並みが広がる一帯です。
明石のいろいろな街の風景をデジカメに収めています。
船上(ふなげ)城・・・、天正13年(1585)から元和5年(1619)
に火災で焼失するまで、明石のお城がここにありました。
明石市船上町という地名が残っています。船上城趾は、
古城川という疎水近くの田んぼの中にある塚状の土盛に
古城大明神があり、唯一名残をとどめています。古城川が
堀跡だったようです。
船上城が築かれるまでは、東播磨・明石の有力者だった
明石氏が、船上城の北1キロ程の処にあった枝吉城を居城
としていたようです。枝吉城は、室町時代に明石尚行が
築いた城です。
明石則実が三木城参戦等の功績によって天正13年(1585)に
豊臣秀吉より但馬・豊岡に転封され、摂津・高槻の
領主だった高山右近が明石に転封されて枝吉城に入城します。
高山右近は、大坂城を守る要所として、明石海峡の
戦略的な位置を考えて、枝吉城より海岸に近い船上城を
築き、港と城下町を整備したようですが、船上城の場所は、
別所吉親が築城した林ノ城を改築したものだとも言われて
います。
港は、堺に来る貿易船の為の中継港としても機能する
ように造られたようで、高山右近がキリシタン大名だった
ことから、宣教師を乗せた南蛮船もこの港に立ち寄った
ようです。
キリシタン大であった高山右近は、明石でもキリスト教の
布教に熱心だったようで、船上城の西にあった宝蔵寺の
僧が高山右近の迫害を恐れて逃げたために空き家になって
いた宝蔵寺を教会とし布教に努めたようで、キリシタン禁令に
よって追放される2年間で、数百人以上の洗礼者があった
ようです。
この宝蔵寺で寺の壁の中から十字架が発見されています。
キリシタン禁令によって高山右近追放された後も、隠れ
キリシタンとして信仰を守っていた人がいたのかもしれ
ません。同じ明石郡にある転法輪寺の境内にはキリシタン灯籠
があり、これも高山右近の布教の影響なのかもしれません。
船上城は、その後、秀吉の直轄領となり、関ヶ原の合戦で
戦功のあった池田輝政が播磨一帯を治める姫路城主となって、
支城的な位置を占めることになります。
元和3年(1617年)に池田光政が因幡・伯耆の領主として
鳥取に転封となると、播磨は分割されて、明石郡一帯は
信州・松本の小笠原忠真が転封され船上城の城主となりますが、
明石川左岸に明石城を築き、城下町を移します。元和5年(1619)
に火災で船上城は焼失したようで、そのまま廃城となった
ようです。
船上城趾は、明石警察署の西側になります。
近くには、灘扇の明石醗酵工業酒造があります。林崎漁港
の港町がある古い街並みが広がる一帯です。
posted by student at 21:24| 日記
2008年08月20日
「学び」の構造
昨日の研修講座の中で、ワークショップの題材
として、ハインリヒ・ホフマンの「もじゃもじゃ
ペーター」を元にした絵本、せなけいこ作・絵の
「いやだいやだ」をグループで読んだのですが、
ちょうど今読んでいる、佐伯胖(ゆたか)の
「学び」の構造の中にも、同じような話が出ています。
佐伯胖は、工学系から心理系の世界に入って、
認知心理学を専門にしている方で、この「学び」の構造
の中では、「学ぶ人」と「学ばぬ人」と分類して
何故「学べない」のかを考え、「おぼえる」と「わかる」
ということに触れて、次のように書いています。
・「わかる」とは、「絶えざる問いかけを行う」
ことでもある。
・「わかるとは、「無関係であったもの同士が
関連づいてくる」ことでもあろう。
その後に、よさ(道徳)はいかに学ばれるかという
問い掛けを行って、その中で「いやいやえん」に関する
エピソードが出てきます。保育園でしげるくんが
ちこちゃんの真似をして、先生から「なんでも、
ちこちゃんのすることをまねしなさい。」「うん、
するよ。」ということで、今度はちこちゃんと同じ
ようにさせられて、最後には、しげるくんは泣き出
すというような話です。
このエピソードは、判例法的道徳と制定法的道徳
との対比の中で、息子が夢中になった絵本を引き合いに
出して、一貫性の道徳と開放性の道徳の話につながって
いきます。
佐伯胖には娘もいて、その結婚相手は宮台真司です。
「センス」についてアレコレ考える中で、佐伯胖の
「よさ(道徳)はいかに学ばれるか」という問い掛けは
一つの切っ掛けになるかなあ〜と思っています。
として、ハインリヒ・ホフマンの「もじゃもじゃ
ペーター」を元にした絵本、せなけいこ作・絵の
「いやだいやだ」をグループで読んだのですが、
ちょうど今読んでいる、佐伯胖(ゆたか)の
「学び」の構造の中にも、同じような話が出ています。
佐伯胖は、工学系から心理系の世界に入って、
認知心理学を専門にしている方で、この「学び」の構造
の中では、「学ぶ人」と「学ばぬ人」と分類して
何故「学べない」のかを考え、「おぼえる」と「わかる」
ということに触れて、次のように書いています。
・「わかる」とは、「絶えざる問いかけを行う」
ことでもある。
・「わかるとは、「無関係であったもの同士が
関連づいてくる」ことでもあろう。
その後に、よさ(道徳)はいかに学ばれるかという
問い掛けを行って、その中で「いやいやえん」に関する
エピソードが出てきます。保育園でしげるくんが
ちこちゃんの真似をして、先生から「なんでも、
ちこちゃんのすることをまねしなさい。」「うん、
するよ。」ということで、今度はちこちゃんと同じ
ようにさせられて、最後には、しげるくんは泣き出
すというような話です。
このエピソードは、判例法的道徳と制定法的道徳
との対比の中で、息子が夢中になった絵本を引き合いに
出して、一貫性の道徳と開放性の道徳の話につながって
いきます。
佐伯胖には娘もいて、その結婚相手は宮台真司です。
「センス」についてアレコレ考える中で、佐伯胖の
「よさ(道徳)はいかに学ばれるか」という問い掛けは
一つの切っ掛けになるかなあ〜と思っています。
posted by student at 07:31| 日記
2008年08月19日
夏の授業
昨日と今日と、サテライトでの研修講座を受け
ましたが、昨年はサテライトでの3日間の集中講義が
立秋直後の真夏の時期にありました。
埼玉・三郷に住んでいた頃、通信制の大学に
学士入学して、5年間、夏期のスクーリングを受講
していたことがありました。都内のキャンパスと
横浜のキャンパスとの2箇所でスクーリング授業が
あったのですが、横浜まで通学する時は、JR武蔵野線、
常磐線、日比谷線、そして東横線で日吉まで。途中で
3回か4回乗り換えて2時間以上掛かっていました。
当時はどの教室も教壇の両脇に大きな扇風機があって、
全開された窓からセミの鳴き声のBGMを耳にして、
汗を拭いながらノートをとっていました。
昨年も今年も市内を電車で20分、教室には冷房が
完備されて快適に講義や講座を受けることができます。
学びの環境はずっと良くなって、それに呼応するように
熱く学んでいるか?と問われると・・・、残念ながら、
当時と今とでは、そんなに変化はないように思います。
*
研修講座2日目、最初に講師の先生から、昨日の
ワークショップの成果のカラーコピーと、その前で
撮った記念写真をいただきました。3人の講師の先生が
ずっと教室で協同で担当されて、そしてサービスも
満点の講座です。
ペンギンさんチームのKJ法によるワークショップの成果
その前での記念写真
午前中のテーマは「聴く」という言葉を中心に「聞く」
と「聴く」とから、「語るー聴く」と「教えるー学ぶ」
という構造からのコミュニケーションを取り上げました。
ワークショップでは3つの班で、それぞれ違った絵本を
渡されて、コミュニケーションの原点を探るような課題。
お昼は、サテライトで集中講義を受講中の先輩と
お昼をご一緒しました。サテライトのあるビルの一階に
ある「かに道楽」で豪華なランチタイムでした。
ランチメニューの最初は、蒸したカニ
次は、カニの茶碗蒸しが運ばれてきました。
そしてカニ・グラタン、ふたを開けると香ばしい
香りが・・・
最後はカニのお寿司とカニのお吸い物、結構満腹に
なってしまいました。
午後は「待つ」、時間の概念と、コメニウスの
「学校は精巧な時計」を取り上げて、時間で区切られた
近代教育のシステムを考えました。ワークショップの
テーマは「ゆとり」でした。「待つ」には、期待して
ワクワクしながらの「待つ」と、そして「指示待ち」
というような消極的で受動的な「待つ」もあり、授業の
中で「待つ」をキーワードに、いろいろ考えるべきことが
多いなあ〜と考えさせられました。
*
コミュニケーション、話し言葉、書き言葉だけではなくて、
動作の手本を見せることもコミュニケーション。そして、
仕草や貌の表情も・・・。
ましたが、昨年はサテライトでの3日間の集中講義が
立秋直後の真夏の時期にありました。
埼玉・三郷に住んでいた頃、通信制の大学に
学士入学して、5年間、夏期のスクーリングを受講
していたことがありました。都内のキャンパスと
横浜のキャンパスとの2箇所でスクーリング授業が
あったのですが、横浜まで通学する時は、JR武蔵野線、
常磐線、日比谷線、そして東横線で日吉まで。途中で
3回か4回乗り換えて2時間以上掛かっていました。
当時はどの教室も教壇の両脇に大きな扇風機があって、
全開された窓からセミの鳴き声のBGMを耳にして、
汗を拭いながらノートをとっていました。
昨年も今年も市内を電車で20分、教室には冷房が
完備されて快適に講義や講座を受けることができます。
学びの環境はずっと良くなって、それに呼応するように
熱く学んでいるか?と問われると・・・、残念ながら、
当時と今とでは、そんなに変化はないように思います。
*
研修講座2日目、最初に講師の先生から、昨日の
ワークショップの成果のカラーコピーと、その前で
撮った記念写真をいただきました。3人の講師の先生が
ずっと教室で協同で担当されて、そしてサービスも
満点の講座です。
ペンギンさんチームのKJ法によるワークショップの成果
その前での記念写真
午前中のテーマは「聴く」という言葉を中心に「聞く」
と「聴く」とから、「語るー聴く」と「教えるー学ぶ」
という構造からのコミュニケーションを取り上げました。
ワークショップでは3つの班で、それぞれ違った絵本を
渡されて、コミュニケーションの原点を探るような課題。
お昼は、サテライトで集中講義を受講中の先輩と
お昼をご一緒しました。サテライトのあるビルの一階に
ある「かに道楽」で豪華なランチタイムでした。
ランチメニューの最初は、蒸したカニ
次は、カニの茶碗蒸しが運ばれてきました。
そしてカニ・グラタン、ふたを開けると香ばしい
香りが・・・
最後はカニのお寿司とカニのお吸い物、結構満腹に
なってしまいました。
午後は「待つ」、時間の概念と、コメニウスの
「学校は精巧な時計」を取り上げて、時間で区切られた
近代教育のシステムを考えました。ワークショップの
テーマは「ゆとり」でした。「待つ」には、期待して
ワクワクしながらの「待つ」と、そして「指示待ち」
というような消極的で受動的な「待つ」もあり、授業の
中で「待つ」をキーワードに、いろいろ考えるべきことが
多いなあ〜と考えさせられました。
*
コミュニケーション、話し言葉、書き言葉だけではなくて、
動作の手本を見せることもコミュニケーション。そして、
仕草や貌の表情も・・・。
posted by student at 21:37| 日記
2008年08月18日
"かかわり"から教育を見つめなおす
今日と明日は研修講座の受講、サテライトでの
「"かかわり"から教育を見つめなおす」という大学
主催の研修講座を受講しました。
受講者は15名で、自己紹介の時の話では、
10年目研修や15年目研修として受講されて
おられる方が多かったです。県内の小学校の教師が
メインで、中学校と高校の教師も何人かという
構成でした。
ワークショップ形式で、5人ずつ3班に分かれて
リーダを決めるのですが、誕生日が一番近い人という
ことで、私がリーダーに。班の名前は「ペンギン班」
です。ペンギン班は、小学校の教師が3名と、中学校と
高校の教師が1名ずつという構成です。
今日のテーマは「同僚性」で、ブレインストーミング
で班の発表をする形式です。
ペンギン班の成果です。
担当の先生も、それぞれの班に入って一緒に討論に
加わっていました。
最後に班毎に記念写真を撮ったりして、一風変わった
研修講座です。
明日のテーマは「語る」「聞く」そして「待つ」です。
「"かかわり"から教育を見つめなおす」という大学
主催の研修講座を受講しました。
受講者は15名で、自己紹介の時の話では、
10年目研修や15年目研修として受講されて
おられる方が多かったです。県内の小学校の教師が
メインで、中学校と高校の教師も何人かという
構成でした。
ワークショップ形式で、5人ずつ3班に分かれて
リーダを決めるのですが、誕生日が一番近い人という
ことで、私がリーダーに。班の名前は「ペンギン班」
です。ペンギン班は、小学校の教師が3名と、中学校と
高校の教師が1名ずつという構成です。
今日のテーマは「同僚性」で、ブレインストーミング
で班の発表をする形式です。
ペンギン班の成果です。
担当の先生も、それぞれの班に入って一緒に討論に
加わっていました。
最後に班毎に記念写真を撮ったりして、一風変わった
研修講座です。
明日のテーマは「語る」「聞く」そして「待つ」です。
posted by student at 22:19| 日記
2008年08月16日
一期一会 夏の雲を追いかけて・・・
真夏の空に浮かぶ雲・・・、夏に撮ったデジカメの
写真には、青い空と白い雲の写真が多いです。
青い空に繰り広げられる白い彩り・・・
刻々と変わりゆく姿を見ていると、「一期一会」という
言葉を思い浮かべてしまいます。
*
目的に向かって訓練・練習を重ねて、結果を出す
ことにフォーカスを集中して、努力する姿・・・
その姿と対照的なのが、寄り道や道草、散歩なのかも
しれません。まっしぐらに敷かれた線路の上を目的に
向かって突き進むのでではなくて、周りを見渡して
立ち止まったり、振り返ったり、道を逸れたり・・・。
目を瞑らないと見えないもの、耳を閉じないと
聞こえないもの・・・、そんなものを大切にしたいなあ〜と
思うことがあります。
・・・豊かさ、或いは通奏低音のように背骨となり、
時には触覚となって底力のように支えてくれるもの・・・
教育における「センス」を、そんなニュアンスで
感じ捉えています。そんな思いを持って、夏の空を
見上げた時に見えてきたもの、記憶に残したいと
思ったもの・・・、白い雲にオーバーラップしました。
*
この数日ほどの間に撮った雲の写真の中から・・・
広島・原爆の日のお昼過ぎ、神戸・ハーバーラーンド
から見た、モザイク上空の雲です。
今週の月曜日、我が家の近くの星陵台から見た
夕焼けの空を彩る西の空の雲です。
火曜日、仕事帰りに途中下車したJR神戸線
鷹取駅のホームから見た、神戸の市街地の北に連なる
六甲山系の山並みの上の雲。鷹取駅はJR貨物の
神戸貨物ターミナル駅が併設されていて、積み上げ
られたコンテナも写っています。
その日、帰宅後に自転車に乗って大蔵海岸から
見た東の空に浮かぶ白い雲。
翌朝の水曜、同じ大蔵海岸からの夜明け直後の
東の空に浮かぶ雲。
その後シャワーを浴びて勤務校に。お昼に昼食に
出掛けた時の、勤務校の北門近くから見た 六甲の
山並みの上に浮かぶ雲です。手前の低い高架は
JR神戸線、その向こうの高い高架は阪急電車の
神戸線です。
その日の夕方、帰宅後に自転車で明石港まで。
港から見た東の空の大きな大きな積乱雲です。
同じ雲を大蔵海岸から眺めました。東に見える
山並みは、摂津と播磨の国境・五畿内の西の果ての
鉢伏山です。
この日の夕刻、奈良に大雨洪水警報が出ていました。
翌日の木曜日、仕事から帰って、また自転車に乗って
明石海峡を西へ。明石港から見た東の空の雲です。
この雲の下は・・・大阪の街でしょうか?
日に日に姿を変えて空に浮かぶ雲・・・
そこに「確かさ」を求めて追っても、掌から零れる
ように逃げ去っていくような・・・
・・・私の研究テーマ「センス」と同じようです。
あるよ
写真には、青い空と白い雲の写真が多いです。
青い空に繰り広げられる白い彩り・・・
刻々と変わりゆく姿を見ていると、「一期一会」という
言葉を思い浮かべてしまいます。
*
目的に向かって訓練・練習を重ねて、結果を出す
ことにフォーカスを集中して、努力する姿・・・
その姿と対照的なのが、寄り道や道草、散歩なのかも
しれません。まっしぐらに敷かれた線路の上を目的に
向かって突き進むのでではなくて、周りを見渡して
立ち止まったり、振り返ったり、道を逸れたり・・・。
目を瞑らないと見えないもの、耳を閉じないと
聞こえないもの・・・、そんなものを大切にしたいなあ〜と
思うことがあります。
・・・豊かさ、或いは通奏低音のように背骨となり、
時には触覚となって底力のように支えてくれるもの・・・
教育における「センス」を、そんなニュアンスで
感じ捉えています。そんな思いを持って、夏の空を
見上げた時に見えてきたもの、記憶に残したいと
思ったもの・・・、白い雲にオーバーラップしました。
*
この数日ほどの間に撮った雲の写真の中から・・・
広島・原爆の日のお昼過ぎ、神戸・ハーバーラーンド
から見た、モザイク上空の雲です。
今週の月曜日、我が家の近くの星陵台から見た
夕焼けの空を彩る西の空の雲です。
火曜日、仕事帰りに途中下車したJR神戸線
鷹取駅のホームから見た、神戸の市街地の北に連なる
六甲山系の山並みの上の雲。鷹取駅はJR貨物の
神戸貨物ターミナル駅が併設されていて、積み上げ
られたコンテナも写っています。
その日、帰宅後に自転車に乗って大蔵海岸から
見た東の空に浮かぶ白い雲。
翌朝の水曜、同じ大蔵海岸からの夜明け直後の
東の空に浮かぶ雲。
その後シャワーを浴びて勤務校に。お昼に昼食に
出掛けた時の、勤務校の北門近くから見た 六甲の
山並みの上に浮かぶ雲です。手前の低い高架は
JR神戸線、その向こうの高い高架は阪急電車の
神戸線です。
その日の夕方、帰宅後に自転車で明石港まで。
港から見た東の空の大きな大きな積乱雲です。
同じ雲を大蔵海岸から眺めました。東に見える
山並みは、摂津と播磨の国境・五畿内の西の果ての
鉢伏山です。
この日の夕刻、奈良に大雨洪水警報が出ていました。
翌日の木曜日、仕事から帰って、また自転車に乗って
明石海峡を西へ。明石港から見た東の空の雲です。
この雲の下は・・・大阪の街でしょうか?
日に日に姿を変えて空に浮かぶ雲・・・
そこに「確かさ」を求めて追っても、掌から零れる
ように逃げ去っていくような・・・
・・・私の研究テーマ「センス」と同じようです。
あるよ
posted by student at 05:49| 日記
2008年08月14日
虹と感興
今朝、出勤前のサイクリングの途中、海峡の向こう、
淡路の山並みの上に クッキリと鮮やかな虹が・・・
舞子の山田川の河口から見た虹
ズームを望遠にすると、淡路と天空の雲とを
結ぶようにも見えます。
更に西に自転車で駆けて砂浜から見た虹・・・
海岸沿いを西に走りながら、時々虹に目を
遣って・・・ 海峡の架け橋の主塔に朝日が照り
輝きました。
明石・大蔵海岸に着いた6時頃には、
淡路の上の虹も、かなり薄れてきました。
・・・でも大蔵海岸から松林越しの明石城附近の
上空に虹が現れていました。
今日は出勤前と帰宅後で合計40キロ走行、さすがに
筋肉疲労が大きくて、ぐっすり眠れそうです。
*
美人画の上村松園が書いた短い文章に
「虹と感興」があります。
その中で松園は、
「ある日の夕暮、私は、うちで行水を致しておりますと、ちょうどその時、涼しい一と夕立ちが上りまして「虹が立った、虹が立った」とうちのものが申します。それで、私も思わず行水から出て、東の方を見ますと、鮮やかな虹が立っておりました……その時私は、頓(にわか)にこの屏風の図題に思いついたのでした。私は虹を背景にして、人物を組立てることに、ほぼ案が立ったわけです。
・・・私たち筆執るものには、この感興は非常に大事なことで、感興の高さ、深さの如何によって、作品の調子がきまるわけですから、そういう感興によって出来た作品は、小さなものとか、簡単なものは別として、大きなもの、力のはいったものはなかなか、二度と再び出かそうといっても、とても出来そうには思えません。
・・・感興も、その感興の起った時が一とう鮮やかであり、色濃いにきまっております。時が過ぎたら、それはやはり鮮明さを欠いて、薄らいでゆくのは、ちょうど、虹のようなものでしょう。
この感興をいなさない用意もまた、作家としては肝要なことと考えます。」
上村松園「虹と感興」、大毎美術、
第十一巻第一号、昭和7年1月
*
松園を奈良の松柏美術館に見に行ったのは、
昨年の夏の終わりでした。その時に買った図版、
左上の「楊貴妃」と右上の自画像が松柏美術館の
所蔵です。楊貴妃は2畳ぐらいの大きさの作品
です。
淡路の山並みの上に クッキリと鮮やかな虹が・・・
舞子の山田川の河口から見た虹
ズームを望遠にすると、淡路と天空の雲とを
結ぶようにも見えます。
更に西に自転車で駆けて砂浜から見た虹・・・
海岸沿いを西に走りながら、時々虹に目を
遣って・・・ 海峡の架け橋の主塔に朝日が照り
輝きました。
明石・大蔵海岸に着いた6時頃には、
淡路の上の虹も、かなり薄れてきました。
・・・でも大蔵海岸から松林越しの明石城附近の
上空に虹が現れていました。
今日は出勤前と帰宅後で合計40キロ走行、さすがに
筋肉疲労が大きくて、ぐっすり眠れそうです。
*
美人画の上村松園が書いた短い文章に
「虹と感興」があります。
その中で松園は、
「ある日の夕暮、私は、うちで行水を致しておりますと、ちょうどその時、涼しい一と夕立ちが上りまして「虹が立った、虹が立った」とうちのものが申します。それで、私も思わず行水から出て、東の方を見ますと、鮮やかな虹が立っておりました……その時私は、頓(にわか)にこの屏風の図題に思いついたのでした。私は虹を背景にして、人物を組立てることに、ほぼ案が立ったわけです。
・・・私たち筆執るものには、この感興は非常に大事なことで、感興の高さ、深さの如何によって、作品の調子がきまるわけですから、そういう感興によって出来た作品は、小さなものとか、簡単なものは別として、大きなもの、力のはいったものはなかなか、二度と再び出かそうといっても、とても出来そうには思えません。
・・・感興も、その感興の起った時が一とう鮮やかであり、色濃いにきまっております。時が過ぎたら、それはやはり鮮明さを欠いて、薄らいでゆくのは、ちょうど、虹のようなものでしょう。
この感興をいなさない用意もまた、作家としては肝要なことと考えます。」
上村松園「虹と感興」、大毎美術、
第十一巻第一号、昭和7年1月
*
松園を奈良の松柏美術館に見に行ったのは、
昨年の夏の終わりでした。その時に買った図版、
左上の「楊貴妃」と右上の自画像が松柏美術館の
所蔵です。楊貴妃は2畳ぐらいの大きさの作品
です。
posted by student at 20:02| 日記
2008年08月11日
ドビュッシー そして サティー
神戸は暑い日が続いています。
けだるい暑さが続く中で、ドビュッシーのピアノを
繰り返し聞いています。
クロード・ドビュッシー・・・作曲家として名前は知られて
いると思いますが、ドビュッシーの音楽は、私はあまり
聴くことがなく、手許にるCDも、「2つのアラベスク」、
「牧神の午後への前奏曲」、管弦楽曲の「海」、
「亜麻色の髪の乙女」が入った名曲集、そして・・・
ゾルターン・コチシュが演奏する「ベルガマスク組曲」と
「忘れられた映像」そして「版画」が入ったピアノ曲のCD
です。
実は、真冬にもドビュッシーのこのCDを取り出して
繰り返し聴いたことがあります。心の芯まで寒さが沁み込む
ような季節に、ストーブの暖かさを肌で感じながら、
何年か前に繰り返し繰り返し聴いた記憶があります。
何となく深みに静かに沈んでいくような・・・聴き入って
しまうと、何だかそんな感覚に陥ってしまうCDです。
*
そしてエリック・サティーの曲も、この時期には繰り返し
繰り返し聴いてしまいます。
フィリップ・アントルモンが演奏するサティーの名曲集です。
フランス語のタイトルが「Je te veux(ジュ・トゥ・ヴー)・
お前が欲しい」というCDの1曲目のワルツの題名なのですが、
日本語のタイトルが「アンニュイっぽいシェール色」と
なっています。
「ジムノペディ」と「グノシエンヌ」が入っていて、
このCDを買ってサティーが好きになって、その後何枚か
CDを買いましたがこのアントルモンのCDが一番の
お気に入りです。
そしてこのCDを聴くのも、真夏か真冬かのどちらかが
多いです。
静かに時の流れを・・・そんな時にドビュッシーとサティーが・・・
*
今日の夕焼け、いつまでも見続けていたいと思うほど
綺麗な景色が西の空に繰り広げられていました。
けだるい暑さが続く中で、ドビュッシーのピアノを
繰り返し聞いています。
クロード・ドビュッシー・・・作曲家として名前は知られて
いると思いますが、ドビュッシーの音楽は、私はあまり
聴くことがなく、手許にるCDも、「2つのアラベスク」、
「牧神の午後への前奏曲」、管弦楽曲の「海」、
「亜麻色の髪の乙女」が入った名曲集、そして・・・
ゾルターン・コチシュが演奏する「ベルガマスク組曲」と
「忘れられた映像」そして「版画」が入ったピアノ曲のCD
です。
実は、真冬にもドビュッシーのこのCDを取り出して
繰り返し聴いたことがあります。心の芯まで寒さが沁み込む
ような季節に、ストーブの暖かさを肌で感じながら、
何年か前に繰り返し繰り返し聴いた記憶があります。
何となく深みに静かに沈んでいくような・・・聴き入って
しまうと、何だかそんな感覚に陥ってしまうCDです。
*
そしてエリック・サティーの曲も、この時期には繰り返し
繰り返し聴いてしまいます。
フィリップ・アントルモンが演奏するサティーの名曲集です。
フランス語のタイトルが「Je te veux(ジュ・トゥ・ヴー)・
お前が欲しい」というCDの1曲目のワルツの題名なのですが、
日本語のタイトルが「アンニュイっぽいシェール色」と
なっています。
「ジムノペディ」と「グノシエンヌ」が入っていて、
このCDを買ってサティーが好きになって、その後何枚か
CDを買いましたがこのアントルモンのCDが一番の
お気に入りです。
そしてこのCDを聴くのも、真夏か真冬かのどちらかが
多いです。
静かに時の流れを・・・そんな時にドビュッシーとサティーが・・・
*
今日の夕焼け、いつまでも見続けていたいと思うほど
綺麗な景色が西の空に繰り広げられていました。
posted by student at 21:38| 日記
2008年08月08日
ノンストップ
昨日の朝、いつものように出勤前の早朝のサイクリングで
いつものように海岸線沿いを西へ。
大蔵海岸の附近の交差点で信号の赤を目の前に
して広い歩道で旋回して信号待ちをしながら、
ふと気付いたのですが、自宅を出発してから、まだ
一度も止まっていなかったのです。舞子海岸附近の
交差点でも青信号に変わるのを旋回しながら待って
いましたし、約4キロをノンストップでした。
大蔵海岸で景色を愉しんだり、デジカメで写真を
撮ったりすることが多いのですが、平日の出勤前は、
サイクリングを愉しむというよりも心肺機能や筋肉の
トレーニングというニュアンスが強くて・・・
ノンストップを意識しながら明石の街を縦断、
幸い信号に引っかからず、明石川に掛かる大観大橋まで
たどり着きました。平日は明石川を渡ったこの辺りで
引き返して往復15キロのケースも多いのですが、
そのままノンストップで浜の散歩道を只管(ひたすら)
西へ・・・
松崎、林崎を抜けて、どんどん西へ・・・・でも平日
の出勤前なので、いつまでも・・・というわけには
いきません。谷八木川を目の前にして11キロだった
ので、12キロの地点で引き返すことにしました。
結局、谷八木川を渡って、右岸の河口近くでジャスト
12キロ。潔く自転車を停めました。
谷八木川の右岸、海岸の風景をバックに、ノンストップ
12キロの記念写真です。
時間は39分で平均時速が18.2キロでした。
あまり休憩していると、帰宅して出勤まで慌しいので
一息入れてUターン。谷八木川に掛かる橋の上から
川下方面の写真です。山陽電車の線路があって、その
向こうの高架が山陽新幹線、写真を撮ろうとした時に
下りの新幹線の姿が見えたのでシャッターチャンス♪
でもアップ用に小さくしたら新幹線どころか、高架も
わかりにくい写真になってしまいました。
明石川の河口では、これから満潮に向かうのか、海から
明石川の河口に向かって、幾重もの白波が・・・。結構
壮大な風景でした。
帰宅してから出勤まで・・・慌しかったです。
いつものように海岸線沿いを西へ。
大蔵海岸の附近の交差点で信号の赤を目の前に
して広い歩道で旋回して信号待ちをしながら、
ふと気付いたのですが、自宅を出発してから、まだ
一度も止まっていなかったのです。舞子海岸附近の
交差点でも青信号に変わるのを旋回しながら待って
いましたし、約4キロをノンストップでした。
大蔵海岸で景色を愉しんだり、デジカメで写真を
撮ったりすることが多いのですが、平日の出勤前は、
サイクリングを愉しむというよりも心肺機能や筋肉の
トレーニングというニュアンスが強くて・・・
ノンストップを意識しながら明石の街を縦断、
幸い信号に引っかからず、明石川に掛かる大観大橋まで
たどり着きました。平日は明石川を渡ったこの辺りで
引き返して往復15キロのケースも多いのですが、
そのままノンストップで浜の散歩道を只管(ひたすら)
西へ・・・
松崎、林崎を抜けて、どんどん西へ・・・・でも平日
の出勤前なので、いつまでも・・・というわけには
いきません。谷八木川を目の前にして11キロだった
ので、12キロの地点で引き返すことにしました。
結局、谷八木川を渡って、右岸の河口近くでジャスト
12キロ。潔く自転車を停めました。
谷八木川の右岸、海岸の風景をバックに、ノンストップ
12キロの記念写真です。
時間は39分で平均時速が18.2キロでした。
あまり休憩していると、帰宅して出勤まで慌しいので
一息入れてUターン。谷八木川に掛かる橋の上から
川下方面の写真です。山陽電車の線路があって、その
向こうの高架が山陽新幹線、写真を撮ろうとした時に
下りの新幹線の姿が見えたのでシャッターチャンス♪
でもアップ用に小さくしたら新幹線どころか、高架も
わかりにくい写真になってしまいました。
明石川の河口では、これから満潮に向かうのか、海から
明石川の河口に向かって、幾重もの白波が・・・。結構
壮大な風景でした。
帰宅してから出勤まで・・・慌しかったです。
posted by student at 01:00| 日記
2008年08月07日
CAPIC(刑務所作業製品)
CAPICというブランドがあります。刑務所作業製品の
ブランドです。各地に常設の展示場があるのですが、
昨日から明日まで神戸ハーバーランドで展示即売会が
開かれています。昨日立ち寄りました。
大きな家具やソファーから靴や財布、手提げ袋等々
全国各地の刑務所での作業製品がありました。
一番安かったのが大阪と長野の刑務所製の小銭入れ
でした。
横浜の刑務所では乾麺(細うどん)、網走刑務所では
小さな木製のフクロウの彫り物等々、いろいろなものがあり、
つくりがしっかりしたモノばかりで、アレコレと
見ていましたが、購入したのは一番安い小銭入れと
牛皮製のブックカバー(鳥取刑務所製)でした。
ブランドです。各地に常設の展示場があるのですが、
昨日から明日まで神戸ハーバーランドで展示即売会が
開かれています。昨日立ち寄りました。
大きな家具やソファーから靴や財布、手提げ袋等々
全国各地の刑務所での作業製品がありました。
一番安かったのが大阪と長野の刑務所製の小銭入れ
でした。
横浜の刑務所では乾麺(細うどん)、網走刑務所では
小さな木製のフクロウの彫り物等々、いろいろなものがあり、
つくりがしっかりしたモノばかりで、アレコレと
見ていましたが、購入したのは一番安い小銭入れと
牛皮製のブックカバー(鳥取刑務所製)でした。
posted by student at 19:40| 日記
2008年08月06日
生活習慣病検診
今日は職場で生活習慣病検診がありました。
今朝は絶食で水も口にせず出勤、9時から検診が
開始なのですが、最初は混むので10時半頃まで
デスクワークをして、その後に検診会場へ向かい
ました。
血圧が上が128で下が84、低めな私にしては
かなり高めの値です。
メタボリック対策で腹囲を測るようになったのですが、
81.8cm、体重も64キロぐらいと、春頃から
2キロほど増えています。この半月ほどは汗を流す
ようにしていますが、8月いっぱいは続けて、体重を
2キロ減、腹囲を80cm以下を目標に・・・
尿検査、体重、身長、聴力、血圧、血液検査、腹囲、
心電図までは、遅い時間を見計らって検診を受けた
甲斐があって並ぶことなく・・・
でも最後の胃部検診は5人待ちでした。1階の入り口前に
レントゲン車と胃部検診車が連なって停まっていました。
検診が終わって、11時過ぎに遅い朝食です。電車を
降りて勤務校に入る前に買った1リットルのお茶とパンを
中途半端な時間に、職場の机の前で・・・
血液検査の注射の跡です。見せびらかすようなものでは
ないので、小さな写真・
今朝は絶食で水も口にせず出勤、9時から検診が
開始なのですが、最初は混むので10時半頃まで
デスクワークをして、その後に検診会場へ向かい
ました。
血圧が上が128で下が84、低めな私にしては
かなり高めの値です。
メタボリック対策で腹囲を測るようになったのですが、
81.8cm、体重も64キロぐらいと、春頃から
2キロほど増えています。この半月ほどは汗を流す
ようにしていますが、8月いっぱいは続けて、体重を
2キロ減、腹囲を80cm以下を目標に・・・
尿検査、体重、身長、聴力、血圧、血液検査、腹囲、
心電図までは、遅い時間を見計らって検診を受けた
甲斐があって並ぶことなく・・・
でも最後の胃部検診は5人待ちでした。1階の入り口前に
レントゲン車と胃部検診車が連なって停まっていました。
検診が終わって、11時過ぎに遅い朝食です。電車を
降りて勤務校に入る前に買った1リットルのお茶とパンを
中途半端な時間に、職場の机の前で・・・
血液検査の注射の跡です。見せびらかすようなものでは
ないので、小さな写真・
posted by student at 01:00| 日記
2008年08月05日
デューイ
前期に聴講していた幼年児童教育思想研究の授業が
月曜が休みになることが多くて、今日が最終講義でした。
大坂・高槻での開かずの踏切の事故の影響で、電車が
大幅に遅れてギュウギュウ詰めの電車に乗ってサテライト
に着くと、教室のホワイトボードに授業の開始が15分
遅れる旨が・・・
教室の窓からの眺めを楽しみながら、休息のひととき、
川崎造船のドックには大きな船が入っていました。
オウエン、フレーベルに続いて先週はデューイを
扱いました。まとまってデューイの講義を受けたのは
はじめてでした。「遊び」と「仕事」に関しては、
私の研究テーマの「センス」に通じるものを感じました。
環境との相互作用による経験の再構成という考え方も
ひじょうに興味深い内容でした。
私が「センス」という言葉に込めた問題意識は、
おそらく、先人の偉大な教育者が既にちょっと違った
切り口で先行研究して、すでに実践されていることも
多いのだろうと思います。
デューイを今まで読んだことがなかったので、岩波
文庫を2冊買いました。
「学校と社会」はデューイの主著の1冊ですが、
「哲学の改造」はデューイが来日して講演したものを
まとめた本です。1968年版の復刻版で、今の活字とは
違う古風な字体で字も小さく読みにくく、内容も難解です。
翻訳者は清水幾太郎でした。
最終講義はモンテッソーリを扱いました。私には
名前さえ知らなかった幼年教育の教育者でしたが
感覚教育論というのは、ひじょうに興味深かったです。
sensible period(敏感期)は「機」と「時」に通じる
ように感じました。
月曜が休みになることが多くて、今日が最終講義でした。
大坂・高槻での開かずの踏切の事故の影響で、電車が
大幅に遅れてギュウギュウ詰めの電車に乗ってサテライト
に着くと、教室のホワイトボードに授業の開始が15分
遅れる旨が・・・
教室の窓からの眺めを楽しみながら、休息のひととき、
川崎造船のドックには大きな船が入っていました。
オウエン、フレーベルに続いて先週はデューイを
扱いました。まとまってデューイの講義を受けたのは
はじめてでした。「遊び」と「仕事」に関しては、
私の研究テーマの「センス」に通じるものを感じました。
環境との相互作用による経験の再構成という考え方も
ひじょうに興味深い内容でした。
私が「センス」という言葉に込めた問題意識は、
おそらく、先人の偉大な教育者が既にちょっと違った
切り口で先行研究して、すでに実践されていることも
多いのだろうと思います。
デューイを今まで読んだことがなかったので、岩波
文庫を2冊買いました。
「学校と社会」はデューイの主著の1冊ですが、
「哲学の改造」はデューイが来日して講演したものを
まとめた本です。1968年版の復刻版で、今の活字とは
違う古風な字体で字も小さく読みにくく、内容も難解です。
翻訳者は清水幾太郎でした。
最終講義はモンテッソーリを扱いました。私には
名前さえ知らなかった幼年教育の教育者でしたが
感覚教育論というのは、ひじょうに興味深かったです。
sensible period(敏感期)は「機」と「時」に通じる
ように感じました。
posted by student at 06:11| 日記
2008年08月03日
夏の光景
夏の日に見た光景の断片・・・
最寄り駅の近くの信号のない横断歩道にある
横断中の「黄色い旗」が、透明なビニールの
手作りの横断旗で代用されていました。
なんとなく、ほのぼのしたような、でも
寂しいような風景です。
神戸の繁華街、三ノ宮のそごう前の交差点で
派手なトレーラが信号待ちで止まっていました。
パチンコの宣伝・・・真夏のコントラストの強い
光景の中で目立っていました。
明石の旧浜国道沿いに続く商店街には
庇のアーケードが続いていますが、1区画の部分が
建物が撤去されて、空き地になって草が茫々に生えて
いました。
アーケードの庇には、空き地部分にも蛍光灯が
煌々と点いて、隣の商店は営業しています。
街の中の、ちょっと気になった光景でした。
最寄り駅の近くの信号のない横断歩道にある
横断中の「黄色い旗」が、透明なビニールの
手作りの横断旗で代用されていました。
なんとなく、ほのぼのしたような、でも
寂しいような風景です。
神戸の繁華街、三ノ宮のそごう前の交差点で
派手なトレーラが信号待ちで止まっていました。
パチンコの宣伝・・・真夏のコントラストの強い
光景の中で目立っていました。
明石の旧浜国道沿いに続く商店街には
庇のアーケードが続いていますが、1区画の部分が
建物が撤去されて、空き地になって草が茫々に生えて
いました。
アーケードの庇には、空き地部分にも蛍光灯が
煌々と点いて、隣の商店は営業しています。
街の中の、ちょっと気になった光景でした。
posted by student at 06:11| 日記
2008年08月01日
学校説明会
今日は、勤務校の学校説明会でした。900名あまり
の中学3年生、中学校の先生、保護者の方々が見学に
来られて、1班20名程度で48班に振り分けて
朝から夕方まで15分間隔で校内の見学です。
私はコンピュータ室でプレゼンテーション実習の
説明担当でした。生徒3名が約3分間の説明を中学生や
引率の先生、保護者の方々の前で順番にしました。
最初は緊張気味のプレゼンテーションでしたが、
丁寧に学校生活や学習内容の説明をしていました。
班によっては、説明が終わったら、拍手が起こりました。
真剣に説明を聞く中学生や引率の先生、保護者の方々の
前で、立派に説明をした生徒達は、実は同じように
現在卒業後の進路を模索中です。
の中学3年生、中学校の先生、保護者の方々が見学に
来られて、1班20名程度で48班に振り分けて
朝から夕方まで15分間隔で校内の見学です。
私はコンピュータ室でプレゼンテーション実習の
説明担当でした。生徒3名が約3分間の説明を中学生や
引率の先生、保護者の方々の前で順番にしました。
最初は緊張気味のプレゼンテーションでしたが、
丁寧に学校生活や学習内容の説明をしていました。
班によっては、説明が終わったら、拍手が起こりました。
真剣に説明を聞く中学生や引率の先生、保護者の方々の
前で、立派に説明をした生徒達は、実は同じように
現在卒業後の進路を模索中です。
posted by student at 20:32| 日記